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わたしのおほしさま

 今年の私の誕生日、推しそっくりの男がケーキを台無しにした。それでも、私はその夜を忘れられない。

 

 私には推しがいる。推しと同じ世界線にいるだけで、私の人生は捨てたもんじゃないと思えた。推しの笑顔や声に、私は何度も救われてきた。そして現在、私の視力が急激に落ちていなければ、目の前にいるのは、まぎれもなく推しだった。


 今日は私の誕生日だが、大人になればただの平日で記念日など関係ない。自分で祝って終わり、当たり前の日常だった。

「いらっしゃいませ、あちらの席へどうぞ」

 仕事帰りにスーパーで買い物をして帰るのが定番だったが、今日は自炊をやめて外食にしようと、こじんまりとしたお店に入った。

「いらっしゃいませ。ご注文が決まりましたらお呼びください」

 店員はいつものセリフで仕事をこなしている。私が誕生日であることなんて気づくはずもない。

「たまにはいいよね」

 私はメニュー表のスイーツを眺めていた。

「あ、ガトーショコラがある……これにしよう」

 暗めの照明にケーキと紅茶が運ばれてくる。陶器の音と紅茶の香り、私は静かに待つ。

「お待たせいたしました」

 スマホがなったが私はスルーをきめた。実家からだったからだ。あとで仕事だといっておこう。今じゃまされたくないナンバーワンだった。落ち着いた音楽が流れている店内で、私以外にも一人で本を読んでいる人やスマホを眺めている人、友達やカップルで楽しくお話している人もいた。私だけじゃない安心感だったり、ほんの少し感じる孤独感だったり。

「ふざけないで!」

 大きな口を開けてガトーショコラを食べているとき、隣から聞こえてきたのは女の人の声だった。向かいの席に座る男に水を思いっきりかけて、立ち上がり店を出ていってしまった。あろうことか、その水は私のケーキと紅茶にも少しかかってしまった。

「うそでしょ」

 絶望感に襲われて、つい声に出してしまった。別れ話はいいけれど、お店の水とか相手にかけたらだめでしょ。女の人のモラルの低さよ。私のケーキにかかっちゃったじゃない。言いたいことはたくさんあった。でも、もう食べられないケーキを前にして、私は席を立つしかなかった。上着を着ようとしていたら、先程水をかけられた男が申し訳なさそうに話しかけてきた。

「すみません、水かかっちゃいましたね。注文しなおしますか?」

 男は顔や髪、服も濡れてしまっていた。マスクとメガネをしていたのか、目元はぬれていないようだった。

「いいえ、大丈夫です。それよりお店の人にタオルとかもらったほうがいいですよ」

 私はこのまま席を立とうとしていたところ、なぜか男も立ち上がり、あろうことか自分の席の伝票と私の席の伝票を持って入口の会計まで持っていってしまったのだ。いそいで追いかけた。

「あの、困ります。自分で払いますので」

 財布を取り出しながら声をかけたのだが、男の動きはスムーズで、すでにカードで支払いを終えてしまっていた。

「いえ、僕の連れが失礼なことをしたお詫びです」

 丁寧な口調の男は背がすらっとして細身のスーツが似合っていた。薄いグレーのスーツだったので、水をかけられたところはしみになっていた。コートは黒のため、着てしまえばしみは一見わからなかった。一緒に店をでて、気まずい空気が流れる中、沈黙を破り切り出したのは男の方だった。

「あの、もしよければですが、まだお時間ありますか?」


−−−−−−−−−−−−


「え、なんですって?」

「少し僕に付き合ってくれませんか?」

 いきなりなにを言い出すのかと思えば、フラレた直後に他の女に告白する神経が理解できなかった。

「ナンパでしたらほかを当たってください。では」

「いえ、違うんです。ナンパじゃなくて、話を聞いてくれるだけでいいんです。これがナンパっていうのかもしれませんが、そういう軽い感じじゃなくて……」

 しどろもどろになっていた男は、本当にナンパという感じで話しかけたわけではなさそうだった。純粋に話を聞いてほしかったように思えた。話だけでも聞いてみようと思ったのは、実は男のカバンについていたアクキーだった。実は私も持っていたのだ。カバンに付けるなんてとてもできない私の推しのアクリルキーホルダー。怒って出ていってしまった女はこの男のこういうところに嫌気が差したのか、はたまた別の理由があったのか。私も突然の出来事で気持ちが昂っていたのかもしれない。せっかくの誕生日を邪魔されたのだから、私も話をしたっていいかもしれない。そういう気持ちもあった。

