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「で?なぜこんな森の奥に入ったんだ?ブレイン殿下」
あの後、暫くして学園の教師達が駆けつけた。へたりこむマックスとライトに数人の教師が慌てて駆け寄る。怪我と魔力切れのところ、銀毛犬からの威嚇に晒され、彼らの気力は限界に近かった。
引率の責任者であるシュリル・パーカーは、冷ややかな目でブレインを見据える。まだ20代前半の若手ながら学園の教師の中では随一の実力者で、国を代表する上級魔術師でもある。例え相手が王族でも、教え子ならばその指導に容赦はない男だ。
「あ、ああ。すまない、シュリル先生。私の判断ミスだ。自分達の実力を過大評価していた。これまでもたびたび、決められた範囲を越えて討伐をしていたから、今日も大丈夫だと思ってしまった」
見渡せる範囲には夥しい数の魔獣の死骸。初心者向けのソーナの森にしては多い魔獣の数だが、そもそも森の中は絶対の安全などない。だからこそ討伐範囲は学園の教師達が事前調査を綿密に行い決定している。実習に参加する生徒たちには、学園の決めた範囲を逸脱しないよう注意している。
しかし、毎年その範囲を逸脱するバカは発生していた。元々自尊心の塊のような貴族が通う学園だ。己の力を過信し、討伐実習に選ばれた高揚感から調子に乗る者は出てしまうのだ。それを想定し、教師達は対策を取っている。今回は想定を上回るバカが発生してしまったようだが。しかも王太子。シュリルは頭が痛くなった。
「確かに、愚かな判断だ。リーダーの判断ミスで全滅に至る、典型的な例だな。いずれ国を導く立場になられる事を自覚された方がいい。道連れになるのはこの国の民だろう」
その淡々とした叱責は、ブレインのプライドを酷く傷つけた。しかし正論故に言い返すことは出来ない。仮令王族といえども今は学園の生徒。教師の指導は甘んじて受けるべきだ。
シュリルはブレイン達のすぐ側の、血痕の飛び散る場所を見て、訝しげに目を細めた。周りで黒焦げになっている魔獣の死骸とは桁違いの魔力を感じる。
「あの黒焦げの魔獣以上のヤツがいたようだな?何が出たんだ?」
まだ乾いていない血痕に近付き、シュリルが誰ともなしに呟く。
「銀毛犬の変異種です」
答えたのはラブだった。その静かな声に、弾かれたようにシュリルが顔を上げる。
「銀毛犬の変異種?確かか?」
コクリと頷くダフに、シュリルは頭を抱える。
「おい。お前らよく生きていたな?上級魔術師でも討伐は難儀だぞ。一体どうやって……」
ダフが無言でカードをシュリルに差し出す。その表面に刻まれた紋章を見て、シュリルが目を見開く。
「……あぁ、なるほど。了解した。他言無用、秘密裏に処理をする」
「感謝します」
ダフは無表情に頷く。奇怪なやりとりに、ブレインは困惑の目をシュリルとダフに向ける。マックスとライトも、フラフラしながらも不思議そうな顔をしていた。
「何の話をしている。シュリル先生、我々を救出し魔獣を討伐したのは…」
「ブレイン殿下。今回の件については、陛下にご報告後、判断が出るまで他言は無用です」
厳しい口調でシュリルはブレインの言葉を遮った。
「何故だ?」
「国策に関わる事故、私にお話し出来る権限はございません」
「…分かった」
そう言われては、ブレインはこれ以上問い質す事は出来なかった。王の裁可に委ねられる事に、王太子といえど口を出す事は出来ない。
ブレインがそれ以上聞いてこない事に安堵し、シュリルはそっと息を吐いた。
他の教師達が、マックスとライトを抱えて運び出す。魔獣の黒焦げも穴を掘って埋めてある。シュリルの教師として、国有数の魔術師として出来る事はここまでだ。あとは森から帰還するのみ。そう、仕事は終わったのだ。
「ダフ・イジー」
