距離感がおかしい公爵様に毎日心臓を持っていかれる
◆〜第一章:公爵様の【聖域】が壊れた日〜◆
「アルフレッド様、近いです。……いえ、近すぎます」
私は、公爵家の広大な書庫の片隅で、背中の本棚と目の前の“絶壁”に挟まれながら、必死に声を絞り出した。
目の前の絶壁とは、現公爵アルフレッド・フォン・ヴァレリアスの、見事に仕立てられたベストに包まれた胸板のことだ。
「……何がだ? 私はただ、君の肩越しにその資料を見ようとしているだけだが」
「肩越しどころか、私の耳が貴方の顎に当たりそうです……!」
本来、彼は“氷の城壁”と称されるほど、他者との接触を嫌う御方のはずだ。
かつて彼に媚びようと肩に触れた令嬢は、彼が放った魔力の冷気で、一瞬にしてドレスの裾を凍らされたという噂もある。
「私の領域に踏み込むな。不快だ」
そう冷たく吐き捨てる銀色の瞳は、まさに生ける彫像。
彼にとって、自分以外の人間は景色の一部でしかないはずだった。
それなのに、私の前ではどうだろう──。
初めて秘書として書類を届けたあの日から、彼は私の手から紙を受け取ることさえせず、わざわざ私の手の甲に自分の大きな手を重ねて中身を覗き込むようになった。
「公爵様……手が、触れておりますが……」
「そうか? 効率を考えれば、こうして二人で見たほうが早いだろう」
かつて令嬢を凍らせた冷徹な魔力はどこへやら。
私に触れる彼の手のひらは驚くほど熱く、逃げ場を塞ぐように強く絡められている。
防衛を一手に担う天才であり、半径三メートル以内に近づくことすら許されないはずの至宝。
そんな御方が、どういうわけか私に対してだけ、異常なほどに“距離感”というものを消失させていた。
◆〜第二章:日常に潜む“心臓泥棒“〜◆
彼の距離感がおかしいのは、今に始まったことではない。
その“異常”が決定定的になったのは、半年前、公爵様が魔導研究の無理が祟って高熱で倒れた夜のことだった。
普段の威圧感はどこへやら、寝台で荒い息をつく彼は、まるで壊れかけた繊細な魔道具のようだった。
私が看病のために側を離れようとすると、彼はうわ言のように「行くな」と呟き、私の指を折れんばかりの力で握りしめた。
「……寒い。クロエ、もっと近くへ。お前の体温だけが、私を繋ぎ止める」
意識を失いながらも、彼は私を布団の中に引きずり込み、まるで命綱を掴むように私を抱きしめて離さなかった。
そして翌朝、目を覚ました彼は、私の腕の中で平然とこう言ったのだ。
「昨夜、君との境界線が消えた気がした。……二度と、私から離れる距離を作るな」
その日を境に、彼の“半径三メートル”の聖域は、私を閉じ込めるための檻へと変貌した。
◇
∮∮ ティータイムの怪 ∮∮
椅子を隣り合わせに座るのは当たり前。
彼が「その焼き菓子、美味しそうだな」と言えば、私が差し出す前に彼が私の手首を掴み、私の指ごと菓子を口に運ぶ。指先に触れる彼の唇の熱に、私の思考は一瞬で焼き切られる。
∮∮ 執務中の怪 ∮∮
書類をチェックする際、彼はわざわざ私の背後に立ち、包み込むように腕を回してペンを動かす。
私の背中に彼の体温がダイレクトに伝わり、私の集中力は常にゼロだ。
∮∮ 移動中の怪 ∮∮
馬車の中では、広々とした座席があるにも関わらず、なぜか私の隣にぴったりと密着して座る。曲がり角で少し揺れるたび、彼の逞しい肩が私の細い肩にぶつかり、そのたびに私の心臓は跳ね上がる。
◇
「クロエ、顔が赤いぞ。風邪か?」
不意に、アルフレッド様が私の額に自分の額をぴたりと押し当ててくる。
至近距離で見つめ合う銀色の瞳。彼の長い睫毛が私の頬に触れそうで、あまりの美しさに呼吸を忘れる。
「……あ、アルフレッド様のせいです。自覚がないんですか?」
「自覚? 私が君を、片時も離したくないほど愛おしく思っていることの自覚なら、十分にあるが」
さらりと、彼は猛毒──甘すぎる言葉──を吐く。
無表情なまま、けれどその瞳の奥には、獲物を追い詰めた狼のような、熱い光が宿っていた。
◆〜第三章:独占欲は“死角“からやってくる〜◆
ある日の夜会。
私は彼の“連れ“──と言われた──として出席していた。
“氷の公爵”が女性を伴って現れたというだけで、会場の貴族たちは蜂の巣をつついたような騒ぎになったが、当の本人は私を片時も離そうとしない。
