第一話
1
都内に建設された、他に類を見ないほどの大規模な学校。
国立防衛機構第一学校。
そもそもこれは、一般の学校が旨とする『生徒を教育する』ための機関ではない。
一応この学校の入学条件は、中学校の卒業である。つまり、入学条件自体は普通の高校と何ら変わりはない。
だが、この学校。生徒の年齢を平均化すれば、まず平均年齢は三十を超えるであろう。
もちろん普通の高校でも、そうなる可能性がないわけでもない。が、常識的に考えれば十分以上におかしい数値である。
このおかしな数値が出る原因が、そもそものこの学校は教育を施すためのものではない、というところに起因している。
この学校は、第三次世界大戦――通称、世界狂乱――を経、結果的にほとんどの国が軍事国家と化し(日本も例外ではない)、そのため必要とされた『自衛隊を除くまともな戦力』を育成するための学校なのだ。
ここは、つまりはそういう場所なのだ、が……
カッカッカッ、と黒板にチョークで文字を書く音だけがこだまする教室。他の音を強いてあげるとするならば、生徒がノートをとる音くらいだろう。
これがこの学校での常識だった。普通の高校のように、居眠りする者や、隣の席の者と雑談を交わす者などまずいない。
それが、この学校での常識。
そして、その静寂が支配する教室の隣からは――
「……一応、眠っていた理由を聞こうか」
「は。軍人たる者、体を休めることができる時に休めておくものだと、自分はそう考えているからであります」
「要約すると、お前にとって俺の授業は、眠っても問題ないものだと?」
「そういうことになります」
ゴガン! とあからさまな音が響く。
「えー、つまり銃弾の装填時が最も隙ができやすく、しかしその行為を省くわけにはいかない。そのため、基本装備に銃が指定されている歩兵は集団行動をとる。と言っても、もちろんこんなのは理由の一つにすぎないが」
隣の教室では、この学校の常識が物理的な音を立てて崩壊している。
(またあの名物生徒か……新米教師の面目も立たんだろうに……)
もちろんその教室にも先ほどの音は聞こえているのだが、未だに静寂は保たれているままだ。
そんな教室を見回し、そこの教師は隣の教師のことを弔った。
隣からはそんなことを思われているとも露知らず。
問題の教室を担当している男の教師は、自分の目を疑っていた。
自分は今さっき、居眠りしていた生徒に腹を立て、その顔面を力いっぱい殴ったはずだ。
まあこの際、その行為の善悪やら何やらは置いておくとしよう。
まず常識的に考えて、人は殴られれば吹っ飛ぶ。もちろん吹っ飛ぶレベルに殴る人間もそういないが、自分はそういう人間だ。
それなのに、自分の目には、何が映っている?
目の端辺りには、他の生徒が自分と彼を見て、薄笑いを浮かべている光景。なんとも頭に来る光景だ。
では、目の中央より少しずれた辺り。
そこに映っているのは、教室の床。厳密に言えば、そこに飛び散った血。
始め自分は、その血は殴られた方が出したものだと思っていた。
逆だった。
殴った方……つまり自分の血だ、あれは。
何故わかるか? もちろん自分は、人の血と自分の血の違いなんて分からない。
だが、自分の拳の痛みなら手に取るように分かる。当然だ、自分の体なのだから。
そして拳が痛みを訴えているのも、また当然だった。人を殴れば、殴った方も殴られた方も痛い。
だが、この痛みは当然とは言えないだろう。
もはやこれは、殴られた側の痛みと言うべきものだった。おかしな話である。殴った方の拳から血が出るのだから。
では、最後に真正面を見ると何が映っているか?
まず見えるのは、自分の腕と拳。その拳は皮が剥け、先ほど少しの血が出たばかりだ。
さて。その拳に殴られた生徒。
ギン、とまるで鷹のような視線でこちらを睨んでいる。
そう。睨んでいた。
こちらを真正面に見据えて。
簡単に言うと、こうなる。
俺に顔面を殴られた生徒は、しかし少しも怯むことなく、ついでに言えば少しもダメージを受けた様子もなく、殴られた運動を無理やり殺したのかどうしたのか、顔を真正面に据えてこちらを射殺すように睨んでいるのだ。
「……なっ」
やっと事態を飲み込んだ男の教師は、その生徒の視線に怯み、拳ごと体を引く。
そこで生徒の顔が露わになるが、やはり傷一つついていない。いや、ついていることにはついている。が、それはいわゆる古傷だろう。どう見たって拳でつくような傷ではない。
絶句している教師に向かって、生徒は口を開いた。
「別に殴られたことをどうこう言うつもりはありません。が、早く授業を進めてはどうでしょうか? 自分はともかく、他の生徒は迷惑かと」
問題の他の生徒とやらは、先ほどから彼らのやり取りを見てニヤニヤしているだけなのだが。もちろん、このシチュエーションを楽しんでいるのだろう。悦楽的に。
(な、なんなんだ、こいつ……)
冷や汗を流しつつも、もうこんな生徒に関わる気は失せたのか、その教師はそそくさと黒板の前に戻る。
(殴られた運動を殺す? ば、バカ言うな……受け流すことなら俺だってできる。いや、殺すことだってできる。が、やったらどうなる?)
可能と実行では、わけが違う。
もし今の自分の拳の運動を、無理やり殺したとするなら……
(……首の骨、折れるだろ)
ゴクリ、と生唾を飲み込む音が無残にもその教室に響いた。それを聞き、やはり生徒たちの顔がニヤける。ビビってる、とでも思われているのだろう。
実際、そうだった。
(これがビビらないでいられるわけないだろ……首に殺した運動の負荷がかかって、ポックリ逝っちまうっての、普通だったら)
もはやプライドもへったくれもなく、その男は先ほどの生徒を恐る恐る振り返る。
既に机に突っ伏していた。
それに安堵を感じていることにも気づかず、
(……ってか、あいつに限った話じゃないが……)
そういえば俺はさっきまで何の話してた、と今更ながら焦りつつも、彼は思わずにはいられない。
その背中に刺さる視線を感じつつ。
(こいつら……全員成人してないだろ……!?)
何なんだこの教室、と思いながら、どうにかしてその新米教師はその授業を乗り切った。
後になってその教師は知るのだが、やはりというか、その教室は普通のクラスではないらしい。
曰く、発現特化クラスだとか。
詳しいことは聞けなかった。機密事項らしい。
とりあえずあんな教室を受け持つのは二度とごめんだ……あの教室の授業のときは、仮病でも使うか……?
バカなことを考えつつ、その新米教師は次の授業へと疲労感たっぷりな様子で向かっていった。
はい。遅れましたやっと第一話です。
とりまプロローグ的なの存在してます。まだそちら見てない、って方は良ければそちらも。
今後も気まぐれ更新だとは思うので、ご了承を。