第34話 夜明けの誓いと、ガラクタの再鍛と、新たな伝説の始まりと
黒霧の森から帰還した翌朝。
第三特務分隊の兵舎は奇妙な静寂に包まれていた。
それは昨日までの怠惰や反抗心に満ちた静けさではない。死線を潜り抜け己の無力さを骨の髄まで味わった者たちだけが纏うことができる、張り詰めた、しかしどこか澄み切った空気だった。
一番に目を覚ましたのはリアムだった。
彼は脇腹の傷の痛みに顔を歪めながらも、ゆっくりと身体を起こす。そしてまるで何かに引き寄せられるように、あの古い作戦机の前へと立った。
盤上には俺が任務前に並べた駒がそのまま残されている。
赤い駒が四つ。青い駒が十個。
彼はその駒をただじっと見つめていた。この盤上の遊戯では彼は勝利した。だが現実は……。
やがて他の三人も次々と目を覚ました。
アッシュは枕元に置かれた無惨にへし折れた愛剣の柄を、ただ黙って握りしめている。
クロエは包帯が巻かれた肩にそっと触れ、何かを確かめるようにぎゅっと拳を握った。
フィンはもう部屋の隅で震えてはいなかった。彼はベッドの上に座ったまま仲間たちの背中を、一人一人その目に焼き付けるように見つめていた。
誰も口を開かない。
言葉は不要だった。
あの森で彼らは確かに一つのチームになった。そして同時に完膚なきまでに叩きのめされたのだ。その共有された記憶が言葉以上の絆となって彼らを結びつけていた。
最初に沈黙を破ったのはリアムだった。
「……俺たちは、弱かった」
それは自嘲でも後悔でもない。ただ揺るぎない事実として彼はそう口にした。
アッシュが折れた剣の柄を握りしめたまま、静かに頷く。
「ああ。……情けねえほどにな」
クロエが壁に寄りかかりながら、吐き捨てるように言った。
「……結局あいつがいなけりゃ、死んでただけだ」
そしてフィンが初めて震えのない、はっきりとした声で言った。
「……僕は何もできませんでした。また足手まといに……」
その重い空気を断ち切るようにリアムは顔を上げた。
「だが」
彼の声には力が宿っていた。
「俺たちはもうあの時の俺たちじゃない」
彼は仲間たちの顔を一人一人見回す。
「俺たちは自分たちの現在地を知った。そして目指すべき場所がどれほど高い場所にあるのかもな」
彼は兵舎の扉を、まるでそこに俺がいるかのようにまっすぐに見据えた。
「俺たちにはあの頂へと続く道を示してくれる師がいる。……あとは俺たちが死に物狂いで、その道を駆け上がるだけだ」
その言葉にアッシュが、クロエが、そしてフィンが力強く頷いた。
夜明けの光が兵舎の窓から差し込み、彼らの決意に満ちた顔を照らし出す。
それは敗北から生まれた静かで、そして何よりも固い誓いだった。
◇ ◇ ◇
俺が兵舎の扉を開けたのはちょうどその時だった。
四人は俺の姿を認めると一斉に立ち上がり、完璧な直立不動の姿勢を取った。
その瞳にもはや以前のような反抗の色も恐怖の色もない。
ただ自分たちを叩き直し、あの底知れない師の背中に一歩でも近づきたいという純粋な渇望だけが燃え盛っていた。
「……いい顔になったな」
俺は静かに告げた。
「敗北を知った、戦士の顔だ」
俺は部屋の中央へと進み出る。
「貴様らの今までの訓練は終わりだ。今日から本当の『指導』を始める」
俺はまずアッシュに向き直った。
「アッシュ。貴様の剣は折れた。それでいい。才能だけで振るう剣など、その程度の脆さだということだ」
俺は兵舎の隅に立てかけてあった訓練用の重い鉄の棒を彼に投げ渡した。
「これからはそれが貴様の剣だ。これを羽のように軽く振れるようになるまで、二度と本物の剣を握ることは許さん。俺が貴様に教えるのは剣の振り方ではない。一撃に己が魂の『重み』を乗せる方法だ」
次にクロエ。
「クロエ。貴様は盾になることを覚えた。だがただ守るだけの盾は、いずれ砕け散る運命だ」
俺はアッシュを指差す。
「貴様の次の課題はアッシュの組手相手だ。ただし貴様から攻撃することは一切禁ずる。アッシュが振るうその重い一撃を全て捌ききり、その上でカウンターのための一瞬の隙を作り出せ。俺が貴様に教えるのは防御術ではない。敵の力を利用し己が牙へと変える『反撃術』だ」
そしてフィン。
「フィン。貴様は恐怖を乗り越えた。だがその魔法はまだあまりに無防備で、そして遅すぎる」
俺はアッシュとクロエを指差す。
「貴様の課題はあの二人が本気で打ち合っている、その嵐の中心で詠唱を完了させることだ。少しでも集中を乱せば貴様の魔法は仲間を傷つける凶器となる。俺が貴様に教えるのは魔法の威力ではない。どんな極限状況でも冷静に、そして最速で味方を勝利へ導く『戦場の眼』だ」
最後に俺はリアムに向き直った。
「そして貴様だ、リアム。貴様の課題が最も難しい」
俺は三人の弟子たちを手で示す。
「この生まれ変わろうとしている三つの才能。それらをただの足し算ではなく掛け算へと昇華させろ。アッシュの剣を、クロエの盾を、フィンの魔法を、一つの生き物のように連動させ戦場で完璧な狂詩曲を奏させろ。貴様の戦場はもはや盤上ではない。彼ら自身だ」
俺が与えたあまりにも過酷で、そして無茶苦茶な課題。
その全てが俺がやり込んだ『アークス・サーガ』における、各クラスの役割を極限まで高めるための最も効率的な育成理論に基づいていた。
アタッカーのモーション最適化、タンクのカウンター技術、キャスターの高速詠唱と状況判断力。そしてそれらを統括するプレイヤーの戦術眼。
これは俺のゲーム知識の集大成だった。
だが四人の瞳には絶望の色はなかった。
彼らは互いの顔を見合わせると一つの意志を持って、力強く頷いた。
そして四つの声が完璧に重なり合った。
「「「「はい、マスター」」」」
第三特務分隊という名の四つのバラバラだったガラクタが、本当の意味で一つの魂を持つ「チーム」になった、その瞬間だった。
俺はこれから始まるであろう本当の狂詩曲の始まりに、静かに胸を高鳴らせるのだった。




