恐怖の帝王襲来訪問編―恐怖の帝王は大家にあらず
「たっだいまー!!!」
三十木寮の管理人にして寮の住人たち以上の放蕩癖ゆえに今までどことも知れぬ世界一周の旅に出ていた大家こと本名も大家の彼女が帰ってくるなり寮ならびに周囲の家々に響きわたるような大声で挨拶をかましたのは、深夜十二時を過ぎたころ、眠りで言うところのもっとも深い眠りについていた頃であった。
「・・・・・・相変わらずなんつー迷惑なやろーだ」
熟睡中だったと見える長良川さんが、頭を抱えて階段を下りてくる。
その横にぴったりと付き添う築紫さん。ふむ、何があったかは聞かないことにしよう。大人のマナーだ。
深夜に到着するなり、大家は我々を玄関に呼びつけた。
一体何を意図してなのか不明だが、どうであるにしろはた迷惑なことには変わりなかった。
「・・・・・・で、何か用でしょうか」
「うむ、お前は小暮川か。大きくなったな」
大学生にもなって、よもや他人に頭をなでられようとは。
三十木寮管理人、通称『大家』こと大家美津子は身長180センチを超える長身の、二十代後半から三十代前半くらいの年齢の女性である。
物心ついたばかりの頃のある日突然、『私は生まれながらにしてアパートならびにマンションの管理人、つまり大家になるために生まれてきたのだ』というよくわからない天啓をうけ、そのお告げに従うままにシステムもよく理解していない株に手を出してみたところそこそこの儲けを得、それらの金は彼女の伯父から引き継いだこの三十木寮の維持費に使われている。
肩口でバッサリ切った黒髪と死んだ魚のように濁った眼が独特の近づきがたい雰囲気を形成し三十路過ぎた現在でも浮いた話の欠片も彼女の周りには転がっていな・・・・痛い、痛いです大家さん。
「一つ言っておこう。私はまだ三十路じゃない」
「ぎりぎり、ね」
「何か言ったか?」
「いえ、特に」
一瞬、何か恐ろしいものに睨まれた。心臓が止まるかと思った。
「・・・・・・・で?改めて何か用でしょうか」
「うむ、久しぶりに皆の顔を拝もうと思ってな」
「明日にしろ」
「冗談だ。冗談だからその振りかぶった右拳を下せ長良川。うむ。私はこの一年間、この寮の管理人と言う仕事を全身全霊で持って放棄して、諸外国をまわっていたわけだが・・・・・」
「偉そうに言うな。腹立たしい」
「お前らにいつぞやか手紙を書いた時は、北米のある町にいたんだが、その時にとある武器商人に出会ってな」
「さらっと裏世界との邂逅を果たさないでください」
「そいつの紹介で中国の首都、北京に流れ着いた」
「どんな紹介でしょうね」
「そこでまあその、国家主席暗殺の阻止に協力したり一子相伝の殺人武術である裏神明流太極拳の使い手の男と対峙したりとか、色々とグローバルな活躍をしたのち」
「どこからが嘘ですか」
「最初から」
「でしょうね」
「まあ、正確に言うならば北京に行ったのは本当だ。で、向こうからペットを連れてきた」
「ペットですか・・・・・・」
「うむ?なんだその嫌そうな表情は。15字以内で簡潔に説明せよ」
「ろくな思い出がないからです」
「ろ・く・な・お・も・い・で・が・な・い・か・ら・で・す。一応ノルマはクリアだが、いまいち説明力に欠けるな」
「あんたが15字以内とか言わなきゃもう少し詳しく言ってたよ。・・・・・前に寮にガラパゴス諸島からイグアナを持ち込もうとして大騒ぎを起こしたの、どこのどいつだっけ?」
「私だ」
「胸を張るな。誇らしげな表情をやめろ」
「安心しろ小暮川よ。今回はもっとメジャーな奴だ」
「犬とか?」
「いや、もっと人気がある。・・・・ほら、入ってこい」
そう言って大家は、扉の外の『何か』に手招きした。
「紹介しよう」
のしのし、と扉の向こうからやってきたのは。
「我々の新しい仲間だ。名前は――」
白と黒の模様が特徴的な、中国のあの
「或々だ。仲良くするように」
これってパン――
「わあ、モノトーンなクマさんですねぇ」
築紫さんが嬉しそうに言う。
いや、違うと思います。
「ていうか、パンダってなんか条約とかで保護されてませんでしたっけ?」
「安心しろ。こいつは半分野生だ」
「なおさら質が悪いわ。・・・・・ん?半分?」
「ああすまん、今のは口が滑っただけだ。忘れろ」
「忘れろって・・・・・・・」
ちなみにパンダは、地元中国の国家一級野生保護動物というものに指定されている。
