海辺の街へ
遥の母が退院する日を迎えた。
窓の外には青空が広がっている。
「お母さん、今日は湊さんが車を出してくれるそうよ。」
「えっ?
湊さんが?
わざわざ申し訳ないわ。」
荷物をまとめている母が恐縮している。
「お母さんは、まだ病み上がりだから、車に乗って家まで帰れたらありがたいわよね。
私も勿論一緒に乗っていくし、良いでしょ。」
「まぁ……そうだけど。
二人とも忙しいのに毎日お見舞いには来てくれるし、今日は家まで送ってくれるなんて……
何だか悪いわね。」
二人が話していると……病室の扉が開き、湊が入って来た。
「お母さん、退院おめでとうございます。
回復されて、本当に良かったです。
さぁ、帰りましょうか。」
「あら、湊さん……。
何から何までありがとうございます。」
母が湊に丁寧に頭を下げる。
「湊さん、早いわね。
今日はよろしくお願いします。
もう、会計は済ませてあるのですぐに帰れますよ。」
遥が母の荷物を持って湊の方に歩み寄ると、湊が遥の手からそっと荷物を受け取った。
3人はそのまま、病院の正面出口まで向かった。
「ちょっとここで待っていてくださいね。」
湊が振り向いて二人に言った。
その後、駐車場から正面出口の車寄せまで車を廻してくれた湊。
遥と母が車に乗り込む。
「お母さん、今日はドライブだと思ってゆっくり乗っていてくださいね。」
運転席から湊が振り返り、遥と母に笑顔で話しかけた。
1時間半ほど走ると景色が変わり、車は次第に海辺の街へ近づいて来た。
「海、綺麗ですね。」
湊が海沿いの道を走りながら、二人に話しかける。
海が陽の光を反射してキラキラと光っている。
「今日の海は穏やかね、お母さん。」
「そうね~。」
母が嬉しそうに海を見つめている。
「あれ、観覧車がある。」
湊の声にはっとして、遥がもう一度海を見ると海に張り出すように作られた遊園地とそこで静かに回る観覧車が見えた。
「あそこ、『潮風ドリームランド』よね。
あなたやお父さんと行った……。」
「うん。」
遥は、観覧車を見ながら答えた。
「遊園地なんですか?
海が見える遊園地なんて、素敵ですね。」
「そうね。
今度、二人で遊びに行ってらっしゃいよ。」
遥は、母の声を聞きながら、不思議な気持ちにとらわれていた。
しばらく走ると遥たちの住む街に車が入っていき、静かな住宅街にある一軒家の前で止まった。
家の前には庭があり、母が育てたチューリップやパンジーが風に揺れていた。
海に近いため、ほのかに潮の香りが漂っている。
3人が家の前に降り立った。
瓦屋根の白壁の家。
庭に面した縁側が陽の光を浴びている。
「良いお宅ですね。」
しみじみと湊が遥の実家を眺めて言った。
「そう?」
母が湊を嬉しそうに見た。
この街の柔らかな空気、遥の実家の佇まいーー
湊は、全てが気に入った。
ここでなら、落ち着いた温かな暮らしができそうだ。
「お母さん、僕たち……結婚してこちらに住まわせて頂けないでしょうか?」
「えっ?」
唐突な湊の言葉に驚きの声をあげる母。
「湊さん、その話は家に入ってからしましょうよ。」
慌てて遥が湊に言い、母や湊を促して家の中に入った。
それからーー
湊と遥が自分たちの考えていることを母に話した。
「そんな……
私のためにそこまでしなくて良いのよ。
まずは、自分たちの生活を一番に考えて頂戴。」
しばらく母は、聞く耳を持たない感じであったが、仕舞いには湊の熱心さに根負けした形となった。
「昔は遥の父親も住んでいましたしね。
部屋数は、一応あるから……。
少し手直ししたら、3人で住めるかしら。」
「そうですか!
費用は僕も持ちますので……。
遥さんとお母さんが一緒にいてくだされば、僕も安心して仕事ができます。
こちらは、自然も豊かですし、創作意欲も増しそうです。」
「お母さん、これからは私たちがついているから、心配いらないわよ。
お母さんには、お料理も教えてもらいたいし……。」
「お料理ね、それは、良いんだけれど。
湊さんのご両親は大丈夫なの?
あなたがこちらに住んでも……。」
母は湊の方を向いて話しかけた。
「もう、そう話してありますから、大丈夫です。
お母さんのことを母たちも心配していました。
今度、両親もこちらに連れてきますね。
正式にご挨拶させてください。」
母は、この急展開に驚いてはいたが、以前より弱ってしまった自分自身に自信が持てないのも事実だった。
母ひとり子ひとり。
ずっと支え合ってきた母と遥には、湊の申し出はありがたかった。
これからは、3人で仲良く暮らせれば……。
遥は、そう思って新たな生活を思い描いた。
それにしても、今日久しぶりに見た観覧車は、以前と何も変わらずに動いていたがーー。
自分以外にもあの観覧車で不思議な体験をする人はいないのだろうか?
まだ、自分の体験は誰にも話していない遥だった。
私が今、ここに湊さんと一緒にいるのも、きっかけはあの観覧車だったかもしれない。
ゆっくりと回り続ける観覧車ーー。
遥は、またいつか観覧車に乗る自分を想像していた。
遥の側で、すっかり仲良くなった湊と母が話し込んでいる。
亡くなった遥の父親の話をする母。
その話を熱心に相づちを打ちながら聞いてくれる湊。
本当に優しい人だな……。
遥は、湊の横顔を見つめていた。




