9→8 返る 二
二
酷く寝苦しい。もうすっかり暦は秋だというのに、今年の残暑はかなり厳しい。そのせいか、室内は少々蒸し暑く、美帆は何度も寝返りを打っていた。
「あっつ……やっぱりちょっとだけ窓、開けよう」
ギィと軋む寝台から降り、欠伸をしながら窓の鍵を開けようとし、美帆はふと手を止めた。
「ん? あれ? あれ?」
つい最近、これと同じような体験をしたような気がする。既視感、というべきか。そしてその不確かな記憶を覆い隠すように、“虚”が、“無”が、大きな風呂敷のように美帆の記憶を包み込んで隠そうとしてくる。
ただぼんやりと覚えているのは、“恐ろしかった”という事だけ。しかし何に対して恐ろしかったのか、はたして本当に恐ろしかったのか、それすら曖昧だった。
何も、思い出せない。いや、思い出す要素となる“経験”すら、存在しなかったのか。それすらも、分からない。漠然と心に引っかかる“何か”があるだけ。“夢”だったのだろうか。
「あれ? あたし、確かお店にいて……それから……何も、なかったよね? 普通に女給さんのお仕事して、それから、ええと?」
霞がかった幻のような曖昧な記憶。思い出そうとしても、何も思い出せない。
考えても考えても何も進展しない漠然とした記憶など、だんだんと思い出す事自体が馬鹿らしく、面倒くさくなってきた。
そして美帆は思い出す事をやめた。
「うん。きっと悪い夢でも見ちゃったのね。悪い夢なんか、忘れちゃっていいや。明日も早いんだし、さっさと寝よう。あたしから元気を取ったら、何にもなくなっちゃうもん。明日も笑顔でがんばろうっと」
室内は少々暑かったが、窓を開けるのをやめ、美帆は寝巻きの襟を少し広げて涼を取る。そのまま寝台に潜り込み、すやすやと眠り込んでしまった。
彼女の部屋の前で、足を止める。そしてそっと目を細めた。瞬きの際の、ありもしない瞼の風音も聞こえぬように、そうっと。ゆっくりと。
微笑んだ訳ではない。訝しんだ訳ではない。ただ目を細めて彼女の部屋の扉を“見た”だけだ。
「美帆はまだ……“ヨゴレ”なくていいよ」
誰にともなく呟き、彼女の部屋を通り過ぎた。