6
その言葉を聞いた鬼ははじかれたように動いた。奥村から離れようと、そして私を人質にでもしようと考えたのか、私のほうへ向けて走り出した。一足飛びで私のそばに来ると、私の腕を掴んだ。
「ぎゃははは~。今日のところは見逃してやる。この女の命が惜しければ……」
鬼は私の首に尖った爪を突きつけながら振り向こうとしたが、それは出来なかった。すぐに追い縋った奥村の手刀で、首を刎ねられたのだ。
鬼の血が私の顔に飛んできた。
鬼の頭はくるりと回転しながら、離れていく。下向きになった顔が驚きの表情を浮かべ、それから愕然とした表情に変わり、向きが変わって表情が見えなくなったところで、突然砂にでもなったかのように、ざーっと崩れ落ちた。
私の位置からは見えなかったが、どうやら奥村が鬼の核を壊すことに成功したみたいだった。
視線を下に向けると、足元には黒い砂のようなものがたまっていた。ユラユラと黒い煙が立ち上っている。そのすぐそばに人の足が見えた。下げた視線をその人の体に沿って持ち上げていった。
私の目の前にいるのは、青い燐光を纏った、秀麗な顔をした鬼。額にふたつ小さな突起が見えた。その鬼の口が動いて何かを言ったけど、いろいろと限界を迎えた私は意識を手放したのだった。
◇
「う、ん」
鼻をくすぐるコーヒーの香りに、意識が浮上してきた。寝起きにコーヒーを入れてくれるのは、友人の宏美だ。昨日の合コンの後に、宏美のところに泊まってしまったのかと思いながら、私は目をあけた。
「起きたのか」
低い聞き心地のいい声が聞こえてきて、私は布団をはね飛ばして起き上がった。ベッドの横には見目麗しい男性がいた。
「えっと、あなたは」
問いかける私を男はベッドに押し倒し、布団をかけて抑え込んできた。
「ちょっと、何するんですか」
「頼むから動くな」
意味が解らずに布団の中でジタバタともがく。そこに呆れを含んだ女性の声が聞こえてきた。
「何をしているのよ、あんたは」
「イチョウ、てめえ、何をしやがる。ちゃんと着替えさせておけよ」
「あら、心外だわ。私がシャツを羽織らせたら、彼女が丸まってボタンを止めさせてくれなかったのよ。いいじゃない、役得で。いいものが見れたんだから」
「ばかやろう!」
二人の会話に、なぜ布団をかけられたのか分かった私は、動くのを止めた。それに気がついた男は布団を押さえるのをやめて、離れて行った。そのまま部屋の中から出て行ったようだ。
私は布団の中で手探りでボタンを留めていった。そろりと布団から顔を出すと、そばに立つ女性と目が合った。女性はにっこりと笑った。
「ごめんなさいね。まさか寝起きで、飛び起きれるだなんて思わなかったのよ」
「え~と、あの」
言いかけて、ハタッと止まる。何から聞いたらいいのだろうか。そんな私の困惑がわかったのか、女性が訊いてきた。
「いろいろと訊きたいことがあるのはわかるけど、まずはこれだけは答えてくれる? どこか痛いところや変に感じるところはない?」
「あ~、はい。……大丈夫です」
女性の問いに上体を起こした私は、軽く体を捻ってみたりしながら答えた。
「どうやら本当に大丈夫のようね。あれだけの瘴気を浴びながら、よく無事だったというか。それともソウゲツとの相性がよかったのかしら」
「瘴気?」
訊きなれない言葉に、首を捻る。その時ツキリと頭が痛んだ。その痛みに顔をしかめたが、それはすぐに収まった。
「そのことも含めて話さなければいけないのよね。でも、その前にお腹すいてない?」
女性の言葉に私は無意識に胃の辺りを押さえた。そう言われるとお腹がすいている気がする。私の表情から読み取ったのか、女性が笑いながら言ってきた。
「やっぱ、そうよね。丸一日半寝ていたのですもの。お腹だってすくわよ」
「えっ?」
女性が言った言葉に、目を瞬いた。
丸一日半?
そんなにも眠っていたのかと思ったのよ。あの時お店を出たのは金曜日の21時を過ぎていた。それからみんなと別れて駅に向かったのが20分過ぎ。怪異にあったけど、あれは時間にして30分も経っていなかったと思う。それなら私が意識を手放したのは22時頃だったはず。じゃあ、今は日曜日の10時頃ということなのか。
思わず部屋の中を見回したけど、壁や見えるところに時計はなかった。
「ごめんなさいね。殺風景な部屋でしょう。次からは時計ぐらい置くようにするわね」
察した女性が言った言葉で、本当にそれだけの時間が経っているのだと察せられた。
「それから、これだけは先に言っておくわね。あなたの服を脱がせたのは私よ。かなり汚れてしまったのよ。申し訳ないけど、処分をさせてもらったわ。着替えはそこにおいてあるものを、身に着けてくれるかしら。あと、あなたの荷物はそこにあるわ。あとで中を確認してね。じゃあ、私も出ているから、着替えが終ったらそっちの部屋にきてね」
女性はそれだけを言うと、ウインクをして部屋から出て行ってしまったのだった。