ツモ切り前への扉
ヒガシ、ミナミ、ニシ、キタは、いつものように雀卓を囲んでいた。
ミナミがふと思い出したように口を開いた。
「昨日観た映画なんだけどさ、自分自身が自分の父親でもあり、母親でもあるって話」
「禅問答か?」
「いや、そうじゃなくて、タイムトラベルもので」
ニシの質問に答えるも、説明に窮したらしく黙ってしまったミナミを見て、ヒガシが話を続ける。
「俺もかなり前に見たな。主人公が半陰陽だかで、過去の自分と子供を作って、出来た子供も自分だったとか。結局、主要人物全員が主人公その人でした、みたいな話」
理解したように頷いたニシが、ミナミに尋ねる。
「それがどうかしたか?」
「どこがスタートになるのかなって。主人公が生まれた瞬間だと親は誰ってことになるし」
「また随分と古典的な疑問だな。その映画ではタイムマシンのようなものが出てくるのか?」
頷くミナミを見て、ニシが続ける。
「であれば、それを使った瞬間だろう」
「意外。何で?」
ニシの質問に「あくまで俺の考えだが」と前置きして、ヒガシが続ける。
「その映画に限らず、過去への移動とはその文字通りの意味ではなく、世界そのものを創造するのだろう」
何を言っているのか分からない、というような表情を浮かべたミナミに代わり、ヒガシが口を挿む。
「過去そのものに行くんじゃなくて、全宇宙レベルで、特定の状態を再現するってことか?」
うむ、とニシが頷いた。
「なんで過去に行くんじゃダメなの?」
「さっきお前が言っただろう。解決できないループが発生するからだ」
微妙な表情を浮かべるミナミを横目に、ヒガシが聞く。
「なら、過去を改変するたびに世界が分岐していくって解釈はどうなんだ?」
ニシが頷いて答える。
「それでも駄目だろう。分岐に分岐を繰り返していくと、最終的には無限の質量に辿り着くはずだ」
「分岐元から何かしらが移動していく分が積み重なっていく、てことか」
納得したように頷き、「ヘヴィだな」と鼻を鳴らすヒガシに、「重さは関係、あるな」とキタが呟くと、二人は頷きあった。
余計に混乱したような表情でミナミが言う。
「よく分からないな。結局どういうことなの? キタ?」
「直接の過去への移動はあり得ない」
ヒガシとニシが頷いた。諦めたようにミナミが呟く。
「とにかく駄目ってことね。分かりました」
溜息を吐き、ミナミは続ける。
「世界そのものを創造? 再現? するっていうのはどういうこと? 元の世界はどうなるの?」
ニシは少し考えてから答えた。
「その映画で言えば、ストーリーのある時点の状態を再現するということだ。たとえば、『本来の過去』には存在しないであろう人間が存在することになるのだろう? そういうものも含めて創造する、ということだ。元の世界については、そうだな、材料にでもするのかもな」
ニシは答えてから、「ああ、材料にするならある程度の制限はかかるのか」と一人納得している。
「それなら問題ないの?」
「過去への移動のような、世界の存続そのものが危うくなるような問題は、ない」
ミナミは曖昧に頷き、思い付いたように尋ねた。
「でもさ、過去に移動するより、そっちの方が大変に聞こえるんだけど。全宇宙レベルで作り直すんでしょ?」
「過去に移動するのも変わらぬ。全宇宙レベルで遡らないと、同じ過去にはならぬだろう」
「バタフライエフェクトだったか。蝶の羽ばたきが竜巻を起こすように、初期状態での微妙な差が、大きな差になるっていう」
ヒガシの言葉にニシが頷く。
「そうじゃなくて、たとえばさ、過去に行くってことは、道を歩く人が、逆に進むとか、歩いてきた所にもう一度置かれるってことじゃないの? ニシが言うのだと、道も、歩いてる人も、それ以外も全部作り直すってことでしょ」
「時間の捉え方が違う。時間は道だとか、数直線に例えられるような、規則正しく連続したものではない」
またも混乱したような表情を浮かべるミナミに、ニシがやや考えてから、雀卓を見て続ける。
「今の河を見て、次に切られる牌は分かるか?」
首を振るミナミにニシが続ける。
「では、一手前、一手前と繰り返していったとしても、この前の局まで再現できると思うか?」
「無理だよね」
ミナミの言葉に頷き、「最も、一手前の時点で同じことだが」と呟くニシに、ヒガシが尋ねる。
「過去は確定しているというだけで、過去も未来も、予測するのは同じくらい難しいということか。それが時間の捉え方とどう繋がるんだ?」
「時間とは数字の零と同じく、概念的なものでしかないということだな。あるのはそれぞれの時間に対応した状態だけだ」
ニシの言葉に、「理解はできるが」と呟くヒガシを横目に、ミナミが大きな溜息を吐いた。
「とにかく、過去には行けないけど、過去のような世界には行けるってことね。でもさ、それって過去に行くのと違いはあるの?」
「結果としては何も変わらんな」
ニシは微笑して答えると、軽く肩を竦める。
「いずれにしても、過去に行くなどフィクションでしかないがな。俺の方法も、原理的には辛うじてマシというだけだ」
「何とか兄弟の映画みたいな世界ならニシの案も実現できそうだな」
「今は姉妹だ」
ヒガシの冗談めかした言葉に応じたキタの呟きに「そうだった」とヒガシは笑いながら頷いたが、ミナミとニシは何の話か分かり兼ねた。
ミナミが何か言おうとしながら牌を切ったが、それを見たキタが手牌を倒しつつ呟いた。
「ロン。8000」
ミナミは笑いながら言った。
「こういう話してる時にダマはずるいって。雀卓だけでいいから過去の状態再現してよ」