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鬼は奥村に向かって、丸太のように太い腕を振り下ろしてきた。ブンと空気を裂く音が聞こえる。
思ったよりも素早い動きだったけど、危なげなく奥村はその腕を避けていた。しばらく二人の鬼ごっこが続いた。捕まえようと腕を振り回す鬼。それをひらりと躱す奥村。
その間にも鬼の姿は変わっていく。今では体が大きくなり、二メートルを超える体躯となっていた。靴やズボンも千切れ、足にも尖った爪が伸びているのが見えた。
「逃げるばかりでは、我を倒すことは出来ぬぞ」
鬼がしゃがれた声で、奥村をあざ笑うように言った。奥村はそれには答えずに、鬼の動きに注意を払っているようだった。鬼の右手を剣で払った時、鬼の左手が奥村を捕まえた。
「ぎゃははは~、口ほどにもない。我が引き裂いてやろうぞ」
鬼は笑いながら右手を動かして、奥村の左腕を捕まえようとした。
ザシュ
「ぎゃあ~」
刃物が切り裂く音が響き、鬼の悲鳴が響き渡った。捕まえられたと見えた奥村が、右手に持っていた剣を左手に持ち替えて、鬼の左腕を切り落としたようだ。鬼の左腕は地面に転がると、煙のようなものをあげだした。
「我の左腕が~! 許さぬぞ~」
鬼は右手を振り上げて奥村に迫った。奥村はその右手も切り落とし、そのまま、左胸へと剣を突き立てた。
「ぎゃあ~~~~~!」
鬼は奥村から離れるように、転げまわった。
「チッ、核を移動させたな」
奥村が舌打ちをして、目を眇めるようにして鬼を見つめた。鬼はぎゃーぎゃーと喚きながら転がっていたが、その体が一回り小さくなり、気がついた時には両腕が元通りになっていた。
私はその様子を声もなく見つめていた。切り落とされた腕は、煙となり融けるように消えてしまった。ただ、そこには黒い霧のようなものが残されているだけだった。
鬼は奥村を憎悪がこもった眼で睨みつけていた。
「我に、ここまで痛手を与えたことを、後悔させてやる」
鬼が飛び上がって奥村へと迫った。先ほどより早い動きをしていた。奥村も先ほどは余裕で躱していたのが、紙一重で避けている感じだった。それに鬼は剣に触れることを恐れていなかった。先ほどのように腕を切り落とすことはできないまでも、奥村は細かな傷はあたえていた。その傷口からシュウシュウと煙が漏れていく。それと共に鬼の体躯は少しずつ小さくなり、より俊敏になっていった。
「クッ、どこだ」
奥村が焦ったように声をあげた。先ほどから鬼のことを凝視して、何かを探している感じだ。
(核……とか言っていたわよね。さっき、確かに心臓の位置に剣を刺したはずなのに、あの鬼は死ななかった。ということは核……心臓を移動させたということね。それがわかれば、奥村さんは鬼を倒すことが出来るの?)
そんなことを考えながら、奥村と鬼の戦いを私は物陰から見つめていた。少しずつ移動をして、今は鬼からは見つかりにくいところまで来ていた。と思う。本当はそのまま逃げだしたかったが、奥村を置いて逃げることが出来なかった。
剣をものともせずに、鬼が奥村の右腕を捕まえた。そのまま、力を入れてあらぬ方へと、折り曲げた。
ボキッ
離れている私のところまで、骨が折れた音が響いて来た。奥村は「グッ」と呻いて、剣を取り落とした。
「ぎゃははは~。捕まえてしまえばこちらのものだ。男なんかたいしてうまくもないが、腹の足しにはなるだろう。あの女の前の前菜としてやるわ」
鬼が笑いながら私が隠れている方を見ながら言った。そして奥村を持ち上げた。その時、奥村の陰になっていた、鬼の体が見えた。
「右足の太もも」
気がつくと私は声を出していた。
「なんだと。もう一度はっきり言ってくれ」
奥村が私の声を聞きつけたのか、大声で訊いてきた。私は息を吸うと大きな声で言った。
「鬼の核は右足の太ももです!」
「そうか!」
鬼に捕まえられているというのに、奥村は笑顔を見せた。そして鬼に向かって不敵に笑った。
「おい、さっさと俺を殺しておくんだったな。それがお前の敗因だ」
「何を言っているのだ。我に捕まえられて動けんくせに。人間というものは脆弱じゃ。少し力を入れただけで、簡単に折れ曲がってしまうものよ。武器がなければ何もできんじゃろ」
鬼が嘲笑をしたが、奥村は笑ったままだった。
「お前は勘違いをしているぞ。いつ、俺が脆弱な人間だと言った」
そう言った奥村は体に力を入れているみたいだ。それに奥村の体は光りだしたように思う。見ている間に、その体は青い光に包まれてしまった。
「えっ?」
私は目をこすってから、もう一度奥村のことをみた。見間違いではなく、奥村の体も大きくなっていた。薄い青い光に包まれながら、奥村の体は一回り大きくなっていた。
先ほどの鬼になった男の変容と違い、奥村の体はとても綺麗だった。服が裂けて肌が見えているわけではないのに、その盛り上がった筋肉はとても美しいものだと思った。昨日もギリシャ彫刻のようだと密かに思っていたのだ。
いつの間にか鬼は奥村から手を放し、離れようとするように後退っていた。
「ば、莫迦な。人間にそのようなことが出来るわけがない」
「だから言っただろう。俺は純粋な人間じゃない。鬼の血を引いているのさ」