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「お召しにより参上致しました」
穏やかで深みのある声で、ふくふくとした顔つきの男が、恭しく臣下の礼を執る。
もう1人は長身の、がっしりとした身体付きの若い男が、同じく臣下の礼を執った。
「ラース侯爵。それに子息のハリーだったな。よく来てくれた。すまんな、忙しいところに」
「いえ、陛下のお召しとあればいつでも。最近は繁忙期も過ぎて落ち着いております」
ラース侯爵は柔和な笑みを浮かべ、やや寂しくなってきた頭髪に手をやった。毒にも薬にもなりそうにない、真面目だけが取り柄の平凡な男だというのがブレインの印象だった。
だがあのラース侯爵家の家長だ。見た目通りではないのかもしれない。その嫡男も、そういった目で見れば一癖も二癖もありそうだ。
「此度は其方の家の者に、ブレインと側近達が危ないところを助けてもらった。礼を申す」
「いえいえ。我が家の者達が付いていながら殿下を危険に晒してしまい、申し訳ありません」
ラース侯爵はゆったりと首を振る。
「そう言ってくれるか、ラースよ。協定にも反する事になってしまい、我らもすまなく思っておるのだ」
「今回の事は陛下も予期せぬ事でございましょう。娘も特段、気にしてはおりませぬよ」
娘、の一言にブレインはドキリとした。討伐以降、ずっとエリスの事が頭を離れない。様々な疑問と混乱、そして、あのエリスの穏やかでミステリアスで可愛らしい微笑み。女性の事を想って寝付けないなどと、ブレインには初めての事だった。
「して、そのエリス嬢は」
陛下の言葉に、ブレインは再び胸を高鳴らせた。今日はエリスの姿は謁見室にない。てっきり不参加かと思っていたのだが、どうやら彼女も呼ばれているらしい。
「わたくしや息子なら兎も角、娘が王城に召されるのは理由が有りませぬので、表立っては参上しづらいと。後ほど転移魔術で参ります」
「転移魔術?しかし王城は魔術を跳ね返す結界陣が……」
王の言葉が終わらぬ内に、キラキラと柔らかな光が差し、滲み出る様に人影が現れる。光が治まればそこには、学園で見かけるよりも質の良い洗練された薄青のドレスを纏ったエリスと、いつもと変わらぬ執事服のハルが佇んでいた。
「ご機嫌よう、陛下。お召しと伺い参上致しました」
朗らかなエリスとは対照的に、ハルの機嫌は最高潮に悪かった。凄絶な美貌に不機嫌な色が乗るだけで、魔王の様な迫力がある。
「エ、エリス嬢?久しいな……」
優秀な魔術師数人がかりで施してあるはずの結界陣もものともせず、エリスとハルはすんなり王城へ転移をしている。少しは魔法の心得のある王だったが、結界陣の揺らぎは露ほども感じなかった。
「エリス嬢!」
昨日からずっと頭を離れないエリスを目にして、ブレインは思わず声を上げた。その喜色の籠った声に、ハルの片眉が跳ね上がる。
「おや、早かったね、エリス。ハルも一緒か。いつもご苦労だね」
のんびりしたラース侯爵の言葉に、ハルは淀みなく反応する。
「私がエリス様のお側にいるのは当然の事。本来ならば学園でもご一緒したいのですが、卒業してしまいましたのでままならず!」
「学園に入学すると、屋敷でエリスの世話が出来なくなるから嫌だと飛び級で卒業したのはハルだろう?」
「くっ!エリス様がこれ程愛らしく美しくご成長なさるとは想定外でした。こんな事なら入学時期をずらしてエリス様と共に学園に通えばよかった!そうすればエリス様と行きも帰りも同じ馬車で、エリス様を膝に乗せてピッタリ寄り添い登校出来たばかりか、有象無象の害虫が近づくのを排除抹殺出来たのにっ!」
「ハル、発言が気持ち悪いわ」
眉を顰めたエリスにバッサリと言われて、ハルは情けない顔で地べたに頭を擦り付けて平伏した。
「申し訳ありません。うっかりと願望が口から漏れてしまいました。お耳汚しを」
「それに登校にはダフとラブが一緒だから楽しいわよ?うふふ、ずっとお喋りしているのよ」
「おのれ、愚弟と愚妹の分際で……」
怨嗟の籠ったハルの声は、幸いにもエリスには届かなかった。
「……ごほんっ、エリス嬢。此度はブレイン達が世話になったな。其方らがいなければ、無事に帰る事も難しかったろう。礼を言う。褒美に何か望むものはないか?」