会場に入ってすぐ、彼は私の腰を引き寄せ、わざと周囲に聞こえるような低音で囁いた。
「いいか、クロエ。私から一歩も離れるな。どうしても離れるというなら、私の指輪と対になる魔力の枷でお前を繋ぎ止めてもいいんだぞ」
冗談かと思ったけれど、その銀色の瞳は本気だった。
彼は挨拶に来る男たち一人一人を、まるで「これに触れたら命はない」と言わんばかりの冷徹な眼光で威嚇し、わざとらしく私の髪を撫でて、自分が所有者であることを誇示し続けた。
挨拶の合間、私は高鳴る心臓を落ち着かせるため、少しだけバルコニーで涼むことにした。
そこで、一人の若い侯爵子弟に声をかけられる。
「君、ヴァレリアス公の秘書だろう? あんな怖い男の下で働くのは大変じゃないか? よければ僕の──」
その男の手が私の肩に触れようとした──その瞬間。
背後から、圧倒的な冷気と威圧感が立ち込めた。バルコニーの床が、うっすらと霜で白んでいく。
「……私の獲物に、気安く触れるな」
アルフレッド様の声は、凍土の底から響くように冷たかった。
彼は男が触れようとした私の肩を、背後から大きな手で覆い隠すように抱きしめる。
男が恐怖に顔を歪ませる中、公爵様は無表情のまま、男の足元に鋭い氷の棘を突き立てた。
「その汚い手を、次こそは氷像にして砕いてやろう。……失せろ。私の忍耐を試すな」
気づけば、私は強引に後ろから抱き寄せられ、アルフレッド様の腕の中に完全に収まっていた。
彼は私の腰をがっちりと抱き寄せ、もう片方の手で私の顎を上向かせると、男に見せつけるように私のこめかみに深く口づけを落とした。
「アルフレッド様……!? 人が見て……っ」
「見せているんだ。お前が誰のものか、この愚か者に教えてやる必要があるからな」
彼は無表情のまま、けれどその腕の力は、私が痛いと感じるほどに強かった。
男が脱兎のごとく逃げ出すと、アルフレッド様は私をバルコニーの柱に押し付け、さらに距離を詰めた。
逃げ場はない。私の視界は、彼の銀色の瞳と、冷たい香水の匂いで埋め尽くされた。
◆〜第四章:甘い檻、逃げられない境界線〜◆
「……クロエ。お前に触れていいのは私だけだ。お前が他人に許していいのは『視線』だけだと言ったはずだ」
「そんなこと、一度も聞いてません……!」
「今言った。……お前は、自分がどれほど無防備かわかっていない」
彼は私の髪を一房掬い上げ、愛おしそうに唇を寄せる。
その仕草一つ一つが、私の心臓を激しく揺さぶり、削り取っていく。
「アルフレッド様、苦しいです……」
私がそう零すと、彼は腕の力を緩めるどころか、空いた手で私の両手首を頭上の柱へと封じた。
「苦しい? それは恐怖か、それとも──私に触れられている高揚か」
逃げ場を完全に塞がれ、彼の熱い体温がドレス越しに伝わってくる。氷の城壁と呼ばれたはずの彼の体温は、今や私を焼き尽くさんばかりに熱い。
「答えるまで、一ミリも離すつもりはない。お前の呼吸、脈動、瞳の揺れ……そのすべてが私の支配下にあることを、その身に刻み込め」
「近すぎます、アルフレッド様……」
「これでも遠い。お前を魔力で溶かして、私の一部にしてしまいたいほどにはな」
そう言って、彼は私の唇に、触れるか触れないかの距離で囁いた。
熱い吐息が唇を掠め、頭が真っ白になる。彼が指先で私の唇をなぞると、そこから痺れるような魔力が流れ込み、立っていることすらままならなくなる。
「お前が他の男に微笑むたび、私はその男を消してしまいたくなる。……そしてお前を、誰の目にも触れない地下の奥深く、私だけが鍵を持つ檻に閉じ込めたくなる」
狂気すら孕んだその告白は、あまりにも甘美な毒だった。
あと一ミリ、顔を動かせば重なってしまう。その極限の“近さ”に、私は抗う術を持たなかった。
「……いいか、クロエ。私はお前との距離を、ゼロにするつもりはない。マイナスにして、お前の心ごと飲み込むつもりだ。覚悟しておけ」
彼はそう断言すると、ついにその僅かな隙間さえも埋めるように、深く、執拗な口づけを落とした。
それは契約であり、宣告。
今日もまた──私の心臓は彼に盗まれた。
公爵様の異常な距離感。それは、私を一生離さないという、甘く残酷な“囲い込み”の合図だったのだ。
〜〜〜fin〜〜〜
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