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黒渦-CLOSE-  作者: 天海六花
7→6 絡まる
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7→6 絡まる 一

   7→6 絡まる



     一


 倒れている少女の隣に座らされ、美帆は身を固くしている。彼女は死んでいるのはないかと怯えていたが、微かに胸が上下している。気絶しているだけらしい。

「私たちはね。“嘆願者”たちの願いを“視て”、そして“粛清”しているの。それが私たちの役目だから」

「……嘆願者? 粛清?」

 少女の脇に置かれている百合の花束から一輪の百合を抜き、綾弥子は指でクルクルと回している。黒地のワンピースに白い百合はよく栄え、そして綾弥子の妖しい美しさを際立たせもした。


「世の中には不条理な理由で、望みもしない状況へ貶められる人がいるでしょう? 私たちはそんな“特別なお客様”に代わって、“汚いモノ”に粛清を与えているの」

「で、でもそんなの、他人が口出しする事じゃ……」

 綾弥子がクイと眼鏡のつるを押し上げる。無言の圧力を受け、美帆は言葉を続けられず、ゴクリと唾を飲み込む。

「自分で打破できずに、どうにもならなかったら? 望まぬ方向へ、嫌々進まなくちゃならなくなったとしたら? あなたはそれで残りの人生を納得できて?」

 綾弥子の言わんとしている事は分からないでもない。しかしそれでも、嫌々でも進まなければならない人生だとしても、その人の人生に、赤の他人が手出しや口出ししていい事ではないと思った。それがどんなに辛くても自身の運命なら、受け入れるしかないと。

 まだ苦悩という苦悩を知らない少女は、彼女の言葉を受け入れる事ができなかった。

「それでもやっぱり……」

 美帆が反論しようとした時、晶が静かに口を開いた。

「綺麗なモノ。汚いモノ。世の中には二つしかない」

 晶はただ一人、その場に立ったまま随分利己的な基準の言葉を口にした。

「特別なお客様の嘆願を聞いて、それが綺麗か汚いかを判断する。そして綺麗なモノを残して汚いモノを排除する。世の中、綺麗なモノだけ残ったら、みんなが幸せになれると思うでしょう?」

 答えられず、美帆は口ごもる。

 彼女の言葉に納得できる部分もあるが、否定する部分も多くあるのだ。だが、否定の言葉を受け入れてもらえるような雰囲気ではない。弱々しい反論など、即撤回される──美しい姉弟と美帆の間にはそんな空気が孕んでいた。


「彼女──日向妙子(ひゅうがたえこ)さんは、華族のお嬢様なの。けれど華族というのも、もう名前だけ。家自体が困窮して没落を防ぐために、遥かに年上の、成り上がりの男性との政略結婚を迫られているわ」

 まだ目を覚まさない少女──日向妙子に薄い毛布をかけてやりながら、綾弥子の舌先から言葉が滑り出るように彼女は喋り出す。晶は無言のままチラリと美帆を見やる。

「それがただの政略結婚なら、一番汚いモノは彼女のご両親だったし、私たちがわざわざ粛清を加える必要なんてなかったけど、でも実際は違うの。婚約相手の成り上がり者の男が彼女を見初めて、彼女の家が取り仕切る予定だった大きな仕事を、ならず者と金を使って力ずくで捻り潰したのよ。そうやってわざと自分を頼るように仕向けて。そうすれば成り上がりの男は“華族”という冠を手に入れられて、彼女の家は金銭的に潤う。どう? そんな小汚い悪知恵を持った手癖の悪い男をのさばらせておいたら、もっと沢山の人が、主に女性が、不幸という奈落の底へ落とされる事になると思わなくて? だから今の内に相手の男に粛清を与えるの。そうすれば、綺麗なモノ……日向さんは残るわ」

 不思議と綾弥子の言葉には一切熱を感じなかった。

 ただ、それらしい雰囲気の言葉を、無感情に言わされているだけ、とも取れる。しかし美帆の知る綾弥子像と、全くブレない言い分──こうと決めれば、脇目もふらずにまっすぐ自分の定めた道をゆく。ある意味とても純粋で、ある意味とてつもなく冷血漢。そんな綾弥子そのものの言い分だった。

 綾弥子の言葉を信じるだけの理由が、彼女の言葉に含まれていた。だが一つだけ、譲れないものがある。


「粛清って……もしかして殺しちゃうんですか?」

「そうよ。汚いモノを粛清で以って排除するの」


 ガクガクと体が震え、美帆は両手を膝の上で強く握った。そしておさげ髪を揺らして小さく首を振る。

「人殺しなんて……ダメです!」

 それだけを言うのがやっとだった。

「でも私たちがしなくちゃ、日向さんは不幸になるわ」

「相手のかたと……は、話し合いとかじゃ、いけないんですか?」

 筋を曲げない、綾弥子の言葉に強さを感じた。意志を、熱を帯びない言葉なのに。

「特別な立場でも何でもない、赤の他人である私たちの話なんて、平民より身分が上だと思っている華族や成り上がりの者たちが素直に聞いてくれると思って? しかも相手を騙して(はかりごと)をするような悪人が、聞く耳を持つとでも?」