「わたくしは変異種を頂きましたので特には……。あぁ、そうそう。あの変異種の魔石を分析したら、魔力値に随分と偏りがございましたのよ。どうやらあの森のどこかに、魔力溜まりが出来ているみたいですわ。魔物の暴走を引き起こしかねないので、初級冒険者の立ち入りを禁止して、早急に神殿に浄化の依頼をした方がよろしいですわ」
「僭越ながら冒険者ギルドには私の名で既に注意喚起を行なっております。神殿にも通達済みですので、陛下のご命令があればすぐに動けるでしょう」
顔を上げたハルが、別人の様にキリッとした秀麗な顔で告げる。その額に平伏の時に擦りむいたのか血が滲んでいたが、それさえも何か高貴な飾りの様に見えた。
エリスが治癒の為にハルの額に触れた。ハルの身体にエリスの魔力が流れ、ハルはウットリと目を細め、その手に額を擦り付けた。
「お前たち、陛下の御前だよ。少しは弁えなさい」
ニコニコと見ているだけのラース侯爵を見かねて、エリスの兄ハリーが2人を注意する。ラース侯爵家の中で彼が一番真面目で良識派なのだ。比較的には。
「良い。それよりも重要な知らせ、感謝する。神殿には直ぐに浄化に取り掛かってもらおう。それと、其方の侍従と侍女の持つ剣と杖だが、特別な魔術陣の付与をしているとか…」
王の問いに、ぽんっと手を鳴らして、エリスは無邪気に首を傾げた。
「あら、わたくしとした事が。ご報告が遅れてしまいましたわね。仰る通り、今は色々と魔術陣の開発を行なっていますの。ただ、一つの魔術陣を構築するのに百近くの魔石が必要ですの。ダフとラブの剣と杖も、ハルが協力してくれたから何とか作れましたのよ?まだまだ費用的に改良の余地がありますわ。お披露目はもう少し先になりますわね」
「ふむ……。だが既に、付与の成功した剣と杖は存在するわけか」
「あら陛下。王太子殿下と将来有望な側近を必死でお救いした、可愛い私の侍従と侍女に褒賞を与えるどころか、騎士の魂と言われる剣と、魔術師の分身である杖を取り上げるなんて事、なさるおつもりではございませんわよね?」
一国の王に圧のこもった視線を向けられても、エリスは軽やかに躱し、反対にチクリと釘を刺す。
「いやしかし、その効果が本当ならば、国宝級の……!」
「お腹が空いたからといって、金の卵を産む鳥を殺して食べてしまうおつもりですか?」
エリスは微笑んだ。その氷のような微笑みに、王は瞬時に自分の失態を悟るが、それを表に出さず、鷹揚に頷いた。
「……待っていれば鳥は卵を産んでくれるのだな?」
「勿論です。陛下のためならば力を尽くしますわ」
ヒヤヒヤする2人のやり取りにも、エリスの父であるラース侯爵は動じない。愚鈍にも見える穏やかな笑みを浮かべるのみだ。
「……分かった。エリス嬢の言う事だ、信じよう」
これ以上我を張るのは得策ではないと、王は引いた。エリスの笑みが元の通り令嬢らしい穏やかさを取り戻すと、小さくホッと息を吐く。
一方でブレインは棒を飲んだように硬直していた。常に王たる威厳を纏い、他者に折れるところなど見た事のない父がアッサリと侯爵家の令嬢の忠告に引き下がった事にも目を疑ったが、一瞬垣間見えた、エリスの冷ややかな殺気が、心底恐ろしかった。あの変異種の魔獣の殺気など、可愛らしく感じるぐらいの恐怖だった。
しかし同時に異様な強さが放つ美しさに惹きつけられ、瞬きも惜しいほど魅入られたようにエリスを見つめる。
王は空気を変えるように咳払いをする。
「あー、時にエリス嬢。そろそろブレインにも、我が王家とラース侯爵家との付き合い方について伝えたいのだが、構わぬかね?」
慎重な王の言葉に、エリスは可愛らしく微笑んだ。
「えぇ。急だったとはいえ、あのような場面を見られては、お伝えしないと、どのような反応をなさるか心配ですもの」
言外にキチンとブレインの手綱を握っていろと言われて、王は気まずく咳払いを繰り返す。
「父上。ラース侯爵家との付き合い方とは一体…?」
ブレインの困惑した様子に、王は重々しく口を開いた。
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