第3話 嘲笑と、二つ目の課題と、才能の芽生えと
数日が過ぎ、リナは毎日黙々と岩を叩き続けた。その姿は騎士団内ですっかり「カイエン教官に潰される可哀想な落ちこぼれ」として定着していた。
そんなある日のことだった。
「おい、そこの落ちこぼれ。いつまでそんな無駄なことをやっているんだ?」
甲高い声がリナの動きを止めた。
声の主はクラウス。貴族出のエリート候補生で、原作ゲームでも序盤に主人公のライバル気取りで絡んでくる典型的な嫌味なキャラクターだ。
彼は取り巻きを数人引き連れてリナの前に仁王立ちになっていた。
「そんな雑巾叩きのような真似が訓練だと? 笑わせるな。貴様のような才能のない平民はさっさと荷物をまとめて田舎へ帰るんだな」
下卑た笑い声が周囲に響く。
リナは恐怖で顔を青くし俯いてしまった。
……よし、出番だな。
俺はゆっくりと歩み寄り、クラウスとリナの間に割って入った。
「俺の弟子に何か用か、クラウス」
俺が氷のような視線でそう言うと、クラウスは一瞬たじろいだが、すぐに虚勢を張って胸を反らした。
「カ、カイエン教官。俺はただ事実を言ったまでです。こんな無意味な訓練では騎士団の恥を晒すだけだと」
「無意味かどうかは俺が決める。貴様ではない」
俺はクラウスの目を見据え、静かに告げる。
「それともなんだ。貴様は俺の指導法に異を唱えるというのか? それなりの覚悟があってのことだろうな?」
「ひっ……」
クラウスは俺の気迫に完全に気圧されたようだった。原作のカイエンは性格は最悪だが、教官としての地位と実力は本物だ。その威圧感はまだ若造のエリート候補生が逆らえるものではない。
「い、いえ、滅相もございません」
クラウスはそう言って、取り巻きと共にそそくさと退散していった。
俺はまだ俯いているリナに声をかける。
「いつまでそうしている。訓練に戻れ」
「……は、はい、マスター」
リナは顔を上げると再び岩に向き合った。その瞳には先ほどまでの恐怖とは違う、何か別の感情が宿っているように見えた。初めて自分を庇ってくれた(ように見えた)師匠の姿に、彼女の心に微かな信頼が芽生えたのかもしれないな。
◇ ◇ ◇
さらに数日が過ぎ、俺はリナに二つ目の課題を与えた。
「今日からは訓練場の隅に生えている『石根草』を、日が暮れるまで素手で引き抜け」
石根草は、その名の通り石のように硬い根を地面深くに張る厄介な雑草だ。素手で抜くのは成人男性でも骨が折れる。
もちろんこれもゲーム知識に基づいた訓練だ。
『石根草』を素手で引き抜く行為は【握力】の隠しステータスを上昇させる。これもまたあるスキルを習得するための必須条件だった。
リナはボロボロになった手で黙々と雑草と格闘し始めた。
その姿はもはや周囲の嘲笑の的ですらなくなっていた。誰もが彼女はもうすぐ心を折られて騎士団を去るだろうと、憐憫の目を向けるだけだった。
「おい、カイエン。貴様、本気か?」
他の教官の一人が呆れたように俺に話しかけてきた。
「あんなことをさせて何の意味がある。彼女は才能こそないが真面目な生徒だ。潰して楽しむのはやめてやれ」
「……余計な口出しだ」
俺は短く答える。
「俺には俺のやり方がある。結果はいずれわかることだ」
教官は「ふん、どうだかな」と鼻を鳴らし去っていった。
まあ仕方ない。今の俺はそういう評価の男なのだから。
◇ ◇ ◇
そして運命の日がやってきた。
週に一度の全訓練生合同の基礎訓練の日だ。
今日の課題は、「訓練用の大剣を片手で水平に持ち上げ、十秒間維持する」というものだった。単純な筋力を測るための基本的な訓練だ。
訓練生たちが次々と大剣に挑んでいく。
エリートのクラウスは涼しい顔で軽々とクリアしてみせた。
他の生徒たちも腕を震わせながらも、なんとか課題をこなしていく。
そしてリナの番が来た。
会場がざわつく。
「おい、あいつにできるわけないだろ」
「腕なんか俺の半分くらいしかないじゃないか」
「カイエン教官も何を考えているんだか」
リナは緊張で顔をこわばらせながら大剣の前に立つ。
以前の彼女なら、この剣を持ち上げることすら困難だっただろう。
だが……。
リナはゆっくりと柄を握りしめ、息を吸い込んだ。
そして、ふ、と力を込める。
するとあれほど重いはずの大剣がすっと持ち上がった。
彼女の腕は水平に保たれたまま微動だにしない。
「な……」
「嘘だろ……」
周囲から驚愕の声が漏れる。
クラウスも信じられないものを見る目でリナを凝視していた。
十秒後、リナはゆっくりと大剣を下ろす。
彼女自身も自分の変化に驚いているようだった。
よし、計画通りだ。
【衝撃耐性】と【握力】。この二つの隠しステータスが彼女の身体の芯を強化したのだ。
だが本番はここからだ。
俺はリナに声をかける。
「リナ。俺が教えた防御姿勢を取ってみろ」
「は、はい、マスター」
リナは俺が毎晩こっそり教えていた特殊な防御の構えを取った。
その瞬間だった。
彼女の身体から一瞬だけ淡い光が放たれた。
それは隠しステータスが条件を満たしたことで習得可能になった、下級防御スキル【アイアンスタンス】の発動の兆候だった。
光はすぐに消え、ほとんどの生徒は気づかなかった。
だが教官たちと騎士団長だけは、その微かな変化を見逃さなかった。
彼らの顔に困惑と驚愕の色が浮かぶ。
俺は内心でほくそ笑む。
「器」はできた。あとはきっかけだけだ。
来るべき逆転劇の舞台は、もう整っている。