「いいですよ。すぐそこの居酒屋がありますが、そこに行きますか?」

「はい」

 私と男ははじめましての挨拶もなく、居酒屋に入ることにした。


−−−−−−−−−−−−

「いらっしゃいませー、お客様は2名様ですかー?カウンター席へどうぞー」

 先程は一人だったが、この見ず知らずの男と二人で居酒屋へ入った。

「あらためて、先程はもうしわけありませんでした」

 男は再び謝罪をしてきたので、私はもういいですよと男の顔を見た。

「あれ?あの」

 私の頭はパニックになった。なぜなら、目の前にいる男は私の推しにそっくりの顔をしていたからだ。

「◯◯さんにそっくり……」

「えっとー、あー、よく言われます」

 冷静になってみると、声もどことなく似ているような……もしかして本人なのでは……いやいや、そんなことあるわけがない。

「すみません。私、◯◯さんが推しなので、そのカバンについているアクキー、あなたももしかしたらファンなのかなと思って」

「アクキー、ああ、そうなんです。実は僕もファンなんです。ははは」

 そっくりさんの笑った声は、目の前に推しがいると錯覚してしまうほどで、私の鼓動は早くなっていく。

「ビールでも飲みますか?」

「あ、はい。お願いします」

 お酒なんてあまり飲まないのだが、今日は特別な日だと思って男の話を聞こう。きっと今日でもう二度と会わないだろうし。

「では、かんぱい」

「おつかれさまです」

「お疲れ様です」

 マスクを外してグラスをかたむけた。仕事ではないけれど、つい言ってしまうお疲れ様という言葉。男もお疲れ様ですと返事をしてくれたが、本当に推しに似ていた。気の所為なんかではすまされなかった。

「それにしても大変でしたね。彼女さんには連絡しましたか?」

「え、ああ、違うんです。彼女ではないのですが……」

「え、彼女ではないのに水をかけられたと……一体何をされたのですか?」

「特になにかをした覚えはないのですが……」

 話を聞くと、知人関係だという認識と、付き合っているという認識の違いからあんなことになったそうで。でも、目の前にいる推しのそっくりさんがいたら、勘違いしてしまうのもわかる気がした。

「あの、私は推しがいれば彼氏とかいらないタイプだからよくわからないのですが……あなたのような思わせぶりな態度をとられる男性は、変な女性につきまとわれたり、しつこくされたり、面倒なこと巻き込まれやすいんだと思います。上から目線でもうしわけないのですが」

「なるほど」

 男と話す時間はあっという間に2時間すぎていた。推しの話を少しどころか結構してしまって、目の前にいる推しにそっくりな男は温和な笑みでうなずきながら話を聞いてくれていた。心地よい時間がすぎ、そろそろお店をでなければならない時間になる。

「あの、ありがとうございました。本当にすみませんでした」

「いいえ、こちらこそありがとうございました」

「あの、もし、よければ連絡先とかおしえていただけませんか?」

「私?私?うそ、いやないわ、ないない。偶然であって、きっともう二度とすれ違っても声をかけないという感じの関係ですよね」

「あなたって、すごい偏った考え方していますよね。でも、もしできたらでいいのですが、またお話とかできたらと思って……」

「推し仲間ということでいいですか?」

「はい、それでいいです」

 こうやって、ナンパに捕まる女がいるんだろうなぁ。そう思って、私は連絡先を交換した。


−−−−−−−−−−−−

 それから、男からの連絡はなかった。当たり前田のクラッカーだ。あの日は仕事をこなして家に帰るルーティンに、たまたま推しのそっくりさんが現れた。ただ、それだけだ。偶然はそう何度もやってこない。

「うーん、本当、推しそっくりだったなぁ」

 パソコン業務をしながら、ふとあの夜を思い出す。推しの話をして盛り上がったのは意外だったが、今まで一人で推し活をしてきたから、どこまで話してよいのか歯止めがきかなかったのは反省点だと思う。

