10 食卓にカレーライスを
春樹は三人の妹を引き連れて地元で馴染みのスーパーへやって来た。先に妹たちを家に帰してしまってもよさそうなものだが、色々と事情があって立花家には他に家族がいないのだ。妹たちだけを家に残すほうが春樹にとってはずっと心配だった。
ただ、そうかといって一緒に連れているのも楽ではない。スーパーに入ると、必ずといっていいほど夏鈴や秋穂はショッピングカートで遊びたがる。好き勝手に押しまわしたり乗ったりへばりついたりする。やれやれと、春樹は今日もそれに手を焼かされる羽目になっていた。
特に末っ子の夏鈴のほうは何度言っても聞かないので、いよいよ春樹の鞭も飛ぶことになった。
「おい夏鈴、いい加減にしないと今夜のお前のカレーの具を全部ニンジンにするぞ」
「へ!? やだやだっ、やーだー!」
それでようやく大人しくなった。
が、数分もすれば今度はお菓子を買ってほしいとねだり出す。
「ねーねーおにいちゃん、おかしほしい!」
「おかしほし~」
秋穂も抜け目無く便乗してくるあたり、さすがは夏鈴の姉といったところか。
「はいはいわかったわかった、でも一人一個だけだぞ。小冬、そいつらを頼むよ」
「う、うん。わかった」
小冬は頷いて、お菓子を物色しにいきたくてたまらない様子の夏鈴と秋穂の手をぎゅっと握った。そのときの小冬のちょっとした上目遣いに気付いて、春樹は言った。
「小冬。お前も一個までだからな」
「え……うん、ありがとうお兄ちゃん。えへへ」
小冬は妹たちの手を引いて嬉々として菓子類のコーナーへ消えていった。三人の妹の中で小冬は一番のしっかり者ではあるけれど、お菓子に気を引かれるようなところはやはりまだ子どもなのかもしれない。
「はふう……今のうちに買うもん揃えよう」
夏鈴と秋穂という最大のお荷物がいなくなった間、春樹はショッピングカートの手綱を取り戻し、生鮮食品のコーナーを回ることにした。とりあえず小冬がついていったし、このスーパーはしょっちゅう訪れているところだから妹たちが迷子になる心配はないだろう。
春樹はタマネギやらジャガイモやらを吟味した。ごろごろと平積みされた中からタマネギは球形に近く頭の部分が硬いものを、ジャガイモは土色で表面にハリのあるものを選び取った。そして最も選定に気を遣うのがニンジンである。ニンジンは夏鈴の嫌いなもののひとつなので、なるべく良いものを与えてあげたいのだ。春樹は山積みされた中から一本一本を丁寧に見分けていった。
ちょうどそんなときだった。
お、このニンジン良い色だし芯も細いな──なんて思いながら春樹が手を伸ばすと、同じようにどこかから伸びてきた別の誰かの手にぶつかった。「あ、すみません」ととっさに謝ったが、その相手を見て春樹は思わずしかめっ面をすることになった。相手も同じような顔をしていた。
「げ、キリカ……。なんでお前がこんなところに」
「それはこっちのセリフよ。……学校の外でもあたしに付きまとうなんてやめてくれない?」
「いや、ただ買い物に寄っただけだし……このへんは俺の地元だし」
こんなところで桐花に遭遇するとは思いもよらなかった。お遣いだろうか。
買い物カゴと学生鞄を提げている桐花は、春樹と同じく制服のままだった。どうやら春樹と同じように学校帰りに買い物へ立ち寄った体らしい。そのおまけに夕飯の献立も被っているようだった。春樹がちらりと目をやった買い物カゴの中には、豚肉のこま切れ・ジャガイモ・タマネギ・カレールウなどが入っていた。極めつけは福神漬けである。あとはここにニンジンが加われば、ちょうど立花家の今晩のメニューと同じカレーライスが出来上がるところだった。
そのニンジンの一本をめぐってなぜか二人の間で抗争が巻き起こった。
「というかだな、俺が目当てなのはそのニンジンであって、決してお前なんかじゃない」
「あっそ! っていうか、このニンジンはあたしが先に目ぇ付けてたんだからね」
桐花はひょいとニンジンに手を伸ばした。が、それと同時に春樹もそのニンジンをつかみ止めた。
両側からむんずとつかまれたニンジンは二人の間でたちまち引っ張りだこになる。
「いや待て、持っていこうとしてたのは俺が先だっただろ。お前は他のニンジンから選べよ」
「なんであたしがあんたに指図されなきゃいけないの? あたしはこのニンジンがいいのっ」
「あっこら、引っ張るなって! こいつは俺が先に見つけたニンジンだぞっ」
奪い合うほど数がないわけでもないのに、いつのまにかその一本のニンジンをめぐって綱引きが始まっていた。春樹は妹たちのために譲るわけにはいかない。子どもが野菜嫌いになるのは野菜の食べさせ方が悪いからだとどこかで見聞きしたせいか、とにかく春樹はその色ツヤの一番良さそうなニンジンが欲しかったのだ。一方の桐花は春樹に屈するのが何となく嫌だったのだろう。いつかのときのような取っ組み合いに発展していた。
