第21話 戦闘狂の盾と、臆病者の眼と、トラウマの在り処と
翌日、俺は第三特務分隊の兵舎で新たな指導を開始していた。
アッシュは部屋の隅で昨日と同じように単調な鞘鳴りを響かせている。その動きは昨日よりも明らかに洗練され、無駄な力が抜けていた。彼は文句を言いながらも己の課題と真摯に向き合っているらしい。
そして兵舎の中央には三人の男女が立っていた。
俺と戦闘狂のクロエ、そしてその背後でガタガタと震えている臆病者のフィンだ。
「さてクロエ・バーンズ。昨日の約束通り貴様の指導を始める」
俺は木剣を構えながら言った。
「ルールは昨日と同じだ。俺は貴様の腰から上には攻撃しない。だが一つだけ条件を追加する」
俺はクロエの後ろで泣き出しそうになっているフィンを顎でしゃくる。
「貴様はこの弱虫くん……いや、フィン・スチュワートを俺の全ての攻撃から守り抜け。フィン、貴様はそこから一歩も動くな。いいな?」
「ひっ……は、はいぃ」
フィンがか細い裏声で答える。
クロエは心底うんざりした顔で、自分の背後にいるフィンを一瞥した。
「……ちっ。なんであたしがこんな奴の面倒を見なきゃなんねえんだ」
「やはり貴様には出来ないか」
「……るっせえな。やってやるよ」
クロエは二本の短剣を逆手に持つと、獣のような低い姿勢で俺を睨みつけた。
その瞳には昨日までの純粋な闘争心とは違う、苛立ちとそしてわずかな戸惑いが混じっていた。
「では始めるぞ」
俺は合図と共にゆっくりとフィンに向かって歩き出した。
クロエは即座に俺とフィンの間に割り込み、完璧な防御態勢を取る。
俺は木剣を振るう。狙いはクロエの足元。
クロエは昨日何度もやられた経験から、それを読んで的確に回避しカウンターの短剣を繰り出してきた。
だがその攻撃は俺には届かない。
なぜなら彼女は自分の背後にいるフィンを守るため、その場から大きく動くことができないからだ。
俺は彼女の攻撃を軽くいなし、再び足元を狙う。
クロエはそれを防ぐ。
単調な攻防が数分間続いた。
「……おい教官殿。これがあんたの言う指導か? 退屈であくびが出そうだぜ」
クロエが挑発するように言った。
「そうか? ならば少し趣向を変えてやろう」
俺は不意に動きを止めた。
木剣での単調な攻撃では彼女の根本的な欠陥は矯正されん。
(……そろそろ使うか)
俺は内心で呟く。転生してからというもの俺はこの身体に宿る「魔力」というものを、意識的に使ってこなかった。俺はゲーマーであり魔術師ではない。下手に使えばどんな結果を招くかわからなかったからだ。
だが俺の脳裏には原作ゲームの知識が鮮明に残っている。
(『アークス・サーガ』においてカイエン・マーシャルというキャラクターのクラスは『ソードマスター』。だが教官職としての適性から、いくつかの初級魔法も習得しているという設定だった。確か属性を持たない純粋な魔力弾を放つスキル、【魔力弾】。その起動呪文は……)
俺は右手を前に突き出す。
「な……」
クロエの顔に緊張が走った。
次の瞬間、俺の掌から小さな光の弾が三つ撃ち出された。
それらはそれぞれ全く違う軌道を描いてフィンへと襲いかかる。
一つは正面から。
一つは大きく弧を描いてクロエの右側面から。
そして最後の一つは床を跳ねるようにして、彼女の死角である左足元を狙っていた。
「しまっ……」
クロエは正面からの光弾を短剣で弾き落とす。
だが側面と足元への攻撃には反応が間に合わない。
彼女の意識は常に目の前の敵である俺に集中していた。複数の、しかも死角からの攻撃に対応するという発想が彼女の中には存在しなかったのだ。