 美帆と綾弥子の言い分は平行線だ。綾弥子は殺すしかないと言い張り、美帆は話し合いをすべきだと言う。どちらも譲る気配はない。いや声が震えている分、美帆が劣勢か。

 ふいに、晶が美帆の顔を覗きこんできた。美帆は思わずたじろぎ、後ろ手に手をついて身を引く。

「僕が視たのは真実。日向妙子は嘘を言ってない」

 淡白な彼の言葉にも、一切の熱は帯びていなかった。

「だ、だからって人を殺していい理由になんてなりません!」

「汚い世界に住みたくない」

 ふいに、まるで突然、催眠術にでもかけられたように、美帆の意識が混濁して朦朧となる。また体調不調にでもなったのだろうか。

「美帆も手伝ってくれると心強いのだけれど。駄目かしら?」

 綾弥子がとんでもない事を言い出した。

「……っ! あ、あたし……人殺しなんて……!」

 朦朧としていた美帆の意識が覚醒し、嫌々と首を振る。

「人殺しじゃないわ。彼女を助けるための粛清なの」

 切れかけた電球のように、意識が覚醒と混濁とを繰り返す。そのためか、ほんの僅かな会話で随分精神が疲弊してしまった。

「い、や……です」

 掠れたか細い声を絞り出す。

「どうしても?」

 綾弥子は美帆の前に膝をつき、両手で美帆の頬を挟む。

 まただ。綾弥子や晶にじっと見つめられると、意識が朦朧としてくる。美帆は必死になって自我を取り止める。意識的にそうでもしないと、気を失ってしまいそうだった。


「困ったわねぇ。じゃあ今の話、あなた全部聞いちゃったわよね? それならもう、美帆をここから自由に出してあげられなくなるけど……それでもいいかしら?」

 ハッと息を飲む美帆。

 綾弥子と晶が、このような裏の顔を持っていると知ってしまったのなら、美帆の自由はなくなる。外部の者に言い触らせば、次の標的は自身の殺害になるのではないか。死にたくないのなら、もう答えは「はい」と、承諾するしかないのだ。あの様子を覗き見してしまった瞬間から、美帆の命運は決まってしまったのだ。

「あたし、できない……人を殺すなんて。説得すればいいじゃないですか」

 なお自分の意志を突き付けるつもりで発した言葉ではない。ただ、自分の意見を口にしただけ。それを押し通そうという気力は、もはや彼女には無かった。

「じゃあこうしましょう。美帆はただ私たちに付いてくるだけでいい。私と晶が全て作業を進めるわ。あなたは標的に何を言おうと構わない。ただ、外部に吹聴さえしなければ、説得でも何でも好きにすればいいわ。けど、私と晶は必ず“仕事”をこなす。そういう契約を、“特別なお客様”とするの、どうかしら?」

『特別なお客様』と聞き、ふいに、美帆の脳裏に筧淑子の姿がよぎった。


「あ、あのっ! 筧さん、も……殺したんですか?」

「そうよ」

 あっさりと認められ、美帆は彼女の妖艶な微笑みがこの上なく恐ろしくなった。


「筧さんは、『新人女優に次の舞台の役を盗まれたから殺してほしい』と嘆願してきたの。でも真実は、自分のスキャンダルを事務所に揉み消させて自由奔放に行動して、けれど若い新人や自分の衰えに焦るあまり、目に付いた者たちを全て排除したいと願っていたの。自分が頂点に立ち続けたいばかりに、非公平な手段を用いて他者を蹴落とそうと、ね。どう? 醜くておぞましくて汚いでしょう? その汚いモノが、彼女の本当の姿だったの。だから逆に排除してあげたのよ。今頃、空の彼方で一人、自身だけの華々しい舞台に精を出しているんじゃないかしら?」

 舞台やラヂオで見ていた、朗らかな筧の一面しか知らなかった美帆は、綾弥子の暴露に激しい衝撃を受けた。そしてそのまま思考は、目の前で眠る日向に向く。

「日向さんも……殺すんですか?」

「いいえ? だって彼女は綺麗だもの。彼女を道具にしようとした成り上がりの男が今回の標的よ。そんな汚いモノ、早く粛清すべきだわ。彼女の両親もと言いたいところだけど、相手さえいなくなればまだ救いはあるから、今回は見逃してあげるつもりよ」


 美帆の視界がグルグルと回り出す。見聞きした事を深く考えるのが億劫になってくる。そして、美帆は。

「分かり、ました。お手伝い……いえ、付いていきます。でもあたしは人を殺したくありません。あたしはあたしのやり方で、相手のかたの説得を試みます。これがあたしの精一杯です」

「構わないわ」

 綾弥子はクスクスと笑い、晶の方を見やる。そしてゆっくりと、日向を揺さぶり起こし始めた。


「美帆も新しい味方になったんだし、お祝いしなくちゃね。晶?」

 綾弥子が日向を揺さぶり起こす隣で、晶は僅かにコクリと頷いた。そして美帆を横目でチラリと見る。


『あたしが説得に失敗したら……誰かが死ぬ。そんなのは絶対イヤ』


 美帆は胸元をぐっと抑え、荒い呼吸を整える。新鮮な空気を体内へ送り込み、そして目的の者もだが、綾弥子と晶をそれとなく説得して、暗殺という行動などやめさせようと決意した。そんな重大な役目が自分にできるという自信は無かったが、彼女らの裏の顔を知ってしまった自分にしかできない事だと思ったのだ。必ずやり遂げねばならないと。

 そしてふと、先ほどの晶と日向の様子を思い出す。

 日向は晶に目を抉られていた。酷い出血もしていた。しかし今、自分の隣で意識を失っている日向は目を抉られてはいないし、出血もないし、怪我一つ無い。あの時、扉の隙間から見えた光景は何だったのか?

 恐れのあまり、幻覚でも見ていたのかと、美帆はこめかみに指を当てて揉みほぐした。


「日向さん、起きてくださいな。あなたの願いを叶えますわ」

 綾弥子に揺り起こされ、日向妙子は何事もなかったかのように、ゆっくりと“両目”を擦りながら起き上がった。まるで本当にうたた寝でもしていたかのように。

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