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エリス・ラースは平凡な令嬢である。
栗色の髪と茶色の瞳。可愛らしい顔立ちだが、取り立てて人目を惹く程ではない。普段は目立たないが、磨けば光るというわけでもなく、いつも侯爵家の令嬢らしくちゃんと着飾っていて普通に可愛い。その辺にいる令嬢の内の1人である。
性格はやや内気だが、学園内に似たような性格の大人しめの友人が数人いるし、皆から嫌われていることも、特別に好かれていることもない。成績は中ぐらい。少しだけ魔術と算学が苦手。背も高からず低からず、普通。
同じ学年の王太子殿下に密かに憧れているが、王太子妃候補になれるほど家格は高くなく。本人も素敵な王太子殿下との恋を夢見るだけで、自分の立場はキチンと理解している。王太子殿下と廊下ですれ違えば、友人達と顔を赤らめキャッキャするぐらいの、害のない令嬢だ。
ラース家は侯爵家の中でも真ん中ぐらい。エリスの父のラース侯爵は王宮に勤めているが、程々の地位だし、エリスの兄のハリーも、王宮での地位は父と似たり寄ったりだ。
エリスの母も中堅の伯爵家の出だし、父とは幼馴染みでそのまま結婚したという、よくある縁組だ。
ラース家の少し変わったことといえば、ラース家に仕える侍従と侍女がそっくりな男女の双子で、侍従のダフ・イジーは14歳にして学園でも上位の剣の遣い手であり、侍女のラブ・イジーも魔術師として優秀な成績を修めている。彼らの兄でありラース家執事のハル・イジーは、剣も魔術も一流だが、よその家からのかなり条件の良い引き抜き話にも全く靡かないと言われている。ラース家に仕える者達はイジー家だけに限らず、皆、一様に忠義に篤い。これはラース家の面々が穏やかで、使用人たちを常に思いやり、大事にしているからだと評判だった。
使用人達が優秀であること以外は、ラース家は特に目立つ事は無い。彼らは平凡ながらも、日々の勤めをこなす、善良な貴族であった。
◇◇◇
「オーウェン様。そこは貴女の席では無いわ。どいてくださらないかしら?殿下のお側に侍るのはわたくしだけと決まっているのよ」
トレス侯爵家の薔薇と讃えられるローズ嬢が、ブレイン王太子殿下の右隣で威嚇する。
「あら。貴女こそお席を移られてはいかがかしら?わたくしが先に座っていたのよ?後からいらしてどけだなんて、おかしな話だわ」
オーウェン侯爵家の百合と讃えられるリリー嬢がブレイン殿下の左隣で、軽やかにやり返す。
「トレス嬢、オーウェン嬢、皆が楽しむ茶会だよ?」
社交界の華に挟まれたブレイン殿下は、その煌びやかなご尊顔に困ったような笑みを浮かべ、2人の令嬢を柔らかく嗜める。令嬢達はほほほと笑みを交わし、大人しくブレインの両側に腰を落ち着けた。声を荒げる事もない定例のやりとりの後は、穏やかなお茶会が始まる。
ブレイン殿下の卓は、本人の美貌と彼を取り巻く麗しい令嬢たちにより、別世界のような華やかさで、その他大勢の生徒たちは遠巻きに見惚れては、ため息を吐いた。
「なんだか羨ましい争いだな」
「馬鹿ね。どこが羨ましいのよ。ドロドロした恐ろしい女の戦いじゃない」
王太子達からかなり離れた、周りの風景に見事に溶け込んだエリス・ラース侯爵令嬢の卓では、侍従のダフと侍女のラブが、エリスの世話を甲斐甲斐しく焼きながら、いつもの軽い口喧嘩をしていた。勿論優秀な2人のことだから、不敬とも取られそうな会話内容が他の卓に漏れるようなヘマはしない。主人であるエリスには聞こえているが、彼女は2人を嗜めることもなく、周囲と同じ様に憧れの視線を王太子の卓に向けている。
「しっかし王太子殿下はなんでさっさと婚約者を決めないのかなぁ?あの2人の令嬢のどちらかになるんだろ?」
ダフはピシリと姿勢良く、辺りを見回しながら呟く。優秀な剣の遣い手であるダフは、エリスの護衛も兼ねているため、生徒でありながら帯剣を許されている。そのような生徒はダフの他に数名しかいない。
「どちらも性格に難があるからよ。トレス嬢は派手で勝気、オーウェン嬢は冷淡で高慢。あの2人、足して2で割って100倍ぐらい薄めないと、王太子妃としてはアクが強すぎるわよ」
ラブは軽やかに魔術を操りポットの湯を温め、エリスのために最高の紅茶を淹れる。茶葉も気候やエリスの体調に合わせて変えている。エリスはラブから受け取った紅茶に、フワリと柔らかな笑みを浮かべた。
「へぇ。綺麗なだけで頭は空っぽの尻軽だと思ってたけど、性格まで悪かったのか」
ダフはキリリとした顔のまま、毒を吐く。双子の片割れの言葉に、ラブは眉を上げた。
「また誘われたの?どっちに?」
