ママと呼ぶ
兄弟達の中で、俺だけが母親のことを「ママ」と呼んだ。
母親は自身のことをいつも「お母さん」と言っていた。
両親が共働きであった為、兄弟達も俺も、それぞれ1歳を過ぎた頃から保育園に通った。
自分ではろくに覚えていないが、保育園の先生達が「ママ」や「パパ」という言葉を使っていたそうだ。
俺が「ママ」と呼び掛けると、母親はいつも「お母さんよ」と言い直していた。
この母親との遣り取りは自分にとっては当たり前、朝起きて「おはよう」と挨拶するくらいの日常的な遣り取りで、きっと大阪人のボケとツッコミくらいごく自然なことだった。
「ママ」と呼んで「お母さんよ」と返ってくるこの遣り取りは、俺が母親を「ママ」呼んでいた間ずっと続いていた。
第二次成長期、反抗期、思春期。
どれも似たり寄ったりの言葉なのか、実は意味が全く異なるのか、不勉強で自分には正直よく分からない。
だが事実として、俺はそれらの時期に差し掛かった頃も、真っ只中でも、通り越しても、頑なに母親のことを「ママ」と呼び続けていた。
幼い頃、俺が自分を指す言葉は名前だった。
「ゆーくん」と自分では言っていて、保育園の終わり頃からは「オレ」に変わった。
当時人気だったアニメの主人公が自分のことを「オレ」と言っていて、恐らく多くの男の子達が「オレ」を使い始めたのだと思う。
小学校の途中からだったか、中学に入ってからだったか、俺は自身を「ワイ」と言うようになった。
「オレ」だと厨二病っぽい、カッコつけているつもりのちょい痛い奴に思えて、「僕」だとボクちゃんみたいで甘ちゃんのガキんちょに思えて、今となってはかなりの謎な思考なのだが当時は「ワイ」が1番無難に思えた。
大学生になったくらいでまた「俺」に戻った。県外の大学だった為、「ワイ」と言う人が周囲にいなくなり、逆に厨二病っぽく思えてきて恥ずかしくなった。全国共通、日本で1番無難な男の一人称は「俺」だったのだと得心した。
社会人になって、時々「私」や「僕」も使うようになった。お客さんと接する時には「私」、職場の先輩や上司に対しては「僕」、気を張らなくて済む相手には「俺」といった具合で使い分けている。
自分の名前の呼び方は変わっても、母親のことはずっと「ママ」と呼んでいたかった。
兄弟達にとっては「母さん」「お母さん」で、皆の「お母さん」である母親が、自分にだけは「ママ」であり、自分だけの「ママ」であることが宝物のようで、へその緒くらい大切だった。
彼女ができ、交際期間を経て結婚をした。
妻は妊娠し、子の母親となった。
「あ、今キックしたよ! ママですよー、あなたのママよー」
まだ子の名前は決まっていない。
妻の希望に出来るだけ沿いたいとは思うが、2人でしっかり考えたいと思っている。
俺は妻のことを名前で呼んでいる。
これからも妻を名前で呼び続けたいが、妻が自身をお腹の中の子に対し「ママ」と言っている為、子が生まれた後で子に対し妻のことを何と言うべきか、今から悩む。
妻を「ママ」と言ってしまうと俺の「ママ」が「ママ」ではなくなってしまいそうに思えて、俺だけの「ママ」が消えてしまうように思えて、自分の心は定まらないまま、仏壇のおりんをリン棒でリ――ンと鳴らす。
「ママ」
俺の「ママ」、俺だけの「ママ」、俺にはマザコンの自覚があるし、兄弟達からもマザコンと言われてきた。
妻は俺が母親のことを「ママ」と呼んでいることを知っていて、俺がマザコンであることも知っている。
「ゆーくん、そろそろお暇してお墓に行く?」
彼岸。
父親と兄家族に別れの挨拶をして、実家を後にした。
(イラスト:ありま氷炎 様)
イラストは ありま氷炎 様 に描いていただきました。
一枚の絵の中で成長していく主人公!
素敵なイラストを有り難うございました(*´ー`*)
●ヒューマンドラマ作品『藍色に浮かぶクラゲを思う日』 https://ncode.syosetu.com/n5090hf/
にも ありま 様 に描いていただいたイラスト有ります♪