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黒渦-CLOSE-  作者: 天海六花
8→7 喰む
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8→7 喰む 三

     三


 美帆が珈琲茶館『時茶屋』で働き初めて、そろそろ二週間になる。季節は本格的に秋の色となり、朝夕は少し冷え込むようになった。

 彼女自身、茶館の仕事や支度も随分と覚え、常連客には顔も覚えてもらい、働き甲斐というものを感じはじめていた頃だった。


「そういや美帆ちゃん。あんたどうしてここで、住み込みで働いてるんだい?」

 常連客の一人であり、商店街にある八百屋の主人、冨田が珈琲をすすりながら何気なく問い掛ける。いつも持参してくる自前の新聞をバサバサと乱暴に畳みながら。

 美帆は冨田の方へ向き直り、ニコリと笑顔を見せる。

「はい。うちはすっごく田舎で、都会に出てきたかったっていう個人的な理由もありますけど、故郷にいる両親や弟に仕送りしてあげたいんです。あたしだってもう一人前ですもん。親に甘えてばかりじゃダメだと思って」

 冨田の座る隣のテーブルを丁寧に拭きながら、美帆は軽やかな声音で答えた。冨田はうんうんと頷いている。

「若いのに親に仕送りとは、健気で偉いねぇ」

 冨田がハハッと笑う。その奥で、綾弥子がクイと眼鏡を指先で押し上げていた。どうもこちらの会話が気になるようだが、わざわざ会話に混ざるまでもないらしい。

「じゃあ故郷(くに)はどこだい? 美帆ちゃんの言葉はあんまり訛りがないけどね?」

「口調は気をつけてるんです。それから、あたしの故郷は……こ、故郷。あれ? 故郷……」

 冨田の問い掛けに口ごもり、テーブルを拭いていた手が止まる。そのまま全身が強ばってしまったかの如く、動けなくなってしまった。

「故郷。えっと……どこ、だっけ?」

「おいおい。自分の育った故郷を忘れちゃったのかい? 田舎だとか言ってたし、両親とか弟とかも言ってたのに」

「故郷? 弟? あたしの、故郷……え、え? あたし……あたし、の……」

 頭の中が真っ白に塗り潰され、ふらりと立ちくらみのように、その場へしゃがみ込んでしまう寸前、いつやってきたのか、綾弥子が美帆を抱きとめた。そして冷たい手を、ピタリと彼女の額に当てる。

「疲れているんじゃない、美帆? いつも私たちの心配をしてるけど、自分の無理はお構いなしなのかしら? おとなしく休んできなさい」

「綾弥子さん。でもあたし、どうして?」

「美帆。私は休んできなさいと言ってるの。昨日の夜、あなたは随分と夜更かししてたのを、“私は知ってる”のよ?」

 眼鏡の奥の、綾弥子の瞳に美帆が写っている。


『そうだ。自分は昨夜、うっかりと夜更かしをした──だから眠いのだ』


 彼女に言われたままの思念が脳裏に割り込み、貼り付く。それが真実なのだと、糊か(にかわ)で塗り固められたように。

 綾弥子の言う事はもっともだ、と美帆は素直にコクリと頷き、テーブルに手をついて立ち上がった。

「すみません、少し休ませてもらいます」

 美帆はフラフラしながら奥の休憩室へと向かった。残された冨田は、ポリポリと頭を掻いて綾弥子を見上げる。

「アヤちゃん。オレ、悪い事を聞いちゃったのかねぇ? 美帆ちゃんは故郷の事、あんまり詮索されたくなかったとか? 確かに彼女の個人的な領分に、随分立ち入った問い掛けだったしなぁ」

「そんな事ないわ。ただちょっと“疲れてただけ”ですもの。冨田さんは美帆の事は気にせず、ゆっくり奥様に叱られてちょうだいね」

「ハヒッ!?」

 冨田が慌てて窓を見ると、窓の外には彼の妻が、鬼の形相で彼を睨んでいた。

「ゲェッ! い、今から帰るから! そんな怖い顔するなよ!」

 冨田は珈琲代の小銭をテーブルに投げ出し、慌ただしく茶館を出て行った。綾弥子はフフッっと笑いながら、大慌ての冨田の背に向かって手を振る。

「またいらしてね。お待ちしてるわ、オモテの常連様」

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