「あー! おにいちゃん、あそんでるの!?」
するとそこへ夏鈴を先頭にして妹たちが戻ってきた。手に手にお菓子の箱を大事そうに抱えている。
その妹たちの登場に春樹も桐花もびくっとして綱引きを止めた。
「いや別にこれは遊んでるわけじゃなくて……」
「え……、なにこの子たち。え、あんたの子ども……?」
桐花は夏鈴たちの存在に相当驚いているようだった。春樹と一本のニンジンをつかみ合ったまま、その春樹の顔と夏鈴たちの顔を何度も交互に見比べた。夏鈴と秋穂は歳も近いのでよく似ているが、春樹とは干支が一回りも離れているだけあってどういう関係なのか判断が付かない。
桐花はちょっと考えて、春樹にジトリとした目を向けてきた。
「まさかあんた、どこかから誘拐してきたんじゃ……」
「んなわけあるか!」
「あたし、あんたのことはずっと変態だと思ってたけど、ここまでガチだと逆に言い返す気が起きないわ……。これがドン引きってヤツなのね……」
「だから違うっつーの! 三人ともうちの妹だよ!」
それから春樹が何度か弁明してようやく誤解は解けた。
「……へぇ、あんたって長男だったんだ。ぜったいに一人っ子で育てられたワガママちゃんだと思ってたのに」
「そりゃお前だろ……。そういうお前は兄弟とかいるのかよ」
「……ふん。一人っ子ですけどなにか?」
「やっぱりな……」
お互いが皮肉と偏見たっぷりに言い合っていると、夏鈴と秋穂も物珍しそうな顔をしてまとわりついてきた。
「ねえ、おにいちゃん。このひとだれー?」
「……学校の知り合いだよ」
「しりあい? おともだちなのー?」
その夏鈴からされた質問に、春樹は困った。桐花とは同じ学校だがクラスは違うし、部活も同じだが交流はほとんど持っていない。友達ではないしチームメイトという感じでもない。それなのになぜかこうして地元のスーパーなどでばったり出くわしていて、なぜかこうしてニンジンなどを取り合っている仲だ。
「と……、友達だよ」
春樹がその場しのぎで答えると、すかさずぎろりと桐花の刺すような視線が飛んできた。どうやら向こうは友達の気もないらしかった。
けれども妹たちはそんなこともお構いなしだ。
「ねー、みてみてー? このおかしおにいちゃんがかってくれるの!」
「……へえ、よかったわね。いいお兄ちゃんがいて」
普段は色々と手厳しいはずの桐花なのだが、子どもたちに対しては意外とフレンドリーだった。春樹が内心でほっと安堵したのは本人の知るところではない。
「ん、夏鈴に秋穂。お前らまたそのお菓子にしたのか。っていうかそれ、お菓子じゃなくておもちゃだろ?」
「いいもーん。これがいいの!」
夏鈴たちが見せ付けるように握っていたのは、いわゆるおまけ付きのお菓子だ。アメやラムネなんかが入っているが、むしろおまけのほうがメインのあれだ。夏鈴と秋穂はこういう細々したおもちゃが好きでしょっちゅう集めている。
「……あれ、小冬。お前はそのお菓子は」
「え?」
「お前ってチョコレート嫌いじゃなかったか?」
「あ、うん。そうだけど……これはお兄ちゃんにあげようと思ったの。チョコパイ好きだよね? わたしはお菓子いらないから、これお兄ちゃんにあげるね」
といって小冬は持っていたお菓子を差し出してきた。結局買うのは春樹なのだからプレゼントもなにもないのだが、そういう子どもっぽい思いやりのあるのが小冬だった。春樹はありがとうと言って受け取った。
そんな三人の妹たちが戻ってきたことで、いつの間にやらニンジンの綱引きは終了していた。
桐花はいたずらを咎められた子どものような、なんだかバツが悪そうな顔をした。
「……ねぇ、あんたはいつもその子たちの面倒を見てあげてるの?」
「面倒見てるっていうか、親が仕事でほとんど家にいないからな。妹の世話も家のことも全部俺がやらなきゃいけない状況だ」
「へえ、サボり魔のあんたも意外と働き者なのね。……ああ、よく部活をサボってるのはそういうわけ?」
「まぁそういうわけだ。小学生の小冬はともかく、下の二人は早めに迎えに行ってやらないとかわいそうだから」
「ふーん……。あんたってシスコンでロリコンなのね。やっぱり変態だわ」
「って、なんでそうなる!」
「変態は変態だからよ。あんたが女子トイレに侵入したこと、あたしは忘れてないんだからね」
未だに女子トイレの件が色々と誤解を招いているようだった。ファーストインプレッションは大事らしい。
桐花はまたいつものように憎まれ口を叩いて、適当なところで切り上げた。
「ま、あたしはもう行くから。べつにバイバイとか言ってあげないから」
「べつに俺も言ってもらいたいとは思ってないね」
「あっそ。ふん!」
その去り際に桐花はひょいと何かを春樹の買い物カゴに放り込んでいった。
先ほど取り合っていたあのニンジンだ。
