第2話 鬼教官の仮面と、奇妙な訓練と、嘲笑と
翌朝。
王立騎士団の第一訓練場は、夜明けの冷気と若者たちの熱気が混じり合う独特の空気に満ちていた。
新人たちが教官の号令に合わせて木剣を振り、エリート候補生たちは模擬戦で火花を散らす。剣戟の音、気合の叫び、土埃の匂い。その全てが俺が知るゲームの世界そのものだった。
はぁ……。気が重い。
俺の隣ではリナ・アシュフィールドが小さな身体をさらに縮こまらせ、怯えた子犬のように震えている。無理もないだろう。彼女がこれから指導を受けるのは、あの悪名高い「ハズレ師匠」なのだから。周囲から突き刺さる好奇と侮蔑の視線が彼女の萎縮に拍車をかけていた。
「リナ・アシュフィールド」
俺は努めて冷たい声で彼女の名を呼んだ。
びくりと彼女の肩が跳ねる。
「貴様の最初の訓練だ。あそこにある岩を、日が暮れるまで木剣の腹で叩き続けろ」
「え……?」
リナが間の抜けた声を上げた。
その瞳には命令の意味が理解できないという困惑がありありと浮かんでいる。まあ当然の反応だろうな。剣の腹で岩を叩くなど、訓練としては常軌を逸している。
「返事は『はい、マスター』だ。二度言わせるな」
俺がそう言い放つと、彼女は慌てて「は、はい、マスター」と頷き、おぼつかない足取りで訓練用の岩へと向かった。
ぺちん、ぺちん、と気の抜けた音が訓練場に響き始める。
その音は周囲の鋭い剣戟の音にかき消されそうなほど頼りなかった。
案の定、すぐに周囲から囁き声が聞こえてくる。
「おい、見ろよ。カイエン教官の新人いじめが始まったぜ」
「あんな無意味なことをさせて、何になるんだか」
「あの新人、可哀想に。一週間もつかどうか……」
……素人が。だから貴様らは万年モブなのだ。
俺は内心で彼らの嘲笑を一蹴した。
俺がやり込んだRPG、『アークス・サーガ』には、表向きのステータスとは別に特定の行動を繰り返すことで上昇する【隠しステータス】というものが存在した。
そして木剣の腹で硬いものに衝撃を与え続けるという行為は、非効率ではあるが確実に【衝撃耐性】の隠しステータスを上昇させる数少ない手段の一つなのだ。
これは後のスキル習得に必要不可欠な下準備に他ならない。
もちろん、そんなことを彼らに説明してやる義理はないが。
◇ ◇ ◇
時間はただ無情に過ぎていく。
リナは涙目になりながらも言われた通りに岩を叩き続けていた。
昼を過ぎる頃には彼女の手に握られた木剣は汗でぐっしょりと濡れていた。手の皮が破れ、血が滲んでいるのが遠目にもわかる。
それでも彼女は手を止めなかった。
「マスターが、やれと……」
そう小さく呟きながら、ただひたすらに、実直に俺の命令を遂行していた。
その姿は痛々しく、そしてどこか健気でもあった。
やがて西の空が茜色に染まり、訓練終了の鐘が鳴り響く。
俺は岩の前にへたり込むリナの元へ歩み寄った。
「今日はそこまでだ。治療室で手当をしてもらえ。明日も同じことをやってもらうからな」
俺がそう告げるとリナはボロボロの手で顔を上げ、こくりと頷いた。
その瞳には恐怖と疲労の色はあれど、初日に見たような絶望はなかった。
(そうだ、それでいい……。今はただ耐えろ。その先に貴様の未来がある)
俺は彼女に背を向けその場を去る。
リナは自分の血が滲む手のひらと俺の背中を、何かを確かめるようにじっと見つめていた。




