祖父の展覧会へ
「陽菜ちゃん、今日は、部活ある?」
「うん、ある!
翼君は?」
「俺もある。じゃあ、もしも終わるのが同じぐらいの時間だったら、一緒に帰ろうよ。」
「わかった。」
二人は、大きな声で会話しながら元気よく自転車に乗って登校していた。
朝日を浴びてキラキラと光る水田の脇を前後に連なって自転車は走る。
中学2年生になったばかりの二人は、毎日当たり前のように連れ立って登校していた。
同級生たちは、二人がいつも一緒にいるので付き合っているのかと聞くが、陽菜も翼も「一緒にいるのは、ただの習慣!」と答えていた。
陽菜は、軽音部に所属し、ボーカルを担当していた。
アコースティックギターも演奏し、学園祭の舞台では、透き通った美しい声を響かせていた。
一方バスケ部に所属する翼は、主力メンバーとしてチームを引っ張っていく存在だった。
中学に入ってからぐんと背が伸びた翼は、
「陽菜ちゃん、背が縮んだの?」
とふざけて聞くと
「翼君が勝手に大きくなったんでしょ。」
と陽菜は怒って答えていた。
いつの間にか背丈も足の速さも逆転した二人だったが、兄弟のように育ってきて、気持ちは何も変わっていないと思っていた。
しかし、陽菜が男子に可愛いと噂されているのを聞くと翼は妙に気になってしまう。
陽菜もバスケ部で活躍する翼に黄色い声で声援を送る女の子たちを見るとモヤモヤとした気持ちになった。
一体この気持ちは何だろう?
二人にはまだ、自分たちの気持ちが何なのかは、はっきりとわからなかった。
桜の花もそろそろ終わりに近づいた頃、翼が学校の休み時間に陽菜のクラスまでやって来た。
「あっ、翼君、何?」
陽菜が翼を見つけた。
「陽菜ちゃん、これ、一緒に行かない?」
「えっ?」
翼が差し出したチケットには、『一条 翠 回顧展』と書かれていた。
「これ……翼君のおじいさんの展覧会よね。」
「うん。」
「家でお母さんやお父さんも行くって話してた。」
「おばさんたちも?
良かったら、陽菜ちゃんは俺と行かない?」
「良いけど……。
二人で行っても大丈夫?
翼君、おばさんやおじさんと行かなくて良いの?」
「良いんだよ。
何か家族で一緒に行くのも……照れ臭いし。
俺、陽菜ちゃんと二人で行きたいんだ。」
「わかった。
それじゃあ、一緒に行こうよ。」
陽菜はチケットを一枚受け取った。
「やった!
じゃあ、今度の日曜日でどう?
俺、陽菜ちゃんの家に朝10時頃、迎えに行くよ。」
「うん、日曜日ね。家で待ってる。」
二人は約束を交わし、翼は自分のクラスに戻っていった。
二人でどこかに行くことは、今までもあったけれど……
東京までいくのは初めてのことだった。
陽菜は家に帰ってから母親に展覧会は、翼と二人で行くことにしたと告げると……
「あら、翼君と二人で行くの?
お父さんと陽菜と一緒に観に行こうと思っていたんだけれど……
何だかデートみたいで、それも良いんじゃない?」
とニコニコしながら言った。
「デート?
そんなんじゃないし……。」
陽菜は、母親にデートみたいと言われて何だか落ち着かない気分になってきた。
当日は何を着て行こうかな?と思ってクローゼットを開けて洋服を選んでみたり……髪型はおかしくないかと鏡を覗いてみたり……。
私、何やってるんだろう?
自分の勉強机に座ってしばらくぼんやりとしていた陽菜は、ふと机に置いてある手作りの鉛筆立てに視線がいった。
小さな頃、翼と海岸で拾った貝殻や家にあったビー玉をガラス瓶の上に被せた紙粘土にくつけて作ったものだ。
翼君もまだ、この鉛筆立て持っているかな?