「おい、俺はべつによこせなんて言ってないぞ」
「あんたの親のこととか聞いちゃったから、かわりにあたしも教えておくわ。借りとか作りたくないし」
「は?」
「あたし、この近くで一人暮らししてるの。だからあんたとおんなじようなもんよ」
「……へえ」
高校生が一人暮らし──なくはないことだが、それも女子一人では何かと物騒なことだ。帰り道に気をつけろよだとか、近くなら送っていってやろうかだとか、春樹は柄にも無いことを言いかけたが、そこでふと思い当たることがあった。
「もしかして、だからお前はテーザー銃なんてもんを持ち歩いてるのか?」
「……そうよ、なんか文句ある? ま、これはパパからもらったものだけどね。あたしがサバ部に入ったのも半分くらいは護身のためよ。……べつにあんたと同じところに入りたかったとか、そんなんじゃ絶対ないから」
そういって桐花はそっぽを向いて足早に去っていった。相変わらず怒っているんだかワガママなのか、春樹にはよくわからなかった。ただニンジンをくれたこともあるし、いつもより少しだけ敵視されていなかったような気もしたが、それも妹たちがいたからなのかもしれない。
ただひとつだけわかったのは、桐花はニンジンを買い忘れていったということだけだ。
その日の桐花作のカレーがやや彩りとカロテンに欠けたものになってしまったことは、春樹が想像するにたやすいことだった。
◇
春樹が買い物袋を引っさげ、三人の妹たちを連れて自宅の一軒家に帰り着くと、そこでなぜか大和たち一行が待ち構えていた。
「や、ハルくん。突然で申し訳ないけど、遊びに来たよ。上がらせてもらえないかな」
「なんでメガネがうちに……。っていうかなんで他の奴も勢ぞろいしてんだよ」
立花と表札の掛かっている玄関の手前には、大和・紫・琴子・林之介の四人がいた。
「あー! はやしらいすのおにいちゃんだー!」
「おうシスターズ、久しぶりだなー」
夏鈴と秋穂が林之介に向かって飛びかかっていった。なぜかそれを林之介はボディービルダー風のマッスルポーズで受け止める。その腕に夏鈴たちはぶら下がった。
なぜか夏鈴たちは「はやしらいす! はやしらいす!」と連呼している。
「なんでハヤシライスって呼ばれてるだろう」とたまらず大和がつぶやいた。
「そういえば入部届けで見たが、こいつの苗字は飯田じゃなかったか? 飯田林之介……『林』と『飯』で『ハヤシライス』ということなのだろう」
と紫が思い出したように言った。
ちなみにこのあだ名は春樹が最初に付けたものだ。林之介は幼馴染で昔からよく遊びに来ていたので、それを妹たちが真似するようになったというわけだ。
「ところでハルくん、ハヤシライスで思い出したんだけどね。今日のお夕飯は何だい?」
「は? ……カレーライスだけど」
「やっぱりそうか。せっかくだから僕らもご相伴にあずかっていいかな?」
「はあ? このメガネは何をいきなり……」
大和が唐突に提案すると、それに琴子や林之介や紫も便乗してきた。
「はいっ! わたしも春樹くんの手料理が食べたいです! 絶対に!」
「ハル。できれば毎日オレのために味噌汁を作ってくれないか」
「野外戦闘といえば飯盒炊爨。飯盒炊爨といえばカレーライスだ。うむ、我が部にぴったりだな」
「……はぁ。こいつらはどんだけ図々しいんだ。だいたいこの人数分の食材なんて……」
春樹はため息をつく。
「ふっふ、その点は大丈夫さ。僕たちもさっき、ハルくんが寄ったスーパーで買ってきたからね」
大和は後ろ手に持っていた袋をじゃじゃんと見せてきた。中身は春樹が買った食材とほとんど同じである。まるで春樹の行動は観察されていたかのようだ。
「もしかして後をつけてきてたのか……」
「ははは、ごめんね。でも春樹くんがサボりがちな理由を知りたかったんだ。それもだいたい察したよ。だから……」
「……だから?」
「今日は僕らが家事を手伝わせてもらうよ。ご相伴にあずかるのはそのついでってわけでさ、ひとつ頼むよ」
大和はいつものにこにこ顔で言った。
事情をある程度察したらしい大和の気遣いによる行動が春樹にはこそばゆいような、うっとうしいような感じがした。けれども既に妹たちがはしゃいで嬉しがっていたので、さらさら断るわけにもいかなくなってしまった。
その日の立花家の食卓はいつもよりずっとにぎやかなものになった。
前編はこれでおしまいになります。お読みいただきありがとうございました。
ちまちまと小出ししていた全く必要のないミリタリーコラムもいちおう加筆修正して(というか各話のあとがきのほうがショートバージョンでした)、まとめておきましたので、興味のある方は続けてご覧になっていってください。
後編につきましては完成し次第、順次投稿していくつもりです。いつ頃になるか断定できませんが、どうかご容赦お願いします。




