第13話 昇級試験と、神速の蹂躙と、観衆の絶句と
昇級試験当日。
騎士団の大闘技場はかつてないほどの熱気に包まれていた。
観客席には新人だけでなく、上級騎士や教官たち、果ては騎士団長までもが顔を揃えている。そしてその団長の隣には、なぜか当然のように聖女セレスティアが座っていた。
彼ら全員の視線が、これから始まる試験のある一点に集中していた。
落ちこぼれの少女、リナ・アシュフィールド。そしてその師である鬼教官、俺――カイエン・マーシャルに。
「第一試験、開始。課題は『魔法人形討伐』。制限時間内に、より多くの人形を戦闘不能にせよ」
審判役の教官が硬い声で宣言した。
闘技場の中央に十体の訓練用魔法人形が設置された。これらは新人騎士が相手にするには十分な強度と、基本的な戦闘パターンが組み込まれている。通常、新人が時間内に三体も倒せば優秀とされる課題だ。
訓練生たちが一人、また一人と挑戦していく。
皆、必死の形相で人形に斬りかかり、一体、また一体と倒していく。平均は二体。エリートであるクラウスは流石というべきか、危なげなく四体を倒し観客席から喝采を浴びていた。
そしてついにリナの番が来た。
闘技場が水を打ったように静まり返る。
誰もが固唾を飲んで、その小さな背中を見守っていた。
「マスター……」
リナが不安げにこちらを振り返る。
俺はただ無言で頷いた。言葉はもう不要だ。俺たちの間にはこの一ヶ月で築き上げた確かな信頼がある。
リナは深呼吸を一つすると、闘技場の中央へと歩み出た。
クラウスが観客席から「せいぜい頑張るんだな、落ちこぼれ」と聞こえよがしに野次を飛ばす。
「……始め」
審判の合図と同時に十体の魔法人形が、一斉にリナへと襲いかかった。
四方八方から迫る機械仕掛けの殺意。
観客席から悲鳴に近い声が上がる。
「危ない」
「囲まれたぞ」
だが次の瞬間。
観客たちは信じられない光景を目の当たりにすることになる。
リナの姿が掻き消えた。
いや、違う。
彼女はただ一歩、横にステップを踏んだだけだ。
しかしその一歩が、常識ではありえないほどの速度だった。
まるで瞬間移動したかのように、一体の人形の死角へと回り込んでいる。
(よし。脚部に集中させた【限界突破】、成功だな)
リナは強化された脚力で地面を蹴り、身体を独楽のように回転させる。
そして今度は腕部にだけ、瞬間的に力を集中させた。
彼女が振るった木剣は風を切る音すら置き去りにして、人形の首筋を正確に捉えた。
ゴッと鈍い音が響き、魔法人形の頭部が胴体から綺麗に吹き飛んだ。
一撃。
ただの一撃だった。
しかしリナは止まらない。
一体目を倒した勢いのまま再び脚部に力を集中。神速のステップで次の人形との距離を詰め、腕部に力を込めた一撃を叩き込む。
二人目の首が宙を舞う。
三人目、四人目……。
それはもはや戦闘ではなかった。
蹂躙。
ただ一方的な蹂躙だった。
リナの動きには一切の無駄がない。全身で力を解放するのではなく、必要な時に必要な部位だけを瞬間的に強化する。それはまるで精密機械のような、効率的すぎる戦闘術だった。
観客席は静まり返っていた。
誰もが目の前で起きていることが理解できずにいた。
「な……なんだ、あれは……」
「瞬間移動か? いや、違う……速すぎる……」
「あんな戦い方、見たことも聞いたこともないぞ……」
教官たちが座る一角では、一人の老教官が震える声で呟いていた。
「馬鹿な……。あれは力の『最適化』だとでも言うのか……。全身に力を漲らせるのではなく最小限の力で最大限の効果を発揮する……。そんな芸当、達人の域だぞ……」
クラウスは観客席で顔面蒼白になっていた。
なんだ、あの動きは。俺の知っているリナ・アシュフィールドではない。あんな化け物に俺は勝てるのか?
いや、だが……俺には【重力の足枷】がある。どんなに速く動けようと動きさえ封じてしまえば……。
彼は腰の小袋を握りしめ、自分に言い聞かせるように呟いた。
騎士団長は腕を組み、眉間の皺を深くしたまま、ただ黙って戦況を見つめている。その視線はリナの動きを分析するように鋭く細められていた。
そして団長の隣で聖女セレスティアだけが、穏やかな笑みを浮かべていた。
「ご覧なさい、団長。あれこそがマスターの教えの神髄です」
彼女はうっとりとした声で言う。
「力とはただ大きく振るうものではない。一滴の水で蝋燭の火を消すように、完璧に制御し最適化してこそ真価を発揮するのです。なんと素晴らしい……」
彼女の勘違い甚だしい解説が、周囲の教官たちの誤解をさらに深めていく。
やがて最後の一体の人形が首を飛ばされて地に伏した。
審判が震える声で時間を告げる。
「……じ、時間。討伐数、十体。所要時間、三十七秒。……し、試験記録更新」
その言葉が闘技場の静寂を破った。
次の瞬間、今まで嘲笑していた生徒たちからどよめきと、そしてやがて熱狂的な喝采が沸き起こった。
リナはただ一人、闘技場の中央で静かに息を整えている。
俺はそんな彼女の姿を静かに見つめていた。
第一関門は突破だ。
だが本当の戦いはここから始まる。
俺は観客席で顔を青くしているクラウスを一瞥し、不敵な笑みを浮かべるのだった。




