エピローグ
翼は、今年の春、高校2年生になっていた。
少し開けた窓からは、5月の爽やかな風が入ってくる。
日曜日の昼下がり、翼は母とお茶を飲んでいた。
「母さん、いつもそのネックレスつけているね。」
「あぁ、これ?」
飲みかけのコーヒーカップをソーサーに置き、遥はシルバーの鳥のネックレスを触った。
「これ、お父さんからの初めてのプレゼントなの。」
「そうなんだ。」
「母さんからは、何か父さんにプレゼントしたの?」
「したわよ。
ライオンのチャーム、あと……水彩画も描ける色鉛筆だったかな。」
「チャームってあれか~。
父さんがトートバッグにつけてる……。」
「そうそう。
可愛いでしょ。お父さん、ライオン好きなのよ。」
「へぇ。」
翼は、両親の若かった頃の話を初めて聞いたかもしれないと思った。
「もしかして、俺の翼って名前、この鳥に関係ある?」
「えぇ。
私とお父さんとで最初に作った絵本の主人公が小鳥だったでしょ。
あの小鳥みたいに大空に翼を広げて羽ばたいてもらいたくて、二人で翼って名前をつけたのよ。」
「やっぱりそうなんだ。」
翼は、自分の名前の由来を聞き、両親の想いが込められていることを知った。
自分の進路を考えた時、美大に進学しようと受験準備はしていたが、何を専門的に学びたいか、翼はまだ迷っていた。
「大空に羽ばたくかぁ……。」
おじいちゃんのような油絵もやりたいし、お父さんのようにデザインを学んだり、イラストも描いてみたい。
そうだ、鈴木先生に聞いてみようーー。
早速、翼が絵を習っている鈴木先生に相談してみると……
「総合芸術系の学部なら、1〜2年次は基礎課程として、絵画・立体・デザイン・映像など幅広く学んで、その後に専攻を決める大学もあるよ。」
と教えてくれた。
「そうなんですか?」
翼が思わずそう言うと鈴木先生が続けた。
「うん、自由選択制のカリキュラムがある大学もあるし……。
例えば油絵を主専攻にしつつ、デザインやイラストの授業も取ることができるんだ。」
「ずいぶん、自由に学べるんですね。」
「うん、僕もどういうところがあるか調べておくけれど、翼君もあちこちの大学を実際に見に行って来たら?
オープンキャンパスもあるしね。」
「そうですね、考えてみます。」
「まだ、やりたいことを一つに絞らなくても良いんじゃないかな?
はっきり決まっているのなら、良いけど。
そうじゃないんならね。」
鈴木先生は、優しくそう言ってくれた。
翼は、お礼を言って先生の家を後にした。
そう言えば、陽菜ちゃんは将来、どうするんだろう?
高校が別々になってからは、なかなか二人で話す機会も作れないでいた。
陽菜ちゃんにLINEしてみよう。
そう思った翼は、早速陽菜にLINEし、次の日曜日に会うことにした。
日曜日は、朝から気持ちよく晴れていた。
海岸近くのカフェで待ち合わせた二人。
先にカフェに着いた翼は、窓際の二人席に座っていた。
翼が、窓の外を見ていると……
陽菜が扉を押してカフェに入って来た。
すぐに翼を見つけた陽菜は、
「翼君、久しぶり。元気だった?」
と明るく声をかけた。
「あっ、陽菜ちゃん。」
陽菜は、窓際の席まで進むと彼の向かい側に座った。
「何にしようかな~。」
陽菜がメニューを見始める。
「私は、アイスミルクティーにしようかな?
翼君は?」
「俺は……ジンジャーエールにする。」
二人が注文するとしばらくして、飲み物が運ばれてきた。
「陽菜ちゃん、最近どうしてた?
おじさんには絵を習っているから、よく会うけど陽菜ちゃんには会えてなかったからさ……。」
「うん、そうよね。
お父さんが、翼君は凄く熱心に絵を描いてるっていつも言ってるよ。
私は……高校に入ってからは、勉強についていくのが大変で塾に通い出した。
たまにボイストレーニングを受けに東京にも行ってるんだ。」
「そうなんだ。」
「うん。」
「陽菜ちゃん、どんな所に進学するの?」
「まだ、分からないけれど……
普通に大学に進学して、心理学を学びたいんだ。」
「えっ、心理学を勉強するの?」
「私、人間の心に興味があって……。
色々勉強して、人の役にも立ちたいし。
まだ、具体的にはどうしたいかはわからないんだけれど。」
「陽菜ちゃん、歌はどうするの?」
「歌も歌っていこうと思ってる
大学に在学しながら、音楽系のサークルに入っても良いし……。
一人で作詞作曲して、歌ったものをSNSにあげても良いし。」
「なるほど。自分でSNSを使って発信するんだね。」
「うん。
あと……声を使う職業?
アナウンサーとか声優とか……
そういう職業にも関心を持ってる。
自分の声で人に何かを伝えられたら良いよね。
まぁ、やりたいことは、いっぱい浮かぶんだけどうまくまとまらないんだ。」
「へぇ~。
凄いね、色々考えていて。」
「まだ、考えているだけよ。」
「俺も色々やりたいことはあるんだけれど、陽菜ちゃんみたいにうまくまとまらないって気持ちになるよ。」
「本当に?翼君にもそういうこと、あるんだ。
私だけじゃないって思うと安心した。」
そう言って陽菜はホッとした様な表情を浮かべた。
「そういえば、あの約束覚えてる?」
翼がふと思い付いたように尋ねた。
「約束?」
しばらく考えた陽菜は
「翼君のおじいちゃんの回顧展に行った時にした約束でしょ。
一緒に観覧車に乗るっていう……。
ちゃんと覚えているよ。」
「じゃあ、今日乗らない?」
「えっ、今日?
