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第28話 深まる霧と、惨劇の痕跡と、ゲーマーの助言と

 黒霧の森に再び不吉な静寂が戻った。

 霧狼(ミストウルフ)の群れを退けた第三特務分隊の面々だったが、その顔に安堵の色はなかった。

 アッシュが拾い上げた泥と血にまみれた第二騎士隊の隊旗が、この森の本当の恐怖を雄弁に物語っていたからだ。


「……どうする、リアム」


 アッシュが初めて隊長であるリアムに判断を仰いだ。その声にはいつもの気だるげな響きはなく、剣士としての緊張が滲んでいる。

 リアムは隊旗から視線を上げると霧の奥を睨みつけた。


「……任務は続行する。第二騎士隊の安否を確認し、この森で何が起きているのかを突き止める。それが俺たちの仕事だ」


 彼の言葉にクロエもフィンも無言で頷いた。彼らの間にはもはや反論や皮肉は存在しない。ただ隊長への信頼があるだけだった。

 俺は彼らから十数メートル離れた大樹の陰で、その様子を静かに見守っていた。


(いい判断だ。ここで撤退すれば彼らは二度とこの森の恐怖を克服できん)


 だが同時に俺は、この森に漂う違和感を捉えていた。


「おい、待て」


 アッシュが訝しげな声を上げた。


「狼の死体が……消えてる」


 彼の言葉に全員がハッとして周囲を見回す。

 確かに先ほどまでそこにあったはずの七体の霧狼(ミストウルフ)の亡骸が、一体残らず消え失せていた。

 血の匂いすら霧の中に溶けてしまったかのようだ。


(……なるほどな)


 俺は霧の奥を睨みつけながら思考を巡らせる。


(ゲームでは倒したモンスターの死体は光の粒子となって消えるのがお約束だ。だがここはゲームであってゲームではない。ゲームが現実となった今では、俺が知る限り倒された魔物の亡骸は消えずに残る……それがこの世界の理のはずだ。だとすればこれは……何者かが意図的に痕跡を『消している』ということか)


 つまり俺たちの知らない未知のルールがこの森を支配している。


「陣形を維持したまま前進する。フィン、索敵を怠るな。アッシュ、クロエ、左右の警戒を密にしろ」


 リアムの的確な指示の下、四人は再び霧の中へと足を踏み入れていった。


 ◇     ◇     ◇


 森の奥へ進むにつれて霧はさらにその濃度を増していった。

 フィンが苦しげに顔を歪める。


「……ダメです隊長。霧の魔力が強すぎて索敵が……範囲が半分以下に……」

「くそっ……」


 リアムが忌々しげに舌打ちをした。

 この部隊の生命線であるフィンの眼が半ば潰されたに等しい。

 こうなってしまっては彼らは手探りで進むしかなかった。

 そして数十分後。

 クロエが不意に足を止めた。


「……おい。なんだありゃ」


 彼女の視線の先、霧がわずかに晴れた開けた場所にそれはあった。

 第二騎士隊の野営地の跡だった。

 だがその光景は惨劇という言葉ですら生ぬるいほど凄惨なものだった。

 引き裂かれたテント、へし折られた剣、そして地面に飛び散ったおびただしい量の血痕。

 しかし奇妙なことに、そこに死体は一つもなかった。まるでそこにいた人間だけが神隠しにでもあったかのように。


「……ひどい」


 フィンが口元を押さえて嗚咽を漏らす。

 アッシュも歴戦の傭兵であるクロエですらその異常な光景に言葉を失っていた。

 リアムは冷静に、しかし険しい表情で現場の痕跡を調べ始めた。


「……争った跡がある。だが一方的だ。これは戦いではない……『狩り』だ」


 彼の言う通りだった。残された剣の傷跡や地面の足跡から、第二騎士隊がほとんど抵抗らしい抵抗もできずに蹂躙されたことが見て取れる。


「だが霧狼(ミストウルフ)の仕業じゃない。奴らはもっと獲物を食い散らかすはずだ。こんなに綺麗に、跡形もなく……」


 リアムは指揮官として必死に状況を分析し、結論を導き出そうとしていた。

 そして彼は一つの可能性に行き着く。


「……わかった。敵はこの霧を利用してヒットアンドアウェイを繰り返したんだ。一体ずつ確実に、音もなく仕留めて……。だとすれば奴らは今もこの霧のどこかに潜んで俺たちを観察しているかもしれない」


 彼は仲間たちに向き直る。


「作戦を変更する。これより我々は防御陣形を組み、敵の次の襲撃を待ち受ける。フィン、お前の最大火力で周囲の霧を吹き飛ばせるか」

「は、はい。ですが詠唱に時間が……」

「稼ぐ。全員、フィンを守れ」


 それは指揮官として論理的で、そして最も堅実な判断だっただろう。

 だが俺だけがその判断が致命的な過ちであることに気づいていた。


(違う。リアム、貴様はまだ敵の本質を理解していない)


 俺には彼らが見落としている決定的な痕跡が見えていた。

 野営地の隅、大樹の幹に刻まれたいくつかの深い爪痕。

 それは霧狼(ミストウルフ)のそれとは明らかに違う、もっと大きくそして知性を感じさせる三本の平行線。

 俺はそのサインに見覚えがあった。


(間違いない。あれは原作ゲームの後期アップデートで追加された高難易度エリアのレアモンスター『霧幻の狩人ファントム・ストーカー』が残すマーキングだ。奴はプレイヤーを特定の罠へと誘導し、恐怖に追い詰めてから狩ることを楽しむ、極めて狡猾な敵だった)


 リアムの作戦は防御を固め敵を待ち受けるというもの。

 それは狩人が仕掛けた罠の中心で、「さあ狩ってください」と宣言するようなものだった。


(……仕方ない。少しヒントを与えてやるか)


 リアムが最終的な号令を下そうとした、その瞬間。

 俺は足元に転がっていた小石を拾い、指で弾いた。

 小石は正確にリアムの足元へと飛び、カツンと乾いた音を立てた。


「……?」


 リアムが訝しげに音のした方を見る。

 俺は霧に紛れて姿を隠したまま、魔力を込めた声を彼にだけ届くように囁いた。


「――リアム。狼は群れで狩る。だがこの惨状は『狩り』ではない。『遊び』だ」

「……っ」


 リアムの身体が硬直した。

 俺は続ける。


「もっと狡猾で知性のある何かがいる。奴らはお前たちの『常識』を()っているぞ」


 俺の言葉にリアムはハッとしたように目を見開いた。

 そうだ。

 防御を固めて待ち受ける。それは騎士としてのあまりにも常識的な判断だ。そして敵はその常識をこそ待っているのだとしたら。

 リアムの額に冷たい汗が伝う。

 彼は仲間たちが訝しげに自分を見つめる中、先ほど下したばかりの命令を自らの手で覆した。


「……作戦を再変更する」


 彼の声は緊張で震えていた。


「全員、俺に続け。――今からこの森で最も危険な場所へと突っ込む」


 それは常識外れの自殺行為にも等しい決断。

 だがそれこそがこの絶望的な状況を覆す唯一の活路だと、彼は、そして俺は確信していた。




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