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トイレの花子さん(成人男性 27 歳)

作者: 佐官馬爺

 短編二作目になります。楽しんでいただけたら幸いです。

 俺はトイレの花子さんである。






 ――旧校舎一階のトイレには花子さんがいる。


 私がその噂を聞いたのは今週の月曜日、昨日のことだ。逢魔が時、扉の閉まっているトイレの個室をノックすると、「入ってます」と応える声が聞こえてくる。しかし、中に人がいる気配はない。怪訝に思った次の瞬間、閉まっていたはずの扉が開き中には誰もいない……そんな、ある意味オーソドックスとも言える怪談だ。


 十中八九、デマか勘違いであろう。私は幽霊の存在なんて信じていないし、その噂をしていた女の子達も信じている様子はなかった。もう 14 歳なのだ。そんなオカルトを信じる歳じゃない。


 では、なぜ私が旧校舎へ向かっているかというと、ある女の子の様子がおかしかったからである。そう、噂の発生源となった子だ。

 関わりが多かったわけではないが、いつも楽しそうに笑っていたことを覚えている。その子がここ最近ずっと元気がない。

 別に原因を突き止めて安心させてあげようとか、殊勝なことは考えていない。ただ、噂に少しの信憑性が出てしまったのが個人的に気持ち悪いだけだ。


 さて、そろそろ見えてきた。


 旧校舎だ。




 旧校舎は平時に使われることはない。それこそ、現校舎のトイレが満室で旧校舎に行く他ないというときくらいにしか。残されているのは文化祭のせいだ。

 私の居る中学校では、文化祭に巨大迷路やお化け屋敷、リアル脱出ゲームなどが企画される。どれも広いスペースが必要となるため、現校舎では足りないというわけだ。

 学校もたかが学生の文化祭のためだけに旧校舎を残したくはなかっただろうが、学生の署名活動や PTA の圧力に屈せざる終えなかった。


 夕焼けでうっすらと赤くなった廊下に、ペタペタという上履きの軽い音だけが響く。林に隣接しているためか、じめっとした空気が肌を撫でた。私の他には誰もいない。そして、何事もなく目的の女子トイレにたどり着いた。


「ここが……」


 すりガラスの打ちっぱなしの小窓から漏れる光は頼りなく、薄暗い空間が広がっている。正直に言って不気味だ。急いでたとはいえ、花子さんに遭遇した女の子は良くこのトイレを使おうと思ったことだ。

 内開きの扉は、一つを除いて全て開いていた。この閉ざされた個室が花子さんがいるという個室なのだろう。私は意を決してその扉をノックする。


『入ってます』


 女の子の声だ。年は同じくらいか。澄んだ声は人の居ないトイレによく響いた。


「こんないたずらしてないで、さっさと出てきなさい! 先生を呼ぶわよ!」


 私は中に生徒がいて、怪談の噂を流しているのだと思っている。花子さんなんて現実的じゃない。

 それに、ここのトイレの扉は現校舎と違い内開きだ。私には考えがあった。


「あと 10 秒数えても出てこなかったら、本当に先生を呼んでくるからね! 10、9、8……」


 カウントダウンを始めると、慌てたように個室の扉が開いた。中には誰もいないように見える。でも私には分かっている。


「どうせ、ここに居るんでしょ!」


 私は内開きの扉に隠れて死角となっている箇所を勢いよく覗き込んだ。そこには――



 ――誰もいなかった。


「う、嘘。そんなこと……」


 なんで、どうして? そんなはずないのに。ここに居るはずなのに。だってここに居なかったら……まさか本当に? い、嫌。イヤイヤイヤイヤ――


 恐ろしくなった私は、悲鳴を上げて一目散に逃げ帰った。






「イャァァァァァァァァァーーーーーーーーー!」


 ふむ、良い悲鳴だ。85 点。強気に開けてからの現実を知るという流れが見事だった。まあ、本当の現実は俺なんだが。


 トイレの花子さんを始めて二年。長い間やっていれば、どんなに奇抜なことでも慣れてくるもので、些細なイレギュラー程度では動じなくなる。今回は教師を呼ぶと脅されたことだ。おかげで扉を予定より早く開ける羽目になった。


