2
ブレイン・ロメオはロメオ王国の王太子である。
彼は幼い頃から多くの期待をかけられ、それに着実に応えてきた。
常に笑顔を絶やさず、穏やかで余裕を持ち、優秀である事は当たり前で、それ以上の能力が求められるのが王族というものだ。
ブレインの顔立ちは、隣国の王女である母に似た華やかな美しさと、賢王と名高い父の涼やかな美しさを引き継いでいた。美貌も優秀さも地位も何もかも兼ね備えた彼は、自分の側近達以外の者の、教養と意識の低さにうんざりしていた。
特に、王太子妃候補である令嬢達は、その筆頭候補であると言われる公爵家や侯爵家の令嬢達ですら、ブレインの心を動かす様な者はいなかった。彼女たちが口にするのは、髪型や流行のドレスの話ばかり。ブレインにとってはどうでもいい話題で、茶会を共に過ごすのも苦痛だった。彼は有限な時間を、無駄に使いたくなかったが、次代の王たるブレインの妃の選定は、国の、王太子としての、最優先事項だ。令嬢達との交流を断る術はなかった。
だが、彼の目から見て王太子妃の資格を備えた令嬢は、国内には皆無だった。他国の王家や高位貴族の娘まで当たってみたが、政略的な問題や条件が合わず、妃探しは難航していた。
「殿下は妃に求めるものが高すぎるのではないでしょうか。美しく、教養高く、魔力も強く、見識も広く、所作も完璧、民や臣下を思いやれるなんて、そんな女性は、そうそういませんよ?」
「王妃様とて魔法は不得意でいらっしゃるが、賢妃と敬われているじゃないか」
側近のライトとマックスに嗜められるが、ブレインとて、全て完璧でなければならないと思っている訳ではない。しかし彼の求める条件の内、叶えられない項目が多い令嬢を、無理して娶る必要もあるまい。
「私は賢王と名高いあの父上の跡を継ぐのだぞ?私自身も完璧である必要があるが、周りの者の力もいるのだ」
そう言うと、側近達は口を噤んだ。彼らも分かっているのだ。ブレインが偉大な父親の跡を継ぐ時に、苦労するであろう事を。
ブレインの父である現国王アルバート・ロメオは、ロメオ王国始まって以来の賢王と称えられている。アルバートはこれまでの身分制度を緩和し、実力のある者ならば平民でも国の重職に就けるよう、革新的な改革を行った。
その結果、特に旧体制の色が根強く残っていた魔法省に、平民であるが非常に優秀なエリフィスという男が入省した。彼は次々と画期的な魔法具の開発を進めた。彼の作る魔法具は、軍事的な物から暮らしに根付いた身近な物まで多岐に渡り、王国の生活レベルは格段に上がり、諸外国からの評価も高まった。
国王はエリフィスを重用し、魔法省にエリフィスの特別部門を設け、優秀な魔術師を集めて魔法具の開発を行っている。エリフィスは偏屈な男で余り表舞台には出ないが、王はそれを許し、王自らがエリフィスの後ろ盾である事を示して、国内外を牽制していた。平民でありながら、エリフィスがその能力を潰される事なく発揮出来たのは、間違いなくそのお陰だ。
国王が抜擢したのはエリフィスだけではない。色々な部署に身分に関わらず真の実力のある者たちを登用し、様々な結果を出している。これにより、王家への求心力は高まり、その治世は盤石で、揺るぎないものとなっている。
「父上が身分制度の緩和を取り入れた時、かなりの反発があったと聞く。それを乗り切れたのは、優秀な側近たちと、何より母上が力になってくれたからだと。父上の改革が民の暮らしを豊かにすると信じ、共に改革を推し進めたからだと」
だからブレインは力のある妃を求めていた。物語に出てくる姫の様に、守られるだけではなく、共に国を治め、共に乗り越える事が出来る妃を。優秀で、芯が強く、夫たるブレインを支えてくれる妃を。