私は、紙粘土が乾いた後全体をピンク色に塗って翼君はブルーに塗ったんだっけ……。
懐かしそうに陽菜は鉛筆立てを眺めた。
小さな頃は無邪気で良かったな……。
ただ、二人で仲良くしているだけなのに、皆、最近変なことばかり言って……。
今のままじゃ、私たちいけないのかな?
陽菜は頬杖をついてぼんやりとしていた。
その頃翼も……。
勢いで陽菜を誘ったが、考えてみると二人っきりでどこかに出かけたのは、地元のお祭りや参考書を探しに本屋に行ったぐらいだった。
日曜日は、何か特別なことをした方が良いのかな?と考え始めた。
でも、特別なことって何をしたら良いのかわからない。
展覧会を観終わった後、一緒に食事でもする?
カフェにでも入るか……。
いや~、駅前のマックぐらいしか、学生同士では入ったことがないし……翼は、陽菜とどうやって過ごしたら良いかなんてあまり、考えたこともなかった。
いつも自然体だった二人。
まぁ、どうにかなるさ……。
俺と陽菜ちゃんなんだし。
翼は、明日に備えて寝ようと部屋を暗くして布団を被って寝てしまった。
翼の勉強机に置かれたブルーの鉛筆立てに月の光が当たり、埋め込まれたビー玉がキラキラと光っていた。
翌朝……
「翼~、朝ごはん食べる?」
母の声がする。
もぞもぞと布団の中で寝返りを打っていた翼だったが……
そうだっ!
今日は、陽菜ちゃんと展覧会に行くんだった。
と飛び起きた。
翼がリビングに下りていくと母がフライパンから、目玉焼きを翼のお皿に置いているところだった。
「翼、今日は、おじいちゃんの展覧会におばあちゃんとお父と一緒に行くんだけど翼も行く?
お父さんが車で連れて行ってくれるんだって。」
「ううん、俺は良いや。
陽菜ちゃんと電車で行く。
お父さんに前もってチケットをもらっているし……。」
「あら、そうなの?
お父さん、何も言ってなかったから知らなかったわ。」
リビングに湊が入ってきた。
「お父さん、翼が展覧会に陽菜ちゃんと二人で行くんですって。」
「あぁ、陽菜ちゃん、一緒に行ってくれるんだね。
良かったじゃないか、翼。」
湊が翼を見て言った。
「う、うん。」
翼は照れ臭そうに返事をし、急いで食事を済ませた。
「じゃあ、俺、陽菜ちゃんを迎えに行ってから会場に行くから。
ご馳走さま、行ってきま~す。」
翼はそう言い置いて出かけて行った。
「あなた、翼が陽菜ちゃんと展覧会に行くこと、知っていたのね?」
「うん、数日前に俺の所に翼が来てさ。
チケットを2枚くれないかって言うから理由を聞いたらそういうことだった。」
「へぇ~、翼がね。
そんなことを……。」
「二人とも段々成長してきたってことだよね。」
湊がそう言って遥に微笑んだ。
遥も自分や湊の若い頃を思い出して
「二人ともこれからどうなるのかしらね?」
と感慨深げに言った。
翼と陽菜は、地元の駅から電車を乗り継いで東京に向かった。
上野駅で降りて、美術館の方向に進む。
駅前から上野公園に向かう道には、花見客がたくさん訪れていた。
中には、翼たちのように美術館や博物館に向かう者もいた。
桜の花が舞い散る中、東京都美術館に二人は入っていった。
『一条 翠 回顧展』ー青の記憶を辿る旅ー
美術館の入り口に貼られたポスターに書かれた祖父の名前。
展覧会の会場には、すでにたくさんの人が来場していた。
翼たちは、チケットを持っていたのですぐに入れたが、チケット売場の前には、長い列ができていた。
メディアでも祖父の展覧会が取り上げられた影響で、短い画家の生涯を知ろうとする人々が会場に詰めかけていた。