 逃げる足音が消えたのを見計らって、個室から出て行く。そして、すぐ()の個室の便器に隠していたスピーカーを回収した。そう、トイレの花子さんの本体はこのスピーカー。スピーカから女の子の声を流すことで、誰かがいると偽装していたのだ。電子音だとばれないように調整するのは大変だった。


 ああ、あの頃は地声でやっていたな。懐かしい。当時 25 歳、院を卒業して就職後初の夏だった――






 俺は、初めたばかりで慣れない仕事に四苦八苦していた。

 その日も書類にミスがあることが判明して、立て直しに時間がかかり残業する羽目になる。これ以上残業しても残業代は出ないと言われていたが、終わらないのは仕方ない。今日中に仕上げなければお客さんに迷惑がかかる、という義務感が俺を仕事に縛り付けていた。


「ふう、ようやく終わった」


 腕時計を見ると時刻は 22 時。同僚は全員帰っており、俺の居るブースだけが明るかった。

 俺は渡されていた鍵で部署の戸締りをして帰宅する。鍵を閉めるのにも慣れてしまったことを少し寂しく感じた。


 いつもの電車に乗って、自宅の最寄りで降りる。最寄り駅から家までは約 15 分。歩くのを億劫に思いながら、唐突に晩飯を食べていないことに思い至った。が、コンビニに立ち寄る元気すらなかったので、今日は食べないでも良いやと自分を納得させる。

 帰ったらシャワーを浴びて寝て……と取り留めのないことを考えながら暗い夜道を歩いていき、


 ふと。


 家の近くの廃病院前にたむろしている人影が目についた。


 そういえば、あそこは肝試しスポットだったなあ、とぼんやり考えていると話し声が聞こえてきた。


「なあ、本当に入るのか? ここの霊はマジでヤバイって聞いたぜ?」


「は? 今更怖気づいてんのかこいつ。ビビってんのクソだせぇ」


「うわ、ユウジ情けな! マジ幻滅するわあ」


「は!? 別にビビってねえし、早く入ろうぜ!」


 と言いつつユウジとやらは入ろうとしない。予想通り、肝試しを決行するようだ。しかし、男二人女一人の三人組の会話は何というか、すごかった。

 それまでの俺ならそのままスルーして家路についただろう。


 だから、俺はこのときおかしくなっていたんだと思う。


 彼らを怖がらせてやる。その一心で廃病院の裏側に回り、ところどころ割れている窓から内部へと侵入した。その際、手にかすり傷がついたが気にしない。

 カーテンレールから外れかかっている襤褸のようなカーテンを引きちぎり、身に纏う。より恐ろしさを出すために、鼻の中をひっかいて鼻血を出し、それをカーテンと顔にべったりと付けた。

