第10話 聖女と孤児院と、泥遊びの成果と
城下の孤児院。
そこは王都の華やかさとは無縁の活気と、そして貧しさが同居する場所だった。
聖女セレスティアは、生まれて初めて足を踏み入れるその場所に戸惑いを隠せずにいた。
設えたばかりで汚れ一つ無い彼女の白い訓練服が、周囲の煤けた風景から浮いてみえる。
「……ここですか。マスターが仰っていた孤児院は。ここで子供たちと遊べと」
「左様です、聖女様。我々もその真意は測りかねますが……」
護衛の神殿騎士が苦虫を噛み潰したような顔で答える。
その時だった。
「わーい、きれいなおねーちゃんだ」
「なにしてあそぶのー?」
孤児院の子供たちが物怖じすることなくセレスティアの周りに集まってきた。
泥のついた小さな手が彼女の汚れない訓練服に触れる。
「ひっ……」
セレスティアは思わず身を引いた。
彼女はその半生を清浄な神殿の中で過ごしてきた。
そのため不潔というものに免疫がなかったのだ。
「こら、無礼者。聖女様のお召し物に触れるでない」
神殿騎士が慌てて子供たちを追い払おうとする。
「待ってください」
だがセレスティアはその手をそっと制した。
彼女は自分にこの試練を与えた師の言葉を思い出していた。
『自分の手で泥をこね、自分の足で走り、子供たちと同じ目線でただ遊べ』
(わたくしはマスターを信じると決めたのだから)
セレスティアは覚悟を決めると、ぎこちない笑みを浮かべて子供たちに向き直った。
「……わたくしはセレスティアと申します。今日から一週間、皆さんと一緒に遊ぶためにやってきました。皆さんはいつも何をして遊んでいるのですか?」
それが聖女セレスティアの、生まれて初めての「泥遊び」の始まりだった。
† † †
初日は惨憺たるものだった。
子供たちに誘われるままに泥団子を作ろうとすれば泥の感触に悲鳴を上げそうになり、鬼ごっこをすれば数分で息が上がって動けなくなる。
彼女の身体は聖なる力に満ちてはいるが、俗世の遊びに対応できるほど鍛えられてはいなかった。
とはいえ、そもそも限界がないのではないかと疑いたくもなる子供たちの体力に敵う者などそうそういないのだが。
「もうおやめください聖女様。このようなこと、貴方様がなさるべきことでは……」
足下もおぼつかないセレスティアの姿を見るに見かねて、護衛の神殿騎士が進言する。
だがセレスティアは首を横に振って応える。
「いいえ。これもマスターが与えてくださった試練なのです」
彼女は泥だらけになった自分の手を見つめる。
神殿にいればこんな汚れとは無縁だった。
常に清浄で、常に敬われ――でも、常に孤独だった。
それに比べてここは……。
子供たちの笑い声が響き、泣き声が響き、ここには生命のエネルギーが満ち溢れている。
見かけは汚れてはいても、その中は温かい命の輝きで満ちている。
そうして二日目、三日目と経つうちに彼女の中に変化が訪れた。
その頃になると、セレスティアは泥で服が汚れることにも汗をかくことにも抵抗がなくなっていた。
そして四日目の午後。
一人の少女がおずおずとセレスティアの前に泥団子を差し出した。
「おねえちゃん、これあげる」
それは歪で今にも崩れそうな不格好な泥団子だった。
以前のセレスティアであれば、その泥団子を素手で受け取るのを躊躇ったかもしれない。
だが今の彼女は、少女の曇りのない瞳を見つめながら、何の躊躇いもなくそっとそれを受け取った。
「……ありがとう。とても嬉しいです」
そう言って自然に浮かんだセレスティアの表情は、神殿で見せる慈愛に満ちた聖女の微笑みではなく、心の底から喜びが込み上げてくるような、年相応の少女の無邪気な笑顔だった。
「わぁい!」
セレスティアの笑顔に釣られて少女の顔にも笑みが広がる。
そしてその笑顔を見た子供たちが、きゃっきゃと声を上げて喜び、次々と彼女の周りに集まってきた。
「おねえちゃん! わたしと一緒に団子作ろ」
「ずりぃぞ、聖女様は僕と遊ぶんだ」
そんな子供たちと一緒になって地面を転げ回り泥んこになっていくセレスティアは、いつの間にか自分も心からの笑い声を上げていた。
神殿騎士たちはそんな聖女の姿を信じられないものを見る目で、ただ呆然と見守るしかなかった。
† † †
そして運命の一週間が過ぎようとしていた最後の日、事件は起こった。
一人の少年が鬼ごっこの最中に勢い余って木に激突してしまったのだ。
ドサッという鈍い音と共に少年の身体が地面に投げ出される。
「うわぁぁぁぁぁーん」