ずいぶん、急だね。
乗っても良いけど……ちょっとドキドキするなぁ。」
「うん、俺も不安ではある。」
「でも、あの噂が本当か知りたい気もするし、乗ってみようか?」
陽菜の一言で二人の気持ちは決まった。
急いでグラスに残っていた飲み物を飲み干すと、二人は立ち上がった。
カフェの扉を開けると、少し離れた場所に建つ遊園地に観覧車が回っているのが見えた。
黙って海岸沿いの遊歩道を歩く二人。
『潮風ドリームランド』に着くとチケットを2枚買い、翼と陽菜は、真っ直ぐ観覧車に向かって歩き出した。
観覧車に二人が乗り込むとゴンドラは、ゆっくりと動き出した。
ギギギ……。
ギギギ……。
ゴンドラが鈍い音をたてる。
緊張した面持ちの陽菜がじっと翼を見ていた。
翼もこれから何が始まるのかわからず、自分自身の心臓の鼓動が早鐘のように打ち始めるのを感じていた。
頂上近くにゴンドラが差し掛かった時に……。
光が優しく二人を包み込み点滅し始めた。
その後、翼と陽菜が何を見たかは二人だけの秘密になった。
ゴンドラを降りた後、翼は陽菜を見て言った。
「あれが本当だとしたら……
俺たち、また一緒にいることになりそうだね。」
「うん、そうみたい。」
と陽菜もまだ、夢うつつといった表情で答えた。
翼が家に着いた時、夕飯を用意していた遥が
「翼、帰ったの?」
と声をかけたが、翼は黙ったまま自分の部屋に入った。
そして、ベッドに寝転がると天井を見ながら呟いた。
「あれは、俺たちの未来なのかな?」
夕暮れの空が窓から見える。
翼は、茜色の光が差し込む寝室でいつまでも静かに寝そべっていたーー。
それから、翼も陽菜も志望校を決め、受験勉強に明け暮れる日々が続いた。
そしてついに合格を手に入れ、それぞれ、東京の大学に進学していった。
二人が各々の夢に向かって日々を走り続ける中ーー
いつの間にか6年の歳月が流れていた。
ある日、湊と遥のもとに翼から郵便物が届いた。
遥がそれを開けると……
「これ、陽菜ちゃんの新曲のCDじゃない?」
「えっ、そうなの?」
湊が脇からCDを覗き込んだ。
「ちょっと、このCDのジャケットのイラスト、翼が描いたものじゃない?」
湊がCDを遥からそっと手渡される。
慎重に受け取ってから、イラストをじっと眺める湊。
「本当だ!これは、確かに翼の絵だね。」
「お母さん、見て!
翼がね……。
陽菜ちゃんのジャケットのイラストを描いたのよ。」
近くにいた遥の母、絵理子も驚いたようにジャケットの絵を見つめる。
「あら、翼ったら何も教えてくれないから……
びっくりするじゃない。」
「二人は、こういう形で一緒に仕事をしてるんだ。」
嬉しそうに言う遥。
「良い絵を描くようになったな。」
と湊も満足げにジャケットのイラストを見つめている。
その日の夕方、奈保子から電話がかかってきた。
「遥ちゃん、CD届いた? もう私、感激してしまって……。
陽菜、やっとここまで来たのよ。
何度もオーディションを受け続けて……。
SNSにも自分の歌を投稿して、認められるには長い時間がかかったの。」
「陽菜ちゃん、頑張ったんですね。」
「えぇ。
翼君のイラストも本当に素敵で嬉しくなったわ。」
「うちも今朝、CDが届きました。
ジャケットを見て、すぐに翼の絵だってわかって、家族皆で大喜びしたんです。
陽菜ちゃんの歌声も凄く綺麗で透き通っていて……聞き惚れてしまいました。」
「あの二人、いつの間にこんな形で一緒に……。
まるで夢みたいね。」
「えぇ、本当に夢みたいですよね。」
二人はしばらく、電話越しに弾んだ声をあげていた。
そして、その声がいつの間にか嬉し泣きのように変わっていった。
二人の母親は、小さな頃からの翼と陽菜の成長を想い、涙したのである。
翼の絵の指導をした誠一も世に出た翼の作品が娘のジャケットのイラストだったことに驚き、喜びを噛み締めていた。
今では、街を歩けば、あちこちの店先のスピーカーや大きなビルに取り付けられたモニターから陽菜の歌声が聴こえてくる。
陽菜の新曲のポスターには翼のポップなイラストが添えられて、道行く人たちを明るい気持ちにした。
新しい時代を歩み始めたばかりの翼と陽菜。
二人が観覧車で見た未来がどんなものであったのかは誰にもわからない。
しかし、二人の未来は、これから自分たちの手で作り上げていくものなのだろう。
観覧車は、その小さなきっかけを作ってくれたのかもしれない。
人はそれを奇跡と呼ぶのだろう。
かつて遥と両親を……翼と陽菜を乗せた観覧車は、今もゆっくりと回っている。
時代を超えて、人々の想いを乗せてーー。




