プロローグ:天つ風に、調べは乗りて
それは、この大陸の誰もが幼き日に耳にする、御伽話のひとつであった。
「――切に願えば、神様が降りてくださる。魂を削り、天を揺らすほどの調べを紡げば、翠玉の森の主が、そなたの願いをひとつだけ聞き届けてくださるのですよ」
寝物語に語られるその伝説は、かつては世界の真理であった。 天高く、雲の彼方に座す管理神は「歌」を食むという。その神の耳に届くほどの清冽な響き、あるいは魂の深淵を震わせるような絶唱を捧げた者だけが、奇跡を掌に掴むことができるのだと。
古の時代、栄華を極めた王たちは、その座を永遠にするために天を仰いだ。莫大な富を築いた豪商たちは、死への恐怖を拭い去るために金に糸目をつけなかった。 数百年の月日の間、数多の権力者たちが、その伝説を真に受けては贅を尽くした儀式を執り行った。最高の歌い手を、数千、数万と集め、月の光さえも霞むほど黄金の糸で飾られた舞台を用意し、天へと届かんばかりに声を張り上げたのである。
地を震わせるような、重く、勇壮な和太鼓の音。 天を翔け、むせび泣くように空気を震わせる二胡の旋律。 人界の粋を尽くした極彩色の楽は、夜を徹して捧げられた。
けれど。 天から神が降ることは、ついになかった。
どれほど技術を磨こうとも、どれほど声を枯らそうとも、天を分かつ境界の門が開くことはなかった。 人々の熱狂はやがて冷め、願いは文字通り「お伽話」へと成り下がった。熱烈な信仰は、ただの古臭い伝承として人々の記憶の隅で色褪せていった。
なぜなら、欲にまみれた作為的な歌や、形ばかりを整えた生半可な祈りなどは、そもそも天の静寂を揺らすことすら叶わない。 神の耳に届くのは、虚飾を削ぎ落とした先に残る、真実の響きのみ。
こうして、世界から「神の訪れ」への期待が消えて久しい――。




