中編
「マリアンヌ」
「皇帝陛下…。いかがなさいました?」
「少しいいかい?」
「はい…お仕事のことですか?」
「いや、私的なことになる」
伯父様の表情は笑顔のまま。
世に言うアルカイックスマイルですが、その目は酷く機嫌が良いのです。何か良いことでもあったのでしょうか?
伯父様と共にプライベートルームに移動しました。
「ノルデン王国のギルバート第一王子のことだ。正確には第一王子夫妻といった方がよいな」
「何かありましたか?」
「ギルバート第一王子が王太子位から降ろされたことは知っているだろう?」
「はい。ですが、それは三年前のお話では?」
「その通りだ。ギルバート第一王子は三年前に王太子に相応しくないということで地位を追われた。今度は王族から廃されるかもしれん」
「まあ。何故、とお聞きしてもよろしいですか?」
「勿論だ。マリアンヌとの婚約は王家側のたっての願いの元で結ばれたものだった。それを王太子の勝手な一存で白紙にしてしまった。その責めを負う形でギルバート第一王子は『王太子位』を剥奪された。だが、王妃の唯一人の息子ということで王家に留まることが許されたのだ。その一方で、新たな王太子は決まっていない状態だ」
…王太子位は三年たった今でも空席のまま。国王陛下には側妃が産んだ王子が二人おりますが、如何せん、側妃の身分が低いのが問題なのです。立太子させたくても出来ないのでしょう。
陛下の寵愛厚い側妃といえども実家は伯爵家。それも既に没落しているのですから。もっとも、陛下という前例があればこそギルバート殿下は王族のまま留め置くことが出来たのでしょうね。
あの王妃様がそれをつつかないはずがありません。昔の所業を寝物語にしているかもしれませんわね。国王陛下も御気の毒に…ですが身から出た錆。甘んじて受けとめるしかございません。
まさか国王陛下も自分の息子が自分と同じ行動をするなどと思いもしなかったのでしょうね。
そう、国王陛下も過去にやらかしております。
当時、婚約者であった王妃様を廃して、恋人である側妃を正妃にしようと画策なさっておいでだったのです。もっとも、私と違い、『王妃』という地位に執着なさっていた王妃様が事前に阻止して大事に至らなかったのですが、そんな行動を起こした国王陛下は“信用ならない”とされ、実権の殆どを王妃様に握られてしまったのは仕方ありません。
自分を裏切った国王陛下に対して、理由はどうあれ、見限ることなく婚姻し跡継ぎを儲け、恋敵である側妃を後宮に入れることを許可なさったのですから、懐の広い方です。私には到底マネできないことです。
そんな王妃様が我が子の即位を諦めるはずがありません。
恐らく、再び王太子位につかせる算段をしているはずです。
「他の王子達では確固たる後ろ盾がありませんからね」
「それが一番の問題だろうな。貴族達からの反発もある。なにより王妃の実家が許さないだろう」
その通りです。
王妃様の実家は権勢高き侯爵家。
しかも父君が宰相閣下ですもの。国王陛下も下手なことは出来ません。
「王太子位が決定されていない状態で、ギルバート殿下を廃するのですか?」
どう考えても王妃様と宰相閣下を刺激する行為。悪手でしかありません。
あの国王陛下にそんな大胆な行動が出来るでしょうか?
それとも国王陛下の後ろに誰かいるのでしょうか?
「廃する理由はギルバート王子ではなく、その妻にあるのだがな」
「リリーのことですか?」
「そうだ。あの女はマリアンヌから婚約者を盗み取った上に図々しくも王子妃になったが、まともに公務をこなしていない」
伯父様は相変わらず義妹のリリーがお嫌いのようですわ。無理もありません。ですが、王子妃になったといっても半分以上は伯父さま達の嫌がらせのせいですよ?
あちらの両陛下はギルバート殿下とリリーを婚姻させるつもりは無かったというのに、伯父さま達が圧力をかけて二人の婚姻をさせるように依頼したのですから。
まあ、私も後押しさせて頂きましたけどね。
私の場合は善意ですよ?
想い合う恋人達が結ばれないなんて可哀そうではありませんか。
「確か、ギルバート殿下は外交方面を任されていましたけど、その件でしょうか?」
「ああ。勝手に婚約解消した汚名返上のために外交を任されているそうだ。国内貴族からの支持が集められない第一王子に配慮した結果であろう。国内公務をこなしても協力してくれる貴族も少ない。思った通りの公務は出来ないことは明らかだ。それなら、外交で打って出た方が勝算もあると踏んだのだろう」
「有りえることですね」
「第一王子が外交で成果を出したとなれば、自ずと見方も変わってくる。外交成果を手土産に国内公務に従事する狙いだったのだろう」
「上手くいってないのですか?」
「妻に選んだ女が悪かったな」
最初はギルバート殿下に連れ立って外交の場に参加していたリリーですが、通訳を介していないと交渉相手と話すことも出来ない上に、立ち居振る舞いが下位貴族のもの。早々に外交官達の奥様方の輪から外されたそうです。
それを聞いた時は、無理からぬこと、と納得しました。
小国ですが、ノルデン王国は流通の要所。そのため王族は最低五ヶ国語は話すことが出来なければ話になりません。各国の外交官を相手にしなければならないのですから当然のことですし、国の代表といっていい外交官は高位貴族が多いのです。
通訳を介することも別に悪いことではありません。
最初は、通訳を利用して会話に入っていき、次第に慣れていけばいいのですから。
恐らくリリーは通訳を介しても会話についていけなかったのでしょう。外国語が出来ないからではなく、高度な外交交渉の話が理解出来なかった故に無視されることになったに違いありません。
外交官は高位貴族の中でも優秀な人がその地位に就きます。勿論、身分が低い外交官も国によっているでしょうが、そういった人達も自国が侮られないように高度な教育を受けるのです。
ただ頭脳明晰なだけでは外交官など出来ません。
ウィットに富んだ会話、優雅な立ち居振る舞い、知識の豊富さ、完璧なマナー。
その中でリリーの存在は、さぞかし浮いたことでしょう。『場違いな者』と思われたはずです。
外交以前に、リリーには高位貴族の振る舞いは出来ません。それというのも義母が男爵家出身だからです。当然、その娘であるリリーも下位貴族の教育しか受けていませんでした。彼女が公爵家の令嬢になった後も高位貴族の教育を受けたとは聞いておりませんので、マナーは下位貴族のままなのでしょう。
ギルバート第一王子もリリーのマナーについては気付かなかったのでしょうか?
私の義妹であり、公爵令嬢だからこそ高位貴族の振る舞いが出来ると思い込んでいたのでしょうか?
四六時中一緒にいたのですから、リリーの至らなさは分かっていたことでしょうに。それとも、リリーを偏愛するあまり目が曇ってでもいたのでしょうか?
あの時のギルバート第一王子なら有りえることかもしれません。
そうでなければ、リリーに『王子妃教育』をしっかりと仕込んでいるはずですもの。




