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推しとたぬきと十一月

十一月、すっかり寒くなってきた。たぬきだって寒いと感じる季節だし、お腹もすく。都会はいつだってキラキラしている。外は寒いけれど、部屋の中はあたたかい。少し前までは熱くて熱くてゆだってしまいそうだったけれど。今日は誰になって、どこにいこうかなぁ。

ーーーーーーーーー


 あー今日も疲れた。おつかれ俺。帰って早く寝たい。でもちょっとだけあそこによろう。彼女に会いに行くんだ。そうしたら、少しだけ元気になるかもしれない。俺の推し。

 引き戸のドアを開けると軋んだ音と活気ある声がした。

「いらっしゃいませー!何名様ですか?空いている席にどうぞ!」

 居酒屋の店主とバイトの子が、ドアの方に顔を向けた。俺は店を見回し、カウンター席に腰を下ろした。カバンを隣に置き、上着を脱ぐ。

「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」

 バイトの子が近寄ってきた。俺の推しは今日も元気だ。

「生ビール1つ」

「かしこまりました。生1つですね。少々お待ち下さい」

 このやりとり。たったこれだけなのに、今日一日の疲れが少しだけ軽くなる気がする。

「生ビールとお通しです」

 静かに目の前に出される生ビールとおとうし。俺はつかれた目を精一杯開けながらグラスに手を伸ばした。小さくいただきますと言ったような気がする。喉に流れ込むアルコールと香りに、眠気もくるが、癒やされる。

「お客様、大丈夫ですか?足元に気をつけてお帰りくださいね」

 心配そうに言う推しの言葉が遠くに聞こえた。

「あーはい、あいがとございまs……」

 呂律が回らないまま、店を出た。外はとても寒かったが、酔いがまわった状態で寒さを感じない。自宅まではそんなに遠くはない。歩いても帰れる距離だ。


 夜風が気持ちいい季節はいつの間にか終わっていた。寒さしかない。風が冷たく体を冷やしてくる。でも今日は彼女に会えたからいいか。また明日も頑張れる。それでも会社には行きたくないなぁ。

「あの」

 途中、誰かに呼ばれたような気がした。最初は無視していたが、何度もこんばんはとという声が聞こえてくるので一度振り返ってみた。だが、誰もいなかった。

「誰もいない」

「あの、」

 俺の目の前に、何者かがあらわれた。

「わぁ!?」

 ピントが合わず、じっくり顔をみてもぼやけてしまって、男なのか女なのかよくわからなかった。ただ、声からして若い男のようなだった。スーツも着ているようだった。

「俺になにかようでしゅか?」

 きちんと対応しようとするが、呂律がまわらない。

「あの、僕もさっきの居酒屋にいたのですが、忘れ物をしていたので追いかけてきました。これどうぞ」

 俺のポケットから落ちたと思われるハンカチを差し出され、受け取った。

「実はお店の人が困っていたので、僕が届けますって言ったんです……。たぶん、僕が一番近くにいたから」

「ああ、それはすみません。ありがとうございました」

 このまま帰るのかと思ったら、男は思いもよらぬ質問をしてきた。

「突然すみませんが、あの居酒屋でお目当ての子でもいるんですか?」

「!?」

 ゴーンと頭の中で酔いが覚めるような音がした。俺の目の前にいるこの男は何を知っていて、何を聞きたいのだろうか?

「だったらなんですか?そんなこと、きみには関係ない」

 少し強気な口調になってしまった。

「それが、関係あるんだなぁ。あの居酒屋のお姉さん、僕のお気に入りなんだよね。お兄さんはストーカーじゃないよね?」

 ドキッとした。

「そんなことあるわけないじゃないか!」

 夜なのに大きな声を出して否定した。とりあえず、こんな路上で立ち話をしても変に思われると思って近くの公園まで移動した。



「じゃあさ、あのお姉さんのどこが好きなの?」

 なぜ、俺は正体不明の男といっしょに彼女の話で盛り上がっているのだろうか。男は居酒屋の常連客で彼女目当てにくる客が結構いることを教えてくれた。俺もその一人ではないかと確認したかったそうだ。不思議とこの男に嫌悪感はなく、どちらかというと彼女のファン仲間のような感覚だった。


「……笑ったときの声」

「へえ、でもわかるなぁ。えくぼができてかわいいよね」

「そうなんだよ」


「……ただ、会えると安心するんだよ」

 俺はぽつりとつぶやいた。

「安心……それって、人間の感情ってやつなのかな」

「あ?お前も人間だろ」


「じゃあさ、あのお姉さんに、もう会えなくなったらどうする?」

「……どうもしない」


「会えなくなったら、それまでだろ」

「寂しくないの?」

「どうだろう。寂しいかもしれないけれど、彼女が幸せだったらいいな、とは思う。俺が寂しいかどうかは、あとで決める」


「変なの。執着しないくせに、ちゃんと好きなんだ」

「好きって、そういうもんじゃないのか」

「ふうん、お兄さんみたいな人もいるんだね」


 どれくらい経っただろう、気づくと公園のベンチで寝ていた。男はどこへいったのだろうか。この時期は寒いはずだが、なぜか寒くなかったのは、俺が寝ていたベンチに大量の落ち葉が降り積もっていたからだ。スーツやシャツの間に細かい枯れ葉が入り込んでいて、払い落とすのに時間がかかった。なんだったのだろうか。狸にでも化かされたような気持ちで俺は家路についた。ふわふわした気持ちで風呂に入って、ベッドへ潜り込んだ。その日はぐっすりと眠れた。


 不思議な出来事のあとほど、いつもどおりの朝がはじまり、いつもどおりの仕事にでかける。目覚ましが鳴り、仕事着に着替え、家をでる。いつもの電車に乗った。定時で仕事が終わり、同僚からの飲みの誘いを断り、スーパーへ立ち寄った。


 スーパーのレジ袋を下げ、居酒屋の前を素通りした。そういう日もあってもいいじゃないか。

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