第32話 鬼教官の蹂躙劇と、攻略法と、絶対的な力と
「――そこまでだ」
俺の声はまるで絶対零度の刃のように、戦場の熱狂と絶望を一瞬で切り裂いた。
リアムたちがハッとして声のした方を見る。
そこにはいつの間にか一人の男が立っていた。
霧の中から音もなく姿を現した俺――カイエン・マーシャルが。
「貴様らの『試験』はここで終わりだ」
俺はまるで散歩でもするかのような落ち着き払った足取りで、絶望の淵に立つ弟子たちと勝利を確信している三体の霧幻の狩人たちの間に、ゆっくりと歩みを進めていった。
狩人たちの赤い双眸が一斉に俺へと向けられる。
新たな獲物の登場に、その瞳が愉悦の色に揺らめいた。
一体が試すように俺に向かって音もなく爪を振り下ろす。
だが俺は避けない。
その爪が俺の喉元に届く寸前、俺はただ指を一本立てた。
俺の指先と狩人の爪が触れるか触れないかの距離で、ぴたりと静止する。
狩人の身体がまるで金縛りにでもあったかのように動かなくなった。
「な……」
リアムが信じられないものを見る目でその光景を凝視している。
(ゲーム時代の攻略法が使えることは今までの経験でわかってはいたが、実戦ともなるとやっぱり肝が冷えるな)
俺が指一本で霧幻の狩人の攻撃を防げたのにはもちろん理由がある。
ゲームの仕様かバグかはわからないのだが、霧幻の狩人の攻撃にタイミング良く魔力を込めた攻撃を当てると、しばらくの間相手は何故か硬直するというものがあった。
つまり俺は自分の指先に小さな魔力球を形成し、霧幻の狩人の攻撃にカウンター気味にその魔力玉を纏った指先を当てたのである。
「……ガラクタ共。よく見ておけ」
俺は弟子たちに背を向けたまま静かに告げた。
「これが貴様らが相手にしていたものの本当の姿だ」
俺は立てた指先の米粒ほどの魔力をさらに集中させる。
そして静止した狩人の霧でできた身体の中心、その一点に向かってそれを弾いた。
それはリナやフィンが見せたような派手な魔法ではない。
ただ純粋な魔力の塊。
だがその小さな光が狩人の身体に触れた瞬間、キシャァァァァァァァという断末魔と共に、狩人の身体は内側から弾け飛び一瞬で霧散した。
「……は?」
アッシュが間の抜けた声を上げる。
残った二体の狩人も仲間が一撃で、しかも理解不能な方法で消滅させられたことに明らかな動揺を示していた。
奴らは知性ある狩人だ。だからこそ未知の脅威に対し即座に飛びかかるのではなく、距離を取り警戒し、俺という存在を分析しようとしていた。
その奴らが作り出した僅かな時間が、俺にとっては十分すぎた。
俺は続ける。
「貴様らはこいつらをただの獣だと思っていたようだが違う。こいつらは霧でできた身体を持つ半実体の魔物だ。斬撃や刺突は、その身体を霧状に変化させて無効化する。だがその能力には弱点がある」
俺は呆然とする弟子たちに、この世界の「攻略法」を教えてやる。
「奴らの核は霧の身体の中心にある魔力の凝縮体だ。そこを破壊しない限り奴らは何度でも再生する。フィン!」
俺は岩の上で震えている魔術師を呼んだ。
「雷系統の魔法を奴らの身体の中心、最も魔力が濃い一点に集中させろ。雷は霧状の身体を維持する魔力を最も効率よく乱すことができる」
「アッシュ!」
俺は折れた剣を握りしめている天才に目をやる。
「剣が折れたなら好都合だ。柄を使って奴らの半実体化した関節を狙え。奴らの身体には斬撃よりも衝撃を与える打撃の方が有効だ」
「クロエ!」
そして肩の傷を押さえている戦闘狂。
「奴らの爪は霧を凝縮させて作り出している。一度破壊されれば再生には約二秒のタイムラグが生じる。その隙を突け。防御ではなくカウンターを狙え」
俺の言葉は魔法だったのかもしれない。
絶望に染まっていた彼らの瞳に再び闘志の光が灯っていく。
それはもはやただのがむしゃらな闘志ではない。
明確な「勝算」に基づいた戦士の光だった。
「……やれるのか。俺たちでも」
リアムが掠れた声で呟く。
「やれ」
俺は短く命じた。
「俺の言う通りに、ただ動け」
警戒していた二体の狩人がついに痺れを切らし、左右から同時に襲いかかってきた。
だか、もはや彼らは脅威ではなかった。
「フィン、右の個体、三時の方向」
リアムの的確な指揮が飛ぶ。
「は、はい」
フィンの杖先から放たれた雷の矢が狩人の胸の中心を正確に撃ち抜いた。狩人の動きが一瞬明らかに鈍る。
「アッシュ、その隙を突け。膝だ」
「おうよ」
アッシュは折れた剣の柄を逆手に持つと、神速で敵の懐に潜り込みその膝の関節を渾身の力で打ち砕いた。
ゴッと鈍い音が響き、狩人が体勢を崩す。
「クロエ、今だ」
「しゃあ」
クロエは体勢を崩した狩人の爪を短剣で受け流す。そして再生が始まる前の僅か二秒の隙。彼女のもう一本の短剣が、雷に打たれて露出した敵の核を深々と突き刺した。
狩人は断末魔を上げる間もなく霧散した。
残るは一体。
最後の狩人は仲間たちが次々と倒されていく様に初めて恐怖の色を見せていた。
そしてその憎悪と恐怖の全てを、この戦況を支配している俺へと向けた。
奴は弟子たちを無視し、一直線に俺へと突進してくる。
「マスター!」
リアムが警告の声を上げる。
だが俺は動かない。
「……これが貴様らと俺との絶対的な差だ」
俺はただ右手を前に突き出す。
(こいつらとはゲーム時代に何度もやり合った。だから動きもその弱点へ続く唯一の隙も手に取るようにわかる)
俺は掌に先ほどと同じ米粒ほどの魔力弾を形成する。
それは強大な魔力の塊ではない。だがその一点に込められた密度と魔力の回転は、異常なまでに精密に制御されていた。まるで鍵穴にぴったりと合う一本の鍵のように。
基本的な攻撃魔法の一つ。
だが基本故に様々な応用が利くため、俺はゲームでもよくこの魔法を使っていた。
「マスター!」
リアムたちが悲鳴のような声で俺の名を呼ぶ。
そして狩人が俺の目の前に迫り、その爪が俺の心臓を抉ろうとした、その瞬間。
俺の指先から圧縮された魔力弾が静かに放たれた。
光も音もなかった。
ただ狩人の身体がまるで存在そのものを消し去られたかのように、跡形もなく消滅した。
◇ ◇ ◇
空洞に完全な静寂が戻った。
後に残されたのはボロボロの弟子たちと、そして指先から立ち上る微かな魔力の煙を吹き消す俺の姿だけだった。
四人はただ呆然と、その光景を見つめていた。
自分たちが命を賭して、それでも敵わなかった相手を、この男はまるで虫でも払うかのように指先一つで消滅させた。
それはもはや強いとか弱いとか、そういう次元の話ではなかった。
絶対的な知識と格の違い。
彼らはこの瞬間、骨の髄まで理解したのだ。
自分たちがどれほど未熟で、そして自分たちの師がどれほど底知れない存在であるのかを。
俺はそんな彼らに静かに告げた。
「……これが貴様らの現在地だ。この敗北を忘れるな」




