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「我がラース侯爵家と王家は、今は大変良好な関係を築いていますが、そうでは無い時期も、多々ありましたわ」
ニコニコと微笑みながら、エリスは物騒な事を言いだした。王家への叛意を疑われる様な言葉に、ブレインは内心ヒヤリとしたが、自分以外は誰も特に気に留めていない様なので、エリスに続きを促す。
「ラース侯爵家は建国時からある古参の貴族です。ロメオ王国もここ三代ほどは落ち着いていますが、建国当時や節目節目にはその安定性を欠く事もございました。その様な時に、力ある貴族家というのは王家の疑心を招きやすいもの。謀反を疑われた事も一度や二度ではございません」
良い人材が育つラース侯爵家。優れた知力も、突出した武力も味方ならば心強いが、敵に回れば恐ろしい。特に王家の力が不安定な時は、疑心を持たれる事も多かった。
「ですが、ラース侯爵家は、代々、なんと言いますか……人材育成や、研究は好きなんですけどねぇ。統治とか、覇権争いにはとんと、興味を持たない者が多くてですねぇ」
エリスは困り顔で首を傾げた。
「だって、大変でしょう?国を治めるなんて。どうしてそんな面倒な事を、わざわざ引き受けなくちゃいけないのかしら?」
代々が学者肌で凝り性のラース侯爵家は、むしろ領地の統治すら面倒だと感じるのだ。野心よりも研究心が勝っていた。
「私が当主に決まるまでも、兄と散々争いましたからなぁ。どちらも侯爵家の当主になりたくなくて。それよりも研究がしたかった。良い人材を育て、研究仲間を増やし、研究を発展させたい。私は兄と50回に及ぶヒプレスの末、私の24勝26敗で侯爵の座に就きました。兄は未だに領地で仲間たちと研究三昧。羨ましい……」
ラース侯爵が悔しげに愚痴る。ヒプレスというのはカードゲームの一つだ。そんなもので侯爵家当主の座を決めたのか。しかも負けた方が当主なのか。
ブレインは呆れたが、成程、これがラース侯爵家なのだろう。普段、夜会などに出席するが挨拶が終わるといつの間にか居なくなってしまう理由が分かった。面倒なんだろう。
「そういう我が家なのですが、国が荒れている時は兎角、争いに巻き込まれ易く……。そこで疑われるのが面倒になった何代か前の当主が、王家と取り決めを交わしました。我が家は王位の簒奪など望んでいない証に、研究成果や優れた人材を王家に差し出すと。その代わり、王家は我が家には不可侵であると。不可侵と言っても、納税や有事の兵役は他家と同じですわ。無理に我が家に圧力を掛けたり、強引な囲い込みをしないという不可侵です。また、今回のような不測の事態で我が家が動いた時は、王家に目眩しのお手伝いをお願いしております。他の有力貴族に目を付けられても困りますから」
「ハル・イジーが渡していたラース侯爵家の紋章は」
「ラース侯爵家と王家の事情を知る者は、貴族の中にも幾人かおります。各部署の重鎮や現場の主だった者です。シュリル・パーカーもその一人です。その者達に、当家の紋章を渡せば、陛下の御裁可のもと、諸々の処理がされるようになっております」
呟くブレインに答えたのはハルだった。シュリル・パーカーがラース侯爵家の事情を知る事が出来たのは、ハルとシュリルが学園で同級生だったからだ。貴族の嫡子の義務で仕方なく通った学園だったが、王弟といい、シュリルといい、余計な関係者をエリスに近づける結果となり、全くもって良い事など一つもなかった。
「では、王家がエリス嬢を求める事は…」
「ラース侯爵家が了承しなければ無理でございます!」
ハルが鋼の様な声で答える。ヒヤリとした魔力まで立ち昇らせていた。
「そうですわねぇ。わたくしが王家の方と恋にでも堕ちない限り、あり得ませんわね」
コロコロと笑うエリスにギラリとした目を向けるブレインだったが、冷たい目で見返されてギクリと身体を強ばらせた。
「殿下。学園内では今まで通りの態度が宜しいかと。殿下にお気持ちを傾けていらっしゃるお嬢様方も多くていらっしゃいますから。あの方達のお心を傷つける様な真似はなさらない方が宜しいですわ」
ニッコリと、エリスは扇の奥で微笑む。ブレインの正妃候補として名が挙がっているのはローズ・トレス嬢とリリー・オーウェン嬢。どちらも有力な侯爵家の令嬢だ。性格的な難はあるが、正妃としての資質は充分備えているとエリスは見ていた。冷静なリリーを正妃に、ローズを側妃とすれば政治的なバランスも取れるであろう。
