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帰る場所

カーテン越しに朝の陽射しが差し込んでくる。


寝不足の遥には少々、その光は眩し過ぎた。


もう少しゆっくりしていたかったが、今日は午後から仕事に出なければならない。


急いで服を着替えて、軽くメイクもした。


階下からは、母の包丁のリズミカルな音が聞こえる。


「お母さん、お早う。」


階段を下りてキッチンに入り、遥は母に声をかけた。


ボルドー色のカーディガンを着た母の背中が見えた。 


「あっ、そのカーディガン、着てくれたんだ!」


母が包丁を使う手を止めて、遥の方に振り向いた。


「遥ちゃん、お早う。

このカーディガン、ありがとうね。

昨日買ってくれたんでしょ?

朝になってから気がついて早速着てみたのよ。どう?」


「うん。お母さん、凄くよく似合ってる。

秋色のカーディガンでお母さん、気に入るかなと思って……。

夕べ、こっそりお母さんの部屋に置いておいたの。」


華やかな顔立ちの母にボルドー色はよく映えた。


「綺麗な色だし、今頃の季節にちょうど良いわね。」

母は、嬉しそうにそう答えた。


母に気に入ってもらえて、良かったーー。

遥は、すぐにカーディガンに袖を通してくれた母の気遣いにも感謝した。


今朝も目玉焼きとパンやサラダ、ヨーグルトなどの朝食が食卓に並んでいた。

普段一人暮らしの遥は、朝食にあまり気を使っていなかったが、母といるとたっぷりと朝ごはんが食べられる。


珈琲を飲みながら、遥は母との会話を楽しんだ。


「お母さん、私ね……。

また、小説を書いてみようと思う。」

遥がそう言うと


「本当に!」

と母は顔を上げて声を弾ませた。


「遥ちゃんなら、またきっと良いものが書けるわよ。

焦らず、ゆっくりやってみたら?」


「うん。

まずは自分が何を書きたいのか、じっくり考えてみる。」


「そう。

お母さん、遥ちゃんが良い小説が書けるよう応援しているからね。」


母に勇気をもらって遥は、気持ちが明るくなった。


腕時計を見ると遥が乗ろうとしている電車の時刻が迫っているのに気が付いた。


「私、そろそろ行くね。」


朝食を終えて、遥は椅子から立ち上がった。


「うん。

気を付けて行ってらっしゃい。

遥ちゃん、わざわざお母さんに会いに来てくれてありがとう。」


「ううん。

お母さんがどうしているか気になったから。

久しぶりに会えて良かった。」

遥が笑顔で答えた。


「私は元気にしているから、あんまり心配しないでね。」


「わかった。

じゃあ、お母さん、またね。」


母に見送られ、遥は実家を後にした。


行ってらっしゃいーー。

母にそう言われた。

私は東京に帰るんじゃなくて、実家から出かけていくんだな。

少なくとも母はそう思っている。


母がまだ元気で、自分が帰る場所があるということが遥には、ありがたかった。


今回、母の体調が心配で実家に帰ったが、返って遥は母に元気づけられた。


小説を書くことなんて、もうないと思っていたけれど……母が励ましてくれたから、また書いてみようと思えるようになった。


母の存在が自分にとってどれだけ心の支えになっているのかを遥は改めて感じた。



東京へ向かう電車の中で、今回の帰省した時に起きた色々なことを思い返していたが……


いつの間にか、遥は眠ってしまったらしい。


気が付いた時には、東京駅に着いていた。


「間もなく東京、東京駅です。

東海道線、横須賀線、京葉線、丸の内線はお乗り換えです。

お出口は左側です。」


遥は、アナウンスを聞いて慌てて電車を下りて、次の電車に乗り込む。


人とぶつかりそうになりながら、つり革につかまって立っている遥には、静かな実家で過ごした数日間が夢のように感じられた。


遥は、一度自宅に戻って荷物を置いてから、勤め先である銀座の古書店に向かった。

 

日中は陽射しも明るく、気温も少し高かった。


早足で歩くと少し汗ばんでくる。


古いビルの1階にある古書店『月灯り』の扉を押した。


「あっ、成瀬さん。」


古書店の店長である小林さんに声をかけられた。


「店長、今回は急なお休みをいただきありがとうございました。」

遥がそう告げると


「大丈夫だよ。

今日も休んで良かったのに午後から来てくれたんだね。

こちらは助かるけど……。

あっ、お母さんお加減どうだった?」

優しく小林さんが遥に尋ねた。


「お陰様で母は元気そうにしていました。

私もそれを見てやっと安心しました。」


「それは、良かった。

成瀬さんもほっとしたよね……。

それじゃあ……来て早々悪いんだけれど本の整理を頼めるかな?」


「はい。わかりました。」


遥は、カウンターに入って最近入ってきた文学書や詩集などの整理を始めた。


店内に併設している小さな喫茶コーナーから珈琲の香りが漂ってくる。

今日も数名のお客さんが本を読みながら珈琲を楽しんでいた。


遥は、この静かな職場が気に入っていた。


古書店の窓からは銀座の並木道が見え、道行く人が足早に通り過ぎていく。


路面に映し出される少し長く伸びた影。


その影を見ながら遥は秋の訪れを感じていた。


観覧車での出来事がこれからどんな意味を持つのかーー

今の遥にはまだわからなかった。


でも、何かが起こるような気がする。


遥の中に芽生えた小さな期待が次第に大きくなっていった。































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