一瞬の静寂の後、孤児院の庭に甲高い鳴き声が響き渡った。
「大丈夫ですか!?」
セレスティアは泥だらけのママ弾かれたように少年の元へ駆け寄る。
少年の腕は見る見るうちに赤く腫れ上がっていた。
おそらく骨にヒビでも入っているか、もしかしたら折れているかもしれない。
「……っ」
「お姉ちゃぁん……痛いよぉ……」
激痛に顔を歪めて泣き叫び続ける少年を見て、彼女は無意識に祈りを捧げ治癒の力を発動させようとした。
「せ、聖女様! なりません!」
神殿騎士たちの顔に緊張が走る。
(まずい、聖女様の力が暴走してしまったら、あの子供は……)
あの日聖女がカイエン相手に見せた力の暴走が、彼らの脳裏をよぎる。
それは当のセレスティアも同じだった。
あのときと同じように力を制御出来なければ、腕を治すどころかこの子の身体に更なる怪我をおわしかねない。
恐怖で指先が震える。
「痛いよぉ……助けてよぉ……」
だが、少年の悲痛な声が彼女の心を奮い立たせる。
(いいえ、恐れてはいけない。私はこの子を救いたい……痛みを和らげて上げたい)
セレスティアは深く息を吸い込む。
(マスター……この尊き命を救うため、貴方の許可無く力を使うことをお許し下さい)
彼女は祈りのために組んだ両手に力を込めながら、あの日カイエンが告げた言葉を思い出していた。
『力は制御するものではありません。理解し、受け入れ、そして解き放つもの』
(今までわたくしは自分の力を無理矢理制御しようとしてきました。でもそれは子供たちの溢れんばかりの力強さを無理に抑え込もうとするのと同じことだったのですわ)
初日こそ暴れ回る子供たちに翻弄され、時には無理なことをしようとする子供たちを無理矢理押さえ込んでいた。
でも、子供たちと一緒に遊ぶに連れて、その子供たちが何をしたいのか何を求めてきているのかがわかってきた。
そして無理に従わせるのではなく、子供たちを自然に導くことで全てが上手く回り始めた。
(そう……力も同じなのですわ。無理矢理押さえつけるのではなく、その力を正しい方向へ導けば……)
蛇口を全開にするのではなく、必要な分だけの水を喉が渇いた者に差し出すように。
「【癒しの光】」
祈りを込めたその言葉は、まるで子供に語りかけるように優しく響く。
次の瞬間、セレスティアの手のひらから放たれたのは、あのときのような破壊的な光の奔流ではなかった。
それはまるで春の陽だまりのように、穏やかで温かい光だった。
その光が少年の腕を優しく包み込む。
「おおっ」
神殿騎士たちが感嘆の声を上げる中、少年の腕の痛々しい腫れがすっと引いていく。
「……あれ?」
腫れと共に痛みが引いたことに気がついたのだろう。
鳴き声が止み、少年はきょとんとした顔で自分の腕を見つめた。
そしてセレスティアもまた自分の手のひらを見つめ、呆然としていた。
「……できた。私にもできましたわ……」
彼女の瞳から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。
神殿騎士たちは目の前で起きた奇跡に、言葉を失ったまま立ち尽くしている。
今まで聖女セレスティアを見守り続け、それ故に彼女の力の暴走を幾度となく見てきた彼らだ。
それがたった一週間という短い期間で、しかもただ子供たちと遊ぶというだけの理解出来ない『特訓』とも呼べないもので、愛すべき聖女様が真の聖女様となる力を得る場面に立ち会ったのだから仕方がない。
「ああ……」
セレスティアは涙に濡れた瞳でゆっくりと天を仰ぐ。
彼女の脳裏にあの鬼教官の言葉がもう一度蘇っていた。
『力は制御するものではない。理解し、受け入れ、そして解き放つもの』
(そう……これがマスターの仰っていたことなのですね……)
泥にまみれ子供たちと触れ合うことで、彼女は初めて自分の身体とそして力の導き方を理解したのだ。
力とはただ無闇に放てばいいものではないく、相手に寄り添い、必要な分だけを優しく届けるものなのだと。
あの一件ふざけた命令のように思えた『子供たちとの遊び』の中に、これほど深遠な魔力制御の極意が隠されていたとは。
「なんと深い教え……。マスター……貴方はやはり本物の……」
セレスティアは胸の前で手を組み感謝の祈りを捧げる。
そして俺――カイエン・マーシャルへの尊敬が、この瞬間、彼女の中で狂信的なまでの信仰へと変わったのはこのときだった。
もちろんその『深遠なる教え』が、俺がただ原作ゲームのサブクエストをならせただけだとは誰も知る由もなかったのだが。




