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第5話 鉄壁の証明と、静寂の喝采と

 闘技場は熱気と、そして悪意に満ちた期待に満ちていた。

 観客席にはほとんど全ての訓練生と教官たちが集まっている。彼らの目的は一つ。エリート候補生クラウスが落ちこぼれのリナを完膚なきまでに叩きのめす様を、その目に焼き付けることだ。


「おい、始まるぞ」

「三分もつかな?」

「カイエン教官の奴、どんな顔するだろうな」


 そんな囁きが闘技場のあちこちから聞こえてくる。

 闘技場の中央、リナは小さな身体を震わせながら木剣を握りしめていた。

 対するクラウスは自信に満ちた笑みを浮かべている。その手には騎士団から貸与された、新人には不相応な業物の木剣が握られていた。


 審判役の教官が気のない声で試合開始を告げる。


「両者、構え。……始め」


 その合図と同時にクラウスが動いた。

 彼は獣のような速さで距離を詰め、リナに猛攻を仕掛ける。

 上段からの振り下ろし、胴を狙う横薙ぎ、足元を払う鋭い一閃。新人とは思えぬ苛烈な連続攻撃だった。


 観客席からどよめきが起こる。


「すげえ……クラウスの奴、もうあんなに動けるのか」

「あの落ちこぼれじゃ一撃も受けきれまい」


 だが。

 リナは倒れなかった。

 彼女は俺が指示した通り攻撃を一切行わない。ただひたすらに重心を低く落とした防御姿勢【アイアンスタンス】を維持し、クラウスの攻撃を木剣で受け流し、捌き続けていた。


 ガキン、と甲高い音が響く。

 リナの身体が衝撃で大きく後退する。

 しかし彼女の構えは崩れない。まるで大地に根を張った若木のように、しなやかに、そして頑強にその場に立ち続けていた。


「な……」


 クラウスの顔から余裕の笑みが消えた。

 なぜだ。なぜ倒れない。自分の攻撃は並の新人なら一撃で戦闘不能になるほどの威力のはずだ。それなのに目の前の少女は、顔を歪め苦痛に耐えながらも、確かに全ての攻撃を受けきっていた。


 観客席の空気も徐々に変わり始めていた。


「おい、どうなってるんだ?」

「あいつ、なんで倒れないんだ……?」


 嘲笑は困惑へ。そしてその困惑は、やがて信じられないものを見るかのような驚愕へと変わっていく。

 教官たちが座る一角で一人の男が唸った。


「あの構え……なんと無駄のない。全ての攻撃の威力を足の裏から地面へ逃がしているのか……? 馬鹿な、新人にできる芸当ではないぞ」


 騎士団長もまた腕を組み、鋭い視線で闘技場の中央を見つめていた。その視線の先にあるのはリナではなく、少し離れた場所で戦況を見守る俺の姿だった。


 ◇     ◇     ◇


「ちぃっ……」


 クラウスは苛立ちから舌打ちをした。

 彼のプライドはずたずたに引き裂かれていた。落ちこぼれをいたぶるだけの簡単な余興のはずだった。それがどうだ。自分はただひたすらに防御を固めるだけの相手を、いまだに崩せずにいる。


「これで、終わりだぁ」


 焦りと怒りに駆られたクラウスは、ついに最大の切り札を切ることにした。

 彼は大きく後ろに跳躍し距離を取る。そして業物の木剣を上段に構えた。

 スキル【隼斬り(ファルコンスラッシュ)】。新人の中では破格の威力を持つ彼の必殺技だ。


 観客席が再びどよめく。


「あれは、クラウスの……」

「あんなものを食らったらただでは済まないぞ」


 クラウスの身体から魔力が立ち上る。

 彼は勝利を確信していた。

 そして技を放つため、大きく左足を踏み込んだ。

 その瞬間。

 俺は叫んだ。


「そこだ」


 俺の声は闘技場に響き渡った。

 それはリナへの合図。

 彼女は俺の指示通り、クラウスの他の動きは一切見ていなかった。ただ一点、彼の左足の動きだけを瞬きもせずに凝視していた。


 左足が踏み込まれる。

 リナは条件反射で身体を動かした。

 それは攻撃ではなかった。ただ半歩だけ右に身体をずらしただけだ。


 次の瞬間、クラウスの【隼斬り(ファルコンスラッシュ)】が、リナが先ほどまでいた空間を轟音と共に通り過ぎていった。

 必殺技を空振りさせられたクラウスの身体は、勢い余って大きく体勢を崩す。

 その完全な無防備状態になった彼の脇腹に。

 リナが、ぽすん、と木剣の柄頭を軽く押し当てた。


「……え?」


 クラウスが間の抜けた声を上げる。

 次の瞬間、彼の身体はバランスを失い、無様に横転し闘技場の外へと転がり落ちた。


 しん……。

 あれほど騒がしかった闘技場が、水を打ったように静まり返る。

 誰もが目の前で起きた出来事を理解できずにいた。

 審判役の教官が我に返ったように、震える声で宣告する。


「……しょ、勝者、リナ・アシュフィールド」


 その声が静寂を破った。

 しかし喝采は起こらない。ただどよめきだけが波のように広がっていく。

 リナ自身も何が起きたのかわからず、闘技場の中央で呆然と立ち尽くしていた。


 俺はそんな彼女の元へゆっくりと歩み寄る。

 そして闘技場全体に響き渡るように、静かに、しかしはっきりと告げた。


「言ったはずだ。俺の弟子が貴様ごときに負けるはずもない、と」


 嘲笑していた生徒や教官たちが信じられないものを見る目で、俺とリナを見つめている。そうだ、その顔が見たかった。侮蔑と嘲りが驚愕と困惑に変わるその瞬間を。

 これは始まりに過ぎない。俺とリナの、そしてこの騎士団の常識を覆す物語の、ほんの序章に過ぎないのだ。

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