「っていうか、いったいどうやってパンダなんて持ちこんだんですか」
「知り合いのボートで帰ってきたから」
「密入国かよ・・・・・・・・」
つくづく、ぶっ飛んだ大家である。
翌朝。
大学生として一人暮らしを始めてからしばらくぶりに、より正確に記すなら、約一年ぶりに、私は寝坊をした。
理由は多々ある。
深夜に帰ってくるなり大声をあげた大家に起こされたこと、そのあと何故か長良川さんとパンダが壮絶な肉弾戦を始め、そのとばっちりを受けて疲れたこと、レポートが期限の今日未だに仕上がっていないこと、多々ある。
意外と、パンダは強かった。
灰色のキャンパスライフにまたモノトーンの一ページを書き足し、というかわかりやすく言えば大学での一日を終え、寮に帰宅すると何やらわたしの部屋が騒がしい。
「・・・・・・・ふむ」
考えられる可能性は二つ。
一つは、一般的な泥棒が今、私の部屋の中にいる、という説。
ただ、こんなぼろアパートに暮らす貧乏苦学生から、一体何を奪うというのだろう。
二つ目、こちらのほうが可能性は高いかもしれない。
そんなことを考えながら私が戸をあけると、案の定、私の部屋をあさる、大家の姿があった。
可能性その二。大家のがさ入れ。
「・・・・・いやあ、小暮川くんが健全な男子学生らしい生活を送っているか、といったことを管理ならびに監視するのも大家の役割だと思って」
「黙り腐れこのストーカー野郎。私の部屋で何をしていた」
「食料と小暮川クンの隠しているエロ本を探していました」
「食料は常日頃より厳重な管理のもとだ。エロ本なんてものはもとより置いていない」
「またまた~、も~、いい年した男が、エロ本の一冊も持っていないなんて、ありえんてぃーでしょー」
「持っていないと言ったら持っていない。あんたと一緒にしないでほしい」
「私の部屋にあるのはエロ本じゃないさ。同人誌だ」
「似たようなもんじゃねえか」
こいつが来ると、寮の空気が若干変わる。
私にとって、かなり鬱陶しい方向で。
あァ鬱陶しい。面倒くさい。
「長良川さん、大家がめっさ鬱陶しいです」
「わかる、分るぞその気持ち。だがお前は実害を被ってはいない。俺は勝手に侵入された上に財布から二万ひきぬかれた」
「もうそれ訴えてもいいんじゃ・・・・・」
「まあ、今に始まったことじゃねえしな」
「心広すぎるでしょ・・・・・・」
私の言葉に、長良川さんはため息をついて、わかってないな、とでもいうかのように首を振った。
「こんなこと、大家がいなくても日常茶飯事なのさ」
長良川さんには、ともに探偵業を営む相棒がいる。その相棒は三日に一回の頻度で彼の財布から金をくすねるらしい。
「まあ、三日に一回人をぶんなぐるってのも、あまりいい気分じゃねえしな」
呆れたように言う長良川さんだが、それでもやはり彼の心は広い方なのだろう。
さて、様々な諸事情により大家に悩まされる小暮川一世大学二回生今日この頃だが、この三十木寮の複雑な人間関係において、実は私としては、大家はそんなに嫌いじゃなかったりする。
もっとも、嫌いじゃない、というのは私の設定している『嫌いな奴枠』の人数がすでに定員に達しているからであって、この中の一人でも欠けることがあれば大家が入ることは即効で決定するのだが、そう人を嫌ってばかりもいられないので仕方がない。
私はこの『嫌いな奴枠』に入っている十三人を、『嫌い十三人衆』と心の中で密かに命名しているが、実にその半分以上、七名が三十木寮の住人である。
嫌い序列13位、素校哲。嫌い序列7位、九段上下涅槃。嫌い序列6位、樫野愚李子。嫌い序列5位、四国屋黒字。嫌い序列4位、間地破無悪。嫌い序列3位、夏祭名残。そして一つ飛ばして嫌い序列1位、逆木原初子。
ちなみに、これらの半分以上は今後登場の予定はない。
なにはともあれ何が言いたかったのかといえば、私にとっては大家の来訪は衝撃でこそあれ脅威ではなく、少なくとも嫌悪すべきものではなかったということだ。
そもそも家賃をきちんと払える機会は大家来訪の時をおいて他にはないし、年に一度くらいは来てもらわないとむしろこっちが困る。
では私が嫌悪する来訪とはいかようなものか。それこそまさしくほかでもなく、嫌い序列堂々の1位、逆木原初子の来訪である。
嫌いというか、もはや天敵。
絶対に来るなと思えば思うほど来訪が近づく空気の読めない彼女は、大家来訪の翌日にやってきた。
「よっす」
深夜の二時に、私の部屋の窓から。