シュリルはダフに向き直り、キラキラした目を向ける。嫌な予感がして、ダフは眉を顰めた。
「陛下の許可が降りたら、どんな討伐だったか、教えろ。どんな魔法で、どう展開して、どう仕留めたか。余さず書き起こして寄越せ」
やっぱり、とダフはため息をつく。ラブもこの魔法バカめ、という呆れた目をシュリルに向けている。
「無理です!シュリル先生の望まれるようなお話しは出来ませんよ。私も動きを追うだけで精一杯でしたから。ご本人から聞いてください」
突き放すようにダフは断る。教師としてはサッパリと親しみやすく、教え方の上手いシュリルは好きだが、魔術師として好奇心に取り憑かれた時のシュリルは厄介だ。やたらと細かいししつこい。同じ事を何度も違う角度から聞かれるのだ。絶対に相手をするのは嫌だ。
「ハルのやつのガードが堅いんだよ!面談の申し込みをしただけで、全力で襲ってきやがったんだぞ!」
シュリルの言葉に、双子は顔を見合わせる。
「それは仕方ないですよ。シュリル先生、男性ですし」
「俺は下心なんかねぇよ!純粋に魔法の話をお聞きしたいんだよ。俺には可愛い嫁と子どもがいるんだぞ?浮気なんかするかっ!」
「兄は忠実に見せかけて狂犬みたいなものですので。独身だろうとなかろうと、近づく男は皆血祭りにあげます。諦めた方が」
「昔から全然変わってねぇなぁ!お前らの兄貴は!」
シュリルはもう10年以上も、ラース侯爵家に纏わる様々な魔法を解明したいと願っているのだ。だがこの願いは、一度も叶えられていない。ある男の病的な嫉妬のせいで。
学園の教師にして、国を代表する魔術師シュリル・パーカーは、かつての学友で同級生のハル・イジーに、怨嗟の声を上げた。
◇◇◇
王宮へ戻ったブレインは、一連の報告を受けた国王陛下に呼び出された。
側近のマックス、ライトは自宅での謹慎を命じられていた。側近でありながら己の力を過信し、本来ならばブレインを止めるべきだったのに、一緒になって調子に乗り、未来の王を危険に晒したのだ。彼らはそれぞれの父親に、文字通り襟首を掴まれ、引き摺られるようにして連れて行かれた。どちらの父親も、性根を叩き直すと息巻いていた。
ブレインも父からの厳しい叱責を覚悟していたが、父は物憂げに肘を付いて座っているだけで、ブレインは戸惑っていた。
「いや〜、ブレイン。よく無事だったな。銀毛犬が出るなど、驚いただろう」
ため息混じりに言われ、ブレインは身体を強張らせる。自分の判断ミスで友人や下級生を危険に晒したのだ。後悔しかない。
「私が至らぬせいです。どのような罰でも…」
「あー、いや、お前は阿呆じゃないから。ワシが何も言わずとも、海より深く反省しとるだろ。それはもういい。学園はなぁ、色々無意味な決まりがあると感じるかもしれんが、あれも全て生徒の為のものなのよ。大人になって分かる事もあるからなぁ。今回の事でお前も今後は自分の影響力を色々考えるだろう。まぁ、励めよ」
気の抜けた調子でそう言うと、父はキリリと顔を引き締め、王の顔になる。
「父親としての話はここまでよ。ブレイン、ここからは余の言葉として聞け」
その声音に圧を感じ、ブレインは居住まいを正した。
「明日の昼、ラース侯爵家を呼んでおる。其方も世継ぎとして、あの家の事をそろそろ知っておくべきであろう」
ラース侯爵家。
ブレインの中で今一番知りたい事だ。王の申し出は願ってもない事だった。
「陛下。ラース侯爵家は…」
「明日の会談を待て。まだラース侯爵家からの許可を取っておらん。余とて、まだ何も語れぬのだ」
ため息混じりの王の言葉に、ブレインは再び硬直した。ラース侯爵家の許可。一国の王が何故、侯爵家の許可など取る必要があるのか。
ブレインは明日の会談を心待ちにするのと、不安になるのとが半々の、複雑な気持ちで立ち尽くしていた。