第35話 再鍛の始まりと、探求者と、招待状と
その日から第三特務分隊の兵舎は戦場と化した。
ゴウッと空気を裂く重い風切り音。
兵舎の中央でアッシュが鉄の棒を振るっていた。それは剣などという生易しいものではない、ただの重く分厚い鉄の塊だ。以前の彼なら持ち上げることすら困難だっただろう。
だが彼は歯を食いしばり、全身の筋肉を軋ませながらそれを振り続けていた。
一振りごとに額から滝のような汗が舞い散り、床に黒い染みを作っていく。
才能だけで振るっていた彼の剣は黒霧の森で折れた。
今、彼が振るっているのは、ただひたすらに己が魂の『重み』を乗せた一撃だった。
「――遅ぇんだよ!」
その重い一撃をクロエが二本の短剣を交差させて受け止める。
ガキンと甲高い金属音が響き、彼女の身体が大きく後退した。
だがその足は決して大地から離れず、僅かな隙すら見逃さないと目を血走らせていた。
そしてその二人が激しく打ち合う嵐のど真ん中。
そこにフィンは立っていた。
彼は目を閉じただひたすらに呪文の詠唱に集中している。
すぐ側をアッシュの鉄塊が轟音と共に通り過ぎ、クロエの短剣が鋭い風を切る。
一歩間違えばその身が引き裂かれ潰されかねない極限の状況。
だが彼の心は不思議なほどに静かだった。
仲間を信じる。そして自分を信じる。その覚悟が彼の恐怖を研ぎ澄まされた集中力へと昇華させていた。
その全てをリアムが腕を組んで見つめていた。
彼の戦場は盤上から目の前で戦う三人の仲間たちそのものへと移行している。
「アッシュ、予備動作が大きすぎる。クロエに読まれるぞ!」
「クロエ、受ける位置が高い! もう少し引きつけてから捌いて隙を作れ」
「フィン、詠唱完了まであとコンマ二秒縮めろ。今のままでは追撃に間に合わん」
彼の的確な指示が三人の動きを一つの生き物のように連動させていく。
彼らはその地獄のような訓練を来る日も来る日も、ただ黙々と続けた。
傷つき倒れ、それでも立ち上がり互いを高め合っていく。
その姿にかつての『お荷物』たちの面影はない。
そこにいるのはただ頂を目指す、飢えた探求者たちだけだった。
◇ ◇ ◇
そんな日々が一ヶ月ほど続いたある日の午後だった。
第三特務分隊の常軌を逸した訓練は、いつしか騎士団内でも噂となっていた。
「おい聞いたか。第三分隊の連中、カイエン教官にしごかれて死人みたいになってるらしいぞ」
「ああ。だがその実力はもはや上級騎士にも匹敵するとか……」
「もともと天才の集まりだったらしいが。それでも異常すぎる」
噂を口にする彼らの顔には以前のような侮蔑は消え、好奇と、そして微かな畏怖が浮んでいた。
誰もが遠巻きに眺めるボロボロの兵舎には、今日も鉄と鉄がぶつかり合う激しい音が響き渡っていた。
だがその音が不意に止んだ。
兵舎の前に一台の、場違いなほど豪奢な馬車が停まったからだ。
黒塗りの車体には金色の装飾が施され、扉には紋章が刻まれている。
それはこの国の王家を示す金獅子の紋章だった。
何事かと兵舎から顔を出した俺たちの前に、馬車から一人の使者が降り立った。
身なりの良い彼は、俺の姿を認めると恭しく洗練された礼を取った。
「貴方がカイエン・マーシャル教官殿でお間違いないでしょうか」
「……いかにも」
俺が短く答えると、使者は懐から一通の手紙を差し出した。
ひと目見てわかる最高級の羊皮紙に重厚な封蝋。
封蝋に刻まれているのは王家の紋章の中でも、特に高貴な者だけが使うことを許された一輪の薔薇をあしらった特別な印。
「我が主、王女エレオノーラ・ゾル・ヴァンドール殿下が、貴殿との謁見を心よりお待ち申し上げております」
その名が出た瞬間、リアムたちが息を呑んだのがわかった。
エレオノーラ・ヴァン・ドール。
王女という立場でありながら、自ら剣をとり戦場で戦う『戦姫』とあだ名される、最強の武人王女。
やれやれ。
「鬼教官カイエンが、落ちこぼれを最強の部隊へ変貌させた」――その噂は、どうやら王城の奥深くに座す、戦好きの王女様の耳にまで届いてしまったらしい。
手の中の召喚状を一瞥し、俺はこれから始まるであろうさらなる面倒事に、深いため息をつくのだった。
これにて第三章:第三特務部隊篇は完結です。
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