8→7 喰む 一
8→7 喰む
一
昼休憩を終え、美帆は店へと戻る。
「お昼、お先でした。ごちそうさまです」
食べ終えた食器を重ね、美帆は腕を伸ばしてそれらを晶に手渡す。晶は小さく頷いて無言で食器を受け取った。
自分が使った食器は自分で洗うと言っても、晶は頑なにカウンター内へ美帆を入れようとしないのだ。ゆえにいつも、彼女は使い終えた食器を晶に渡している。晶もそれでいいと頷いていた。
「次は晶くんですか? それとも綾弥子さん?」
エプロンを直しながら、美帆は何気なく聞いた。
「私も晶も休憩は特に必要ないわ。私にはコレがあるし」
綾弥子は飲みかけの珈琲茶碗を持ち上げて見せる。同性であっても思わずうっとり見惚れるほどの、艶っぽさ。彼女は何をしても様になり、魅力溢れる女性だった。日本人離れしたスラリとした体型に、黒いワンピースも嫌味なくよく似合っている。
「晶も作りながら、適当につまんでるしね」
晶は晶で、薄っぺらいと称するべきか、華奢で細長い印象の少年だった。不健康に痩せているとも取れるが、彼は彼で、その白い肌と華奢さが相まって、無口な好青年に見えない事もない。
「つまみ食いなんて、はしたないなぁ! お店のものをこっそり食べちゃうなんて、いけない事ですよ。分かってる、晶くん?」
美帆が少々意地悪く笑うと、晶はふいと顔を背けた。彼なりに照れているのだと、勝手に解釈し、美帆もクスクスと笑った。どうせ突っ込んで聞いたとしても、無口な彼は答えてくれないと分かっていたから。
小袖の着物にたすき掛けと白いエプロン。美帆のおさげ髪と相まって、彼女は彼女で非常に愛くるしい少女だった。
最も店内が混みあう昼食の時間が終わってからの、美帆の食事休憩。それが終わる頃には、店内は一日で一番暇な時間を迎える。
「さて、と。じゃあ今日は窓の拭き掃除、終わらせちゃいますね」
邪魔な袖をたすきに引っ掛け直し、店の裏手へ向かう出入口の足元に置いてある木桶から、拭き掃除用の雑巾を手に取る。
「晶くん。お水汲んでもらえますか?」
水はカウンターの中にある水道から汲み上げるのだ。
美帆が晶に木桶を差し出すと、晶は無言で腕を伸ばす。しかし、ふらりとたたらを踏み、背面に作り付けの食器棚に手をついてしまった。
「晶くん? もしかして具合でも悪いの?」
とっさにカウンターの中へ入ろうとした美帆を、晶は手を翳して制する。
「何でもない」
「何でもない事はないでしょう?」
何事にも動じない綾弥子が、珍しく美帆の隣までやってきて、俯いて肩で息をしている晶を見下ろしている。不安げに綾弥子を見上げた美帆は、彼女の言葉を待つ。意地っ張りで強情な晶だが、姉であり、何事にも凛とした態度で説得力のある彼女の言葉なら、晶も素直に聞くと思ったからだ。
「晶。“食べて”きなさい」
元々不健康と言える色白な晶は、さらに蒼白な顔色になり、胸に手を置いて肩を大きく上下させている。
「ね、晶くん。やっぱりつまみ食いとかだけじゃ、栄養足りてないんだよ。今はお客さんいないし、ちゃんとお昼ご飯、食べてきて?」
美帆と綾弥子二人に説得され、晶は少し戸惑ったのちに、小さく頷く。
「分かった。少しだけ“喰んで”くる」
「は、はんで? え? 方言? それ、ご飯の事?」
晶が口にした言葉が理解できず、美帆は首を傾げた。そんな美帆の隣を、足音も発てずに通り過ぎる晶。
「えっ、あ! ご飯、ここで作るんじゃないの? あたしで良かったら、簡単なお料理くらいできるけど、代わりに作ろうか?」
「いらない」
壁に手をつきながら、晶は店の奥へと姿を消した。
「綾弥子さん。奥にお台所とかありましたっけ? 二階のお台所に行ったんですか?」
時茶屋の一階は店と倉庫、そして休憩室だけなので、居住空間である二階にも簡単な台所があるのだ。
「台所じゃないけどあるわよ? 晶専用のがね」
「そうなんですか? あたし、まだお店の奥の方のお部屋、全部知らないから……」
店の奥側にはまだ部屋があったのか、と少々驚く美帆。戸惑うように口元に手を当てていた彼女だが、うんと大きく頷き綾弥子を見上げた。そして両手を胸に置き、彼女に訴えるように声を出す。
「綾弥子さん。あたしやっぱり晶くんが心配だから、ちょっとだけ様子見てきます。すぐ戻りますから!」
「美帆! そんな必要ないわよ!」
綾弥子は制止したが、美帆は急いで晶の後を追った。