入ってすぐの所には、祖父の年譜や本人の写真などが掲げられていた。
「おじいちゃん、芸大出身だったんだ。」
翼は初めて祖父の経歴を知った。
美術評論家、野口遙人の紹介文もあった。
『彼は、自然の美しさ、静けさを愛した画家である。
青を基調とした作品の数々に込められた彼の想いを感じ取ってもらいたい。
数年前に見つかった一冊のスケッチブックには、家族への愛が溢れている。
孤独だと思われていた画家の晩年にもスポットを当てた展示となっている。』
会場の奥に進んで行くと……
翼が今住んでいる街の至るところを描いた作品が飾られていた。
光る水田、海に沈む太陽、雨に濡れる緑、海の上に浮かぶ月……。
静かな田園風景を描いた絵を前にするとそよぐ風の音が聴こえたり、海の絵には、波しぶきが上がる様が見えたり……翼は、祖父の絵に圧倒された。
「おじいちゃん、凄いや。
陽菜ちゃんもそう思う?」
「うん。
綺麗なだけじゃないよね。
翼君のおじいさんの絵は……。
あちこちで使われている青い色も冷たさだけではない、温かなものを感じる。」
二人は、画家『一条 翠』の絵を前にして言葉少なになっていった。
全ての絵を見た後、翼の家から発見されたスケッチブックが飾られているコーナーを訪れた。
「あっ、これ、俺のお母さんとおばあちゃん。」
「えっ、そうなの?
この赤ちゃんが翼君のお母さん?
可愛らしいね。」
陽菜が珍しそうに絵を眺めている。
ガラスケースに入れられたスケッチブックは、長い時を経て今、人々が目にすることになった。
スケッチブックの中の絵は、一部パネルになって展示されていた。
その中に観覧車がある遊園地の絵があった。
どうも、その観覧車に翼の母親が両親と一緒に乗ったらしい。
スケッチに添えていつ家族と乗ったかが記されていた。
「この観覧車……。」
翼が呟くと
「うん、あの潮風ドリームランドの観覧車よね。」
と陽菜も気がついて言った。
「俺たちも乗ったよね?」
「うん、乗ったね、小さな頃。」
「あの観覧車にお母さんたちも乗ってたんだ。」
翼は、自分は会うことのなかった祖父の若かった頃を想像した。
「陽菜ちゃん、あの観覧車にまつわる話、知ってる?」
「うん、聞いたことがある。
観覧車に乗ると会いたい人に会えたり、未来が見えたりするって噂よね。」
「俺たちも、そのうち……乗ってみない?
そうだな~、高校生になったら。」
「そうね、私たちが自分の将来を知りたくなったらね。」
二人は顔を見合わせて頷いた。
美術館から出てきた二人は、桜を見ながらしばらく公園の中を歩いた。
風が吹くと桜がパアッと辺りに舞い散る。
「綺麗ね~。」
陽菜がうっとりと桜の花びらを見ていた。
「俺、おじいちゃんみたいに何かを遺せる人になりたいな。
お父さんもお母さんも自分の得意な分野で活躍してるし……。
俺は、スポーツも好きなんだけれど、同じくらい絵を描くのも好きなんだ。」
「そうなのね。
翼君、昔から絵を描くのが得意だったよね。
私の家もお父さんとお母さんが画家だけれど……私は絵はそんなに上手く描けないし、どうしようかな?」
「陽菜ちゃんには、綺麗な声があるよ。
皆が感心するぐらい綺麗だよ。
その声は……大事にした方が良い。」
翼の言葉に陽菜は、自分を見ていてくれたんだと嬉しくなった。
「私たち、将来、何になったら良いかまだわからないけれど……
好きなことに打ち込めると良いね。」
「うん!そうだね。
そろそろ……お腹空いてきたなぁ。
陽菜ちゃん、どこに行く?」
「マック!」
「わかった。」
二人は、花吹雪が舞う中、上野の駅に向かって歩き出した。




