第33話 敗北の意味と、静かなる帰還と、団長の評価と
黒霧の森からの帰路は行きとは比べ物にならないほど、重苦しい沈黙に包まれていた。
俺は先ほどと同じように彼らから十数メートル離れた後方を歩いている。だが彼らが俺に向ける意識はもはや以前のような反発や好奇ではない。絶対的な存在に対する畏怖そのものだった。
彼らは誰一人として口を開かなかった。
ただ黙々と、しかし互いを庇い合うように陣形を維持したまま歩き続けている。
リアムは脇腹の傷を押さえながら、指揮官として常に周囲への警戒を怠らない。だがその思考は先ほどの戦いを何度も反芻していることだろう。自分の指揮の限界、そして俺が示したあまりにも次元の違う戦術。
クロエは肩の傷の痛みに耐えながら、時折自分の背後を歩くフィンの気配を確かめている。彼女の中で「守る」という戦い方が確かな重みを持って根付き始めていた。
アッシュは折れた愛剣の柄をただ固く握りしめている。彼のプライドは剣と共に砕け散った。そして残されたのは天才という驕りを失った、純粋な剣士としての渇望だった。
フィンはもう震えてはいなかった。ただ仲間たちの背中を、そしてその後ろにいる俺の存在を確かめるように何度も、何度も振り返っていた。
彼らは任務には成功した。第二騎士隊を壊滅させた脅威の正体を突き止め、そして生還したのだから。
だが彼らの心にあるのは達成感ではない。
完全な、そして屈辱的なまでの「敗北感」だった。
俺という存在がいなければ自分たちは確実に死んでいた。その事実が重い枷のように彼らの足取りを重くしていた。
◇ ◇ ◇
騎士団の城門が見えてきた時、見張りの兵士たちが俺たちの姿を認めて騒然となった。
「……第三特務分隊だ」
「生きて帰ってきたのか……」
「だがなんだ、あの雰囲気は……」
彼らは勝利の凱旋を予想していたのだろう。だが帰還した俺たちはまるで葬列にでも参加しているかのように、静かでそして暗かった。
俺は団長室へ向かうようリアムに目配せすると、他の三人を連れて先にあのボロボロの兵舎へと戻った。
アッシュもクロエもフィンも、何も言わずにただ黙って俺に従う。
兵舎に戻ると彼らはそれぞれのベッドに倒れ込むようにして、泥のような眠りに落ちていった。
彼らの戦いは終わったのだ。
◇ ◇ ◇
一方、リアムはたった一人、団長室の前に立っていた。
彼は深呼吸を一つすると重い扉をノックした。
「第三特務分隊隊長、リアム・ヘイワード。任務完了の報告に参りました」
部屋の中には騎士団長が一人で待っていた。
リアムは机の上に泥と血にまみれた第二騎士隊の隊旗を静かに置いた。
「……第二騎士隊はおそらく全員死亡。敵は霧幻の狩人と呼ばれる魔物。複数体で組織的な連携攻撃を仕掛けてきます」
彼は淡々と事実だけを報告した。
言い訳も弁明も一切ない。
「我々も交戦しましたが……敵わず。カイエン教官の介入により辛うじて生還いたしました。……以上です」
彼は全てを話し終えると、団長の処分を待つ罪人のようにただ頭を下げた。
団長はしばらくの間、何も言わなかった。
ただ机の上に置かれた隊旗と、目の前で頭を下げている若者の姿を静かに見つめていた。
やがて彼は重々しく口を開いた。
「……顔を上げろ、リアム・ヘイワード」
リアムがおそるおそる顔を上げる。
団長の顔には怒りの色も失望の色もなかった。
「貴様はこの任務を『敗北』だと思っているようだな」
「……はい。俺の指揮では仲間を守りきれませんでした。マスターがいなければ俺たちは……」
「違う」
団長はリアムの言葉を遮った。
「俺が貴様らに課した任務は偵察任務だ。生きてその情報を持ち帰ること。貴様らはそれを成し遂げたのだ。恥じることはない」
「……え?」
リアムが信じられないという顔で団長を見つめる。
団長は続ける。
「貴様は仲間を見捨てず、指揮官として最後まで戦い抜いた。そして生きてここにいる。……任務は成功だ。見事だった、リアム隊長」
その思いがけない言葉。
リアムの瞳から何かが静かに零れ落ちた。
それは悔しさか、安堵か、あるいはその両方か。
「……だが勘違いするな」
団長は厳しい声で付け加えた。
「貴様らが弱いということにも変わりはない。カイエンという規格外がいなければ死んでいたという事実もな」
彼は立ち上がると窓の外、第三特務分隊の兵舎がある方角を見つめた。
「……自分たちが弱いということに失望したか?」
その問いにリアムは目元を拭い、きっぱりと答えた。
「……いいえ。俺たちはただ自分たちの現在地を知っただけです。……そして目指すべき場所がどれほど高い場所にあるのかも」
その言葉に団長は初めて満足げな笑みを浮かべた。
「……よかろう。下がれ。そしてゆっくり休め。貴様らの本当の戦いはこれからだ」
リアムは力強く頷くと敬礼し、団長室を後にした。
彼が兵舎に戻ると、そこには眠りから覚めたアッシュ、クロエ、フィンが彼を待っていた。
彼らは何も聞かなかった。
ただ隊長の帰りを待っていたのだ。
リアムはそんな仲間たちの顔を一人一人見つめると、静かに、しかし力強く言った。
「……訓練を始めるぞ」
その言葉に三人は黙って頷いた。
彼らの瞳にもはや以前のような反抗の色も恐怖の色もない。
ただ自分たちを叩き直し、あの底知れない師の背中に一歩でも近づきたいという純粋な渇望だけが燃え盛っていた。