「ん、メール」

 休憩中、一通のメールが届いた。あの夜の男だった。

「お仕事お疲れ様です。あの、今夜もしお時間あればご飯でも行きませんか?」

 ご飯のお誘いメールだった。私は仕事を早く切り上げようと思った。

「ご飯、いいですね、19時くらいでよければ、この間の駅で待ち合わせでいいですか」

 返信をしたら、すぐに既読がついて、わかりましたと一言だけ返信がきた。

「よし、がんばろ」

 私はめずらしく仕事に集中した。


------------

 駅の改札をでて、グレーのスーツに黒いコートを羽織った男を見つけた。歩いている人はほとんどスマホをいじっているせいで、彼の存在に気づいていないし、話しかけていない。ただ、遠くで見ても推しにそっくりだった。まさか、そんなことありえない。もしそうだったとしても、知らないフリをしようと決めていた。

「お疲れ様です」

「こんばんは。お疲れ様です」

 マスクとメガネをしていても、声や笑顔も私の推しそのものだった。平常を装い、仕事モードで返事をする。

 私も茶系のコートで身を包み、スニーカーにリュックと歩きやすい服装で仕事をしている。

「そういえば、先日、推しのナレーション見ましたか?」

「えっ、あー、仕事中で見られませんでした」

 そうですかーという言葉とともに、というか、あなたがしていた仕事ですよねと返したくなる言葉をぐっとこらえてのみこんだ。

「推しの声って、すごくわかりやすい話し言葉で、すっと耳に入ってくるんですよね。本当に不思議なんですけれど」

 推し仲間として話すのであれば、遠慮なく話すことができた。

「そうですか……」

 男は時折、顔を赤くしたり、小声になったり、表情がころころかわるわかりやすい人であった。もう、それファンだったらばれちゃいますよ。大丈夫です?こんなんで今までバレずにやってこられたんですか?と心の声が大きくなっていくのがわかった。


「今度、推しのバースデーイベントがありますね。行かれるんですか?」

「あー、その日は仕事が入っていて……」

「残念です。ご一緒できればと思っていたりしていたので」

 少し意地悪い言い方だっただろうか。しかし、もし、本当に目の前にいるのが推し本人なら、素性を明かそうとしたら、もう二度と会うことはないだろう。推しだって人間だ。日常生活に、推しのファンがいるだけでも気を遣うだろうし、疲れるだろう。知らないままのほうがいいことだってあるはずだ。


「レポしますね」

 私は、イベントのレポを後ほど送ろうと思っていたので、特に何も考えることなく伝えたのだが、彼は少し間を置いてから、照れくさそうな顔をして返事をした。

「はい、ありがとうございます。待っています」


「お仕事は忙しいんですか?」

 また少し間があってからの返事がかえってくる。

「はい。まぁまぁです」

 私達はご飯を食べながら、

「あの、大変言いにくいのですが、彼女さんとはどうなりましたか?」

「それは、大丈夫です。ちゃんと説明して別れました」

「そうなんですね。モテる方は大変ですね」

「いや、そんなことは」


 相手の困っている顔を見て、ハッとした。私は推しに似ている誰かを、推しの代わりに困らせているのかもしれない。その罪悪感が一気に押し寄せ、謝罪をした。

「すみません、意地悪な言い方をしてしまいました。自分でも直さないとと思っているのですが」

 やってしまった。自分の卑屈な性格を呪いたくなった。だが、言ってしまったことはもうもとには戻せない。

「今日は帰ります」

 もう、会わないほうがいいかもしれない。私の推しと目の前にいる推しに似ている人を混同させてはいけない。これからこの先、彼とどうなりたいとかはないのだ。私は推しを応援しているどこにでもいるファンであって、推しと付き合いたいとか、推しに認知されたいとかはまったくないのだ。

 

「今度、いつ会えますか?」

 彼の思わせぶりな発言は、とても危険だ。

「すみません。仕事が忙しくて、お約束はできません。ただ、またいつかお会いできたら嬉しいです。とても楽しい時間をありがとうございました。これからも応援していますね」

 誰にでも言うような当たり障りのない言葉を残し、私は別れを告げた。これでいい。そう言い切るために、私は強く息を吸った。夜風が少しだけ気持ちよく感じた。

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