エリスが国王に視線を向けると、国王は重々しく頷いた。
ラース侯爵家と王家はお互いに不可侵。
それでお互い上手くやってきたのだ。ラース侯爵家は自由にさせておけば、莫大な利益をもたらす。それが代々の王に引き継がれてきた教えだ。過去には野心を持った王が無理にラース侯爵家を手中に収めようとして、他国に出奔されそうになった事もあると言う。それこそ、エリスの言ではないが、金の卵を得るためにという話にもなりかねない。
「王命で王太子とラース侯爵令嬢との婚姻はあり得ない」
王は厳かに断言する。ブレインが悔し気に顔を歪めた。
「第一、ラース侯爵家の後継は決まったのか?」
続く、呆れた様な王の言葉に、エリスはキラキラした笑顔を浮かべた。
「勿論!長子にして男性でもあるハリーお兄様が…」
「エリス、我が国の法では女性にも当主たる資格がある」
エリスの弾んだ声を、兄のハリーが冷ややかに遮る。
「まぁ!ここは年功序列でお兄様こそ相応しいですわ!」
「我がラース侯爵家も保守的な考え方だけではなく、他家同様、革新的な取り組みも必要だ。取り掛かりとして女当主は良い案だろう」
ラース侯爵家の兄妹による後継争いが、いつもの調子で始まった。上手く侯爵の地位を相手に押し付けたい二人の争いは、最早日常茶飯事だった。
エリスの功績が多く王家に取り沙汰されているが、実は兄のハリーも逸材である。幾人もの手足となる部下達を持ち、上手く情報操作をして己が目立たぬよう画策出来る分、エリスよりも上手と言えるだろう。
「革新的な取り組みも結構ですが、やはり伝統を重んじるのもまた貴族のあり方…」
「陛下はこれまでも多くの革新的政策を打ち出しておられる。この時流に乗るのが貴族としての務め…」
「もうさぁ、私と兄の時みたいにヒプレスで決めたら良いんじゃないかなぁ」
投げやりなラース侯爵の言葉も、エリスとハリーの耳には入ってこない。二人とも、どうしても後継としての役目を避けたいのだ。
恐れ多くも王の御前で、ラース侯爵家の後継者争いは、白熱したものになっていった。
◇◇◇
ラース侯爵家が辞した後。
含みのある視線を向けられ、王は首を振る。
「ダメだ。エリス嬢の事は諦めよ」
「ですがっ!!」
彼女ほど妃に相応しい人がいるだろうか。身分とて侯爵家。何の問題もない。
「エリス嬢ならば、私の伴侶として相応しく、国をより高みに導けましょうっ!」
ブレインが熱望していた同じ視線で国を治める事の出来る人だ。彼女と比べたら、妃候補として挙がっている令嬢達のなんと浅い事か。
「諦めよ。あの家を権力の中枢に据えるなど、それこそ夢物語だ」
「ですがっ!」
食い下がる息子に、王は諭す様に告げる。
「ワシもなー、お前ぐらいの時はなんとかラース侯爵家を取り込めると、考えておったよ。いやー、あの頃は出来ない事などないと思っておった。若かったなあ」
王冠を無造作にテーブルに放り投げた王は、はーっと長いため息を吐いた。
「ワシの代で始まった制度や事業は、殆ど今のラース侯爵やその兄が学生の頃に考えたものよ。画期的だの先進的だの賢王だの持て囃されておるが、全てはラース家の功績だ。あれほど有能な者を、施政者として側に置きたいと思うのは当然の事よ」
王の代ではちょうど今のラース侯爵とその兄が同年代。どうにか側近に召し抱えようと、王も色々な手を打ったという。
「だがなぁ。侯爵もその兄も、是とは言わなんだ。アレ達は我儘でな?貴族の身にありながら、自分のやりたい事しかやらんのよ。ワシらが与えられる、地位や名誉や領土はアレ達には褒美どころか足枷よ。どうにもならんかったわ」
王命で強引に召し抱えたとしても、ラース侯爵家は従わない。下手すれば、国外に一家ごと、どころか、有用な者たちすら引き連れて、移住してしまうだろう。それすら、あの家の者には容易い事だ。
「まぁ。いまの身軽な学生の間に、エリス嬢を口説くぐらいは許されるのではないか?あの娘の周りには、中々に手強い恋敵が多いが、挑戦するぐらいは良いだろう。但し、エリス嬢の平凡な学園生活とやらは邪魔してはいかんぞ?」
そして王は人の悪い笑みを浮かべる。
「王太子という身分が通じない以上、エリス嬢を堕とせるかは、お前自身の魅力次第か。自力でエリス嬢の側にいる恋敵達に比べて、ずいぶん出遅れておるなぁ。……勝ち目はなさそうだが、精進しろよ」
そんな辛辣な言葉を最後に、父子の謁見は終了した。
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