側面からの光弾がフィンの肩を掠める。
「ひゃっ」
フィンが情けない悲鳴を上げた。
「……てめぇ」
クロエの顔が怒りで歪んだ。
「卑怯だぞ。戦いってのは正々堂々と正面から……」
「戦場に正々堂々などという言葉は存在しない」
俺は彼女の言葉を冷たく遮る。
「敵は常に貴様の弱点を狙ってくる。背後から、死角から、そして貴様が守るべき弱者の足元からな」
俺の言葉にクロエの身体がびくりと大きく震えた。
彼女の脳裏に忌まわしい記憶が蘇ったのだろう。
元いた傭兵団。ゴブリンの奇襲。仲間たちの断末魔。
そうだ。あの時もそうだった。
自分たちが正面の敵と戦っている間に仲間たちは地下から現れたゴブリン共に足元を掬われ、なすすべもなく殺されていったのだ。
自分だけが生き残った。
あの時からだ。自分が目の前の敵以外、何も見えなくなったのは。
そんな後悔の記憶を。
「……うるせえ」
クロエは何かを振り払うように叫んだ。
「あたしはあたしのやり方で戦う。守るなんざ性に合わねえんだよ」
「そうか。ならばもう一度だ」
俺は再び三つの光弾を作り出す。
今度は先ほどよりも速く、そして複雑な軌道で。
クロエは歯を食いしばり、その全てに対応しようとする。
だがやはり彼女の意識は正面の俺に縛り付けられ、死角からの攻撃を完全に防ぐことはできない。
光弾が何度もフィンの身体を掠めていく。
「くそっ、くそっ、くそぉ」
クロエの動きに焦りと苛立ちが募っていく。
なぜだ。なぜ守れない。
あたしは強いはずなのに。
目の前の敵を誰よりも速く、誰よりも多く殺せるはずなのに。
なのになぜ、背後にいるたった一人の弱虫くんすら守ることができない。
その時だった。
「……あの、クロエさん」
背後から震える声が聞こえた。
フィンだった。
「……み、右です。右から来てます」
「……は?」
「それと……左の下……」
クロエはハッとした。
そうだ。自分には見えない。だが背後にいるこの男には見えているのだ。
自分が見ることのできない死角からの攻撃が。
「……ちっ。わーったよ」
クロエは短く舌打ちをすると構えを変えた。
今までのように前傾姿勢で俺を睨みつけるのではない。
フィンの前にまるで盾のように仁王立ちになり、その意識を背後のフィンの声と、そして自分を取り巻く空間全体へと広げた。
「行くぞ」
俺は最後通告のように呟き、五つの光弾を同時に放った。
それはもはや回避不能の全方位からの飽和攻撃だった。
「右、二つ」
「左下、一つ」
「正面、二つです」
フィンの震えながらも、しかし的確な報告が響く。
クロエが獣のように咆哮した。
彼女はもはや俺を見ていなかった。
フィンの言葉を信じ身体を回転させ、二本の短剣を嵐のように振るう。
右からの二つを弾き、返す刃で左下の一つを切り裂き、そして正面からの二つを身を挺して受け止めた。
全ての光弾が霧散する。
クロエの身体には数カ所の火傷ができていた。
だが彼女の背後にいたフィンは無傷だった。
「……はぁ、はぁ……」
クロエは荒い息をつきながら、その場に膝をついた。
彼女は守り切ったのだ。
目の前の敵を倒すためではなく、背後にいる仲間を守るために戦ったのだ。
「……やるじゃねえか、弱虫くん」
クロエは振り返りもせずに悪態をつくように言った。
「ひゃ、ひゃい」
フィンはまだ震えながらも、どこか誇らしげに胸を張っていた。
戦闘狂の女騎士が、本当の意味で「騎士」になるための最初の試練は終わった。
俺はそんな二人の姿を静かに見つめていた。