ブレインは学園で令嬢達と共に過ごして行く中で、穏やかな笑みを浮かべながら、心の中では冷え切った視線を彼女達に向けていた。長く続く平和と豊かさの中で、貴族の責務を忘れた令嬢達に、最早何の期待ももてなかった。
そんな令嬢を妃に迎えたところで、ブレインの苦労が増えるだけだ。それなら己一人で国を治めたほうがマシだと思えた。いずれは世継ぎの為に妃を迎えざるをえないだろうが、その時は政略的に問題のない、大人しくブレインを煩わす事のない令嬢を選べば良いと思っていた。
諦観の笑みを浮かべるブレインに、ライトは気を取り直す様に話題を変えた。
「そういえば。もうすぐ課外実習だな。今年はイジー子爵家の双子も参加するし、殿下も楽しみでしょう」
イジー家の双子。それを聞いて、ブレインの気分は少し浮上する。
イジー子爵家の次男と長女。顔がそっくりな男女の双子だが、性格は正反対。剣術が得意で直情型のダフと魔術が得意で慎重なラブ。側近のマックスはダフを、ライトはラブをとても気に入っていた。入学してまだ間がないというのに、すでにその才能の片鱗を見せる双子に、ブレインもとても期待していた。身分は子爵家と足りないが、出来れば自分の側近に迎えたいと思うほどに。
「しかしイジー子爵家の者は、ラース侯爵家に忠誠を誓っています。双子もやはり…」
マックスは残念そうに首を振った。ブレインはふと記憶を呼び起こした。
現国王には年の離れた王弟がいる。現在は公爵位と領地を賜り、王籍を離れたが国王との仲は変わらず良好だ。
その王弟と学園で同学年だったイジー子爵家の嫡男、ハル・イジーの逸話は有名だ。王弟の親友にして、眉目秀麗、成績優秀、武芸にも秀で、当時王弟と人気を二分していた。
王弟はハル・イジーを側近に望み、再三、本人にもイジー子爵家にも打診したが断られた。ハル本人が明言した理由が、ラース侯爵家に仕えたいから、自分の忠義はラース侯爵家にあるから、だった。
ラース侯爵家は、幾つかある侯爵家の内の一つ。中堅どころでラース侯爵と嫡男は王宮に勤めているが、重職に就いているわけでもない。治める領地も田畑が多い、長閑な場所で大きな収益はないが、そう悪いわけでもない。
ラース家の面々も、毒にも薬にもならない、平凡な者たちだけだ。真面目で小心者の当主、おっとりとした夫人、当主に似て真面目な嫡男、夫人に似た長女。
王族の側近に望まれた優秀な男が、わざわざ宣言までして仕えたい主人かと言われると疑問が残る。王弟がラース侯爵家が困らぬ様、代わりの者を紹介するとまで言ったが、ハル・イジーは目を吊り上げて断固拒否したと聞く。ラース侯爵家にハルの出仕を打診すると、ハルが望むのなら喜んでと快い了承を得たが、それを知ったハルが激怒し、王弟との縁切りを望んだのも有名な話だ。ここまで拒否され、流石に王弟も諦めたが、未だにラース侯爵家を足繁く訪れ、ハルの勧誘を諦めていないらしい。
「ラース侯爵家に何故そこまで尽くしたがるのか分からんが、双子もあのハル・イジーに劣らぬ忠義ぶりだと聞く。難しいかもしれんが、この実習でなんとかこちらに引きこみたい。お前たち、頼むぞ」
ブレインが決意を込めてそう言うと、2人の側近は心得た様に頷く。それぞれ双子とは剣術と魔法学の授業の際に先輩として指導をして打ち解けている。双子もその態度から、2人を慕っているように見受けられた。
妃に期待出来ない分、優秀な側近だけでも固めておきたい。イジー子爵家の双子と、可能ならばその兄のハルを手元に置きたいと願うブレインだった。