 隠れる場所は――おっと、足音が聞こえてきた。仕方ない、適当にその辺のベッドの下で良いか。


 スマートフォンのライトが建物内を照らしているのが見える。


「キャー、私こわーい! ケイ助けてえ!」


「リカ! 俺が付いてんだから大丈夫に決まってるだろ? しっかし、何も出ねえじゃねえか。つまんな」


「そ、そうだな。これ以上探しても意味なさそうだし帰るか」


「何言ってんだユウジ。とりあえず全部見回ってからだろ」


 はあ、とため息を零すユウジとやら。中々怖がらせ甲斐がありそうな奴らだ。俺はじっと身を潜めて、部屋に入ってきた彼らがベッドの下に目線を向けるのを待つ。


 ライトが俺の目の前を照らす。


 待つ。


 六本の足が目の前を通り過ぎる。


 待つ。


 三つの人影が、探索の終わったこの部屋を出て行く。


 待、ってられるかあ! 物音を立てないよう慎重に、しかし素早く携帯を取り出してアラーム音を鳴らす。そのまま俺の眼前に携帯を置いた。


「おい! 何だこの音!?」


「さっきの部屋じゃね?」


「キャー、ケイ怖ーい」


 どたどたと足音が近寄ってくる。そして、鳴り続ける俺の携帯をライトで照らした。


「今時ガラケー……?」


「さっきまでは無かったよな……」


「キャー怖ーい!」


 光源を持つ金髪の男が、甲高い音を出し続ける携帯を手に取ろうとする。その時、左手に持っていたスマートフォンがベッドの下を照らした。死人のような俺の顔を目にした三人は、一瞬呆けたように口を開けた後、


「「「ぎゃああああぁぁぁっっっーーーー!」」」


 一目散に逃げて行った。


 白目を剝いて渾身の死体の振りをしていた俺は、三人組の気配が遠くなってからのそのそとベッドから這い出る。

 彼らの悲鳴を聞いた俺の胸中は、感じたことのない達成感と清涼感に満ち溢れていた。


「……コンビニ寄ってから帰るか」


 血の付いたカーテンをベッドの上に放り、顔の血をティッシュで拭き取りながら廃病院を後にする。


 その後俺は、夕食を食べてから風呂にゆっくりと浸かり、そのまま床に就いた。






 ――回想終了。思えば随分と大胆な真似をしたものだ。そもそも、廃墟で待ち伏せして驚かすなんて真似、冷静な今は気味が悪くてできやしない。計画は杜撰だったが、その胆力だけは評価できるだろう。


 あの一件以来、俺は試行錯誤を繰り返してトイレの花子さんという形態にたどり着いた。今では火曜日の一日で、幾つかの学校を梯子して花子さんに成りすますほどだ。

 花子さんになってからというもの、体調と業績はすこぶる良い。そのため、休日返上――俺の週休は火・水曜日――でやるメリットは十分だろう。


 おっと、不法侵入している学校の敷地内で思い出に浸っている場合ではない。とっとと出て、次の現場に出向かなければ。




「ふう、中学校のあの子。あの子の悲鳴は素晴らしかった。また聞きたいな」


 今日も花子さんを終えた。居間で充足した息を吐く。


 侵入した七校中、驚かすのに成功したのは小中高で一校ずつの三校。中々の結果だ。花子さんの噂を聞いてやってくる子の数なんてたかが知れている。一日の内で一人も驚かせられなかったことなんてざらだ。

 各学校への潜伏時間が短いのは保身のため。もう少し待っていれば人が来るのでは? と思うこともあるが、そんなことを考え出すとキリが無くなる。これ以上リスクは背負えないのだ。


「来週も楽しみだ」


 良い花子さんは健康な生活から。食事や機材管理などを手早く済ませ、深夜になる前に就寝した。






 よし、火曜日になった。一週間ぶりの花子さん、今日も騙っていくとしよう。俺は、いつものように目立たないモブのような恰好をして、最初の獲物の高校へと向かった。




 さっきの女子小学生の悲鳴は 90 点かな。ヒッと息を詰まらせる音が耳に心地よかった。だが、女の子の腰が砕けてしばらく動けなくなってしまったのはいただけない。俺が個室から出られなくなったからだ。そのせいで時間が押して、行く予定だった学校を一つ飛ばさないといけなくなった。


 都市伝説などの噂は時間と密接に結びつく。だから俺は、各学校への侵入時間を統一して綿密にスケジュールを作っている。これも、滞在時間が短い理由だ。


 さておき、路線バスで向かっている次の中学校には、先週 85 点をたたき出した子がいたはず。もう一度来て、記録を更新してくれることを願っておこう。勝気そうな子だったから来る確率は十分あると思う。