「どっちもだよ。トレスは屋敷で開く小規模の茶会に、オーウェンは父親が開く狩りの集まりに。どっちも猫撫で声で誘ってきて香水臭くて死ぬかと思った。お嬢の護衛があるからって断ったけど。お嬢や旦那様がお誘いを受けてないのに行くはずないだろうって、なんで理解できないのかな?」
ダフの率直な疑問に軽く笑いながら、ラブは返す。
「さっきあんたが言ってた通りよ。頭が空っぽだからよ」
「あー」
スコンと納得できて、ダフは深く頷いた。
そんな会話を聞いていたのかいないのか、エリスがほぅっとため息を吐いた。その途端、忠実なる侍従と侍女は、全身全霊をエリスに向ける。
「ねぇ、ラブ?トレス様が使ってらっしゃる髪油は、髪がとても艶々になるんですって。どこの商品をお使いになられているのかしら?それから、オーウェン様が殿下にお勧めしていた紅茶は、香りがとても良いそうよ?飲んでみたいわね」
「ハイ、エリス様!すぐにお調べ致します」
「僕もトレス様とオーウェン様の侍従にそれとなく聞いてみます!」
「まぁ、ダフ。わたくし、はしたなく思われないかしら?お二人のお使いになっているものを、知りたいだなんて」
ほんのりと頬を染めるエリスに、ダフはニコリと微笑む。
「そんな、エリス様に限ってその様なことはありません!大丈夫です、上手く聞き出してみせますのでご安心ください」
ダフが頼もしく請け負うと、エリスは恥ずかしそうに顔を覆い、お願いね、と小さく呟いた。
「ダフ・イジー、それに、ラブ・イジー。こんな所にいたのか」
そこに麗しい声が掛かる。ダフとラブが振り返ると、いつの間にかブレイン殿下とその側近候補である魔術師団長の息子、ライト・リベラル、騎士団長の息子、マックス・ウォードが立っていた。学園内での人気を独占する3人が揃っているのを見て、周りの卓の令嬢達から声にならない歓喜の悲鳴が上がる。
ダフとラブは慌てて礼を執り、エリスも立ち上がって淑女の礼を執る。格別美しい所作という訳でもない、平凡な礼だ。
「学園内は平等だ。皆、楽にしてくれ。ラース嬢、良い知らせがある。君の侍従と侍女に、次回の課外実習へ参加の許可が出た」
ブレイン殿下の言葉に姿勢を戻したエリスは、まぁ、と小さく呟き顔を綻ばせた。
学園で年に一度行われる課外実習とは、ロメオ王国内の西にあるソーナの森で行う魔獣討伐実習のことだ。危険が伴うため、学園内でも上位成績者しか参加できず、これに参加できれば実力者として認められ、学園卒業後の進路にも有利だと言われていた。
「ダフ・イジーとラブ・イジーは初参加のため、我々と同じ組となった」
ブレイン殿下の言葉に、辺りが騒めく。初参加だからと理由が付いていたが、殿下達と組めるのは、参加者の中でも特に優秀な生徒という暗黙の了解がある。ダフとラブがそれほど高く評価されているということだ。
「ダフ。日頃の鍛錬の成果を見せてもらうぞ」
マックスが爽やかに笑う。ダフとは何度も剣を交え、その実力を高く買っていた。
「ラブ嬢。貴女の指導役は私です。貴女の活躍を楽しみにしていますよ」
穏やかに微笑むのはライトだ。彼はラブの魔術の才をもっと伸ばしたいと願っていた。
「大変名誉なことでございます。良かったわね、ダフ、ラブ」
おっとりとお祝いを述べるエリスに、ブレイン殿下は内心感心する。ラース家の者は元々穏やかな性質だとは分かっていたが、同じく学園に通う者として、侍従や侍女の活躍を少しも妬む様子はなく、心から喜んでいる様だ。
ダフとラブは恭しく頭を下げたが、内心は課外実習なんて面倒だと思っていた。ダフとラブの卒業後の進路は、誰がどんな条件で勧誘してこようとも、ラース家のエリスに仕える、一択だ。それはラース家にも確約をもらっているし、エリスの了承を得ているので揺るぎようがない。したがって課外実習への参加は、ダフとラブにとっては意味のないことなのだ。実習の間はエリスの側を離れる事になるので、それも嫌だった。
どうにか実習を回避できないかと頭の中で策略を巡らせる2人だったが、エリスはニコリと笑う。
「ダフとラブの努力が認められて、わたくしとても嬉しいわ。頑張ってきてね?」
フワリと首を傾げて微笑む主の言葉に、ダフとラブの心は瞬時に決まる。
「勿論です、エリス様!僕が一番の大物を仕留めてご覧に入れます!」
「あらダフ。一番は私に決まっているでしょう。エリス様!私が必ず勝ってみせます!」
鼻息荒くやる気をみなぎらせる双子に、エリスは楽しみだわと、穏やかな笑みを浮かべる。
明らかに自分達が声を掛けた時よりエリスの言葉の方が双子のやる気を起こさせた事に、ブレイン達は少々面白くない気持ちだった。
しかし、主家への忠誠心が高いことは良い事だと彼らは無理やり己を納得させる。そして今度こそ課外実習の間に、この忠実な双子を配下に誘い込もうと、ほくそ笑むのだった。