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黒渦-CLOSE-  作者: 天海六花
8→7 喰む
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8→7 喰む 五

     五


 部屋で寝台の端に腰を下ろし、温かいミルク入り珈琲を飲み干す。するとふっと心が軽くなった。晶の珈琲は心を穏やかにする作用でもあるのだろうか。美帆は茶碗を眺めながらふと思う。

「なんだか考えても意味なく思えてきちゃった。その内きっと思い出すよね」

 故郷や家族の事を忘れてしまうなど、相当に重大な事だと分かっているのだが、今はそんな事はどうでもいい。そういった気持ちになっていた。過去を忘れていても、今日が、明日が、その次があればいい。そう意識して強く思い込み、美帆は寝台の端から立ち上がった。

「もう大丈夫」

 美帆はすっかり回復した自分の足元を見下ろす。もうふらついてはいない。

「お礼、言わないと」

 手の中の珈琲茶碗を見て、晶を思い出す。

 いつもぶっきらぼうで愛想がないが、時折こうして、無言で、不器用に、自分を支えて励ましてくれる少年。晶の心遣いについ胸が熱くなり、美帆はよし、と気合いを入れ直して一階へと降りていった。


 すると、休憩室の扉が僅かに開いている。先ほど追い出されたのは、綾弥子の言う“特別なお客様”が来店したからという理由は分かっていたが、泣いていた少女の様子が気になり、美帆は心で綾弥子に詫びつつ、そっと隙間から中を覗きこんだ。


「……ヒッ!」

 扉の隙間から覗き込んで見えた光景に、美帆は思わず息を詰まらせる。

 晶が先ほどの少女の胸ぐらを掴み、恐怖に見開かれた(まぶた)を更にこじ開け、眼球を指で抉り出していた。そして血の滴る眼球の窪みの奥をじっと見ている。

 突然の凄惨な現場に、美帆はすっかり足を竦ませていた。目を逸らしたくても、体が凍りついてしまったように、その場から動けない。

「どう? “視えた”かしら?」

「真実」

「そう。じゃあそろそろ離してあげて」

 いつもと変わらぬ口調の綾弥子に、晶もいつもと変わらぬ様子で簡素な言葉で答える。美帆は恐怖で全身が硬直し、持っていた珈琲茶碗を落とした。


 床に落ちた茶碗は割れ、甲高い音を響かせる。扉の隙間から、綾弥子がゆっくりと振り返る姿が見えた。そして扉の向こう、つまり暗い廊下に佇む美帆の姿が見えているかのように、フフッと笑って肩を竦める。

「あらあら。“また”覗き見してたのね。美帆は本当に悪い子だわ」

 扉を開けながら、綾弥子は笑顔で美帆を窘める。美帆はペタリと向かい側の壁に背を付け、綾弥子を見上げている。


 彼女の言う“また”とはどういう意味だろう。特別なお客様の対応を覗き見してしまったのは、今回が初めてだったはずだ。しかしそれは真実か? 以前にも同じ経験をしていなかっただろうか?

 美帆の心に一つの疑問が浮かぶが、目の前に立ちはだかる綾弥子に気圧され、彼女は何も言えなくなっていた。

 そんな綾弥子の向こうで、晶は投げ捨てるように少女の体から手を離した。不思議な事に、抉り出したはずの眼球も零れた血も、何事もなかったかのように無くなり、少女の体は怪我一つない状態に戻っている。少女の眼球は閉じられた瞼の奥に。辺りを汚していた血痕は消え失せている。ただ一つ違っていたのは、少女が意識を失っている事だけ。

 幻覚でも見せられていたかのようだった。


「見たのはどこから、かしら?」

「あ、たし……あたし、は、何も……」

 震える声音で言い訳を絞り出そうとするも、声が、言葉が出てこない。綾弥子はじっと美帆を見つめている。

「アヤコさん」

 晶が綾弥子の服の袖を引っ張っていた。

「どうしたの、晶?」

 綾弥子が振り返って晶を見る。晶はチラリと美帆を見て、そして綾弥子を見上げて無言でコクと頷いた。

「分かったわ。晶がそう言うなら、美帆にも居てもらいましょう」

 言葉を介さない、意志の疎通。この姉弟から、たびたび見かける光景だ。晶はただ頷いたり首を振るだけなのに、綾弥子はかなり詳細な内容まで理解してしまう。まるで互いの意識が繋がっていて、精神感応(テレパシィ)で会話し合っているようだ。


 綾弥子はすっと、美帆に手を伸ばした。

「美帆。私たちの仲間に入れてあげる。一緒に粛清を与えましょう」

「粛清って……どういう事ですか?」

 ようやく絞り出した声は掠れて、自身で聞き取るのも困難な声だった。

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