 バス停を降り、中学校へと向かう……のではなく近くの林へと入っていく。真正面から行って通してもらえるわけがない。


 林の中を分け入って進むと、旧校舎裏のフェンスが見えてきた。防犯の観点で設置しているのだろうが、点検しないならフェンスなんて全くの無意味だ。事実、以前俺が切って隙間をあけた場所はそのまま。フェンスの隙間を通って容易に学校の敷地に侵入できた。


 時刻は 16 時 50 分。前回との誤差は五分以内。良い出だしだ。旧校舎の旧来賓口から、合鍵を使って内部へと忍び込む。薄暗い旧校舎内を靴下で――靴はリュックサックに入れた――徘徊する様は完全に不審者のそれだ。不本意である。


 目的のトイレに着いた俺は、まず花子さん(スピーカー)を個室の便座に取り付けた。そして扉を開閉するカラクリを、個室の扉上部に固定する。カラクリと言っても大したことなく、孫の手のようにドアの上を掴んで引っ張ることで開け閉めできるものだ。そして、花子さん(スピーカー)のある個室の扉を閉めた。

 あとは、カラクリの柄を持ちながら隣の個室に入って準備完了。なお、扉は開けたままにしている。花子さんがいない個室が閉まっているのは不自然であるし、内開きの扉は間に隠れる余地があるからだ。


 よし、準備完了。あとは獲物を待つだけだ。ここを発つのは 17 時 30 分。早く来てくれないだろうか。




 あと五分で撤退時間が来てしまう。今日はもう無理か……そう諦めかけたとき、遅い足音が聞こえてきた。足取りが重いということは、花子さんの噂を聞いてやってきた可能性が高い。獲物だ。


 俺はじっと身を潜めてその時を待つ。遂にやってきた女の子の呼吸は不均等で、先に踏み込むことへの不安を感じさせた。ん? この気配は……


「閉まってる。今日で一週間、やっぱり火曜日か……」


 ビンゴ。先週の 85 点ちゃんだ。なるほど、あの後も自分の見た物を信じられず繰り返し来ていたと見た。


「ねえ、誰か中にいるんでしょ! 返事しなさいよ!」


 そう言って扉を押し開けようとしても、閉まっていて開かない。真相は開いている扉を俺がカラクリで押さえているだけだが、そんなことは彼女には分からないだろう。

 俺が扉を開けないでいるのは、彼女がまだアレをしていないからだ。


 扉の向こうの気配は、躊躇を振り払ってノックをした。


 コンコン。


 よし来た! 俺は左手で再生ボタンを押す。


『入ってます』


 息をのむ音が聞こえる。恐ろしかろう恐ろしかろう。あとは閉まっているはずのドアを開けていけば……ん? 彼女の気配がとげとげしいものに変わったような……


「と、扉が開いたら誰もいないっていうのなら――」


 しゃがんだ? ……ってまさか!


「――上から覗いたらどうなってるんでしょうね!」


 高く跳び上がった気配はそのまま個室の扉の上に手をかけ、顔を乗り出し――


「あれ、誰もいな……」


 ――目が合った。


 綺麗な顔立ちだなあ。無言で見つめ合うこと数秒。


「きゃあぁあぁぁあああっっっーーーーー!!」


 120 点。ああ、本当に聞きたかったのはこの叫び声だったのだ。真っ白になった頭で俺はそんなことを考えていた。






 九月某日夕方、東京都 N 中学校にて不審者が女子トイレに籠っているとの通報をうけ、現場に急行した警察官が土井零被告(27)を建造物侵入罪として現行犯逮捕した。

 逮捕直後、被告は「これが俺のイデアだったんだ。ついに見つけることができたんだ」などと意味不明の供述をしていた。

 その後の取り調べで、被告は「トイレの花子さんとなり、悲鳴を聞くことで精神の安定を図っていた。被害女性には申し訳なく思っている」と容疑を認めた。

 現在、警察は被告に余罪があるとみて調べを進めている。


 最後までお読みいただきありがとうございました。

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