出会った日
自分が他人と違うと漠然と思い始めたのはいつからであったか。少なくとも、小学校の頃には周りから大人びていると評価されていたし、中学時分には自分の恋愛における特殊事情を初恋によって自覚した。
この特殊事情を誰かに理解されようと思ったことは生涯で一度もなく、率直に言えば、生来のナルシズムのせいもあって馬鹿げたことに優越感すら抱いていた。ちょうど物書きにあこがれて、芸術家を気取りはじめた時期だったのもよくなかったのだろう。しかし生まれて二十一年ともなるとそうした心の浮つきも落ち着いて、今ではあるがままに、なすがままに程度にこれを捉えている。
しかし最後の浮つきは、意外にも最近のことであった。
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大学という場所にどんなに学問を志している風を出して入ってきたとしても、結局人付き合いというものを求めてしまうのは人の性なのだろうか。彼と出会ったのはまさにそれがきっかけであった。
初めてサークルの活動教室に入った時、彼は奥のほうで一人本を読んでいた。文庫本で、よく書店の入り口付近に置かれていたものであった。
最近の女に好かれそうな男だった。どこかにあどけなさを残す顔は若々しいというよりも幼いというのが適切で、背も決して高くなく頼りがいのなさそうな風体だ。しかし、それだからこその美しさが輝いているのも間違いなかった。細い身体は支えていないと折れてしまいそうであったが、それがなんとも艶っぽく思える。ページをめくる手の動きも、それは私の思い込みのせいなのかもしれないが、武骨さの一切ない繊細な動作に見えた。有体に彼を初めてみたときの心情を表すのであらば、「抱きたい」が適切であろう。
感情と実行動が往々にして一致する奴というのはろくでなしだ。私はそうでないと自負している。その日彼に声をかけることはなかったし、そのつもりもなかった。しかし彼のほうは、自分のほうをちらちらと不思議な視線で眺める男が気になっていたのかもしれない。
「ねえ、君、このサークル入るの?」
サークルの活動を軽く体験しているときだった。初めて聞いた声は、顔がわかっていれば男と認識できるだろうと評せるくらいには女声だった。
「ああ、どうでしょうね。まあ、他に魅力的なサークルがなければ」
「そうなんだ・・・もし入ることになったら、よろしくね」
「ええ、こちらこそ」
そこで会話は一度途切れた。彼はもう少し話したい様子を示していたが、一方の私には無視してその様子を眺めていたいという意地の悪い欲求があった。
「ねえ、学科はどこ?」
「史学です。あなたは?」
「心理。スクールカウンセラー目指してるんだ」
「珍しいですね。なにかきっかけが?」
それが好ましい質問でなかったことは彼の表情に表れていた。
「私はこのまま院に進むつもりです。まあ、一年からそんなこと言うのは早いかもしれませんが」
「そんなことないよ!院ってことは、学者になるの?」
「まあ、願わくば」
「いいじゃん、夢があって」
「ああ、それはどうも」
他愛のない会話な上に、私の反応は決していい方はではなかったが、彼は妙に満足しているようだった。本を読んでいるときは動きのなかった顔が次々と表情を変えていくのを見るのは、私にとっても心地のよいものだった。
「ねえ、駅どこ?」
教室を出た私に、彼が問いかけてきた。急いで引き留めたような感じがあるのは悪くない。
「経堂です。あなたは?」
「・・・下高井戸・・・ねえ、経堂って新宿いける?」
随分と気に入られているらしい。クールを貫こうとしても、どうしても愛想がよくなる。
「ええ、私とは反対方向になりますが、一本で」
「じゃあさ、一緒に帰ろうよ」
期待していた言葉が出てきたことに、私は相当に上機嫌になった。そうならないように努めたつもりではあるが、もし面に出てしまっていたらかなりの気色の悪さであろう。
裏の門から二人で出た。歩き方すらいじらしい程に愛らしい男だ。
「それにしても、なんで私と?」
「なにが?」
「いや、人と話せないわけではありませんが、第一印象からよく思われたことはそんなにないので」
「なんで?」
「望んでそうなったわけではありませんが、老け顔で大体仏頂面なもので」
「仏頂面は直せばいいのに」
「それができたら苦労はしてません」
「えー・・・ていうか、敬語いいよ?」
悩ませる申し出だった。本気になったわけではないが、後々彼に誤解されて距離を置かれるのも心苦しいものがある。距離を詰めればもしものこともあるかもしれない。こうした迷いをよく抱く私は、所謂ヘタレというやつなのだろう。
「いやでも、初対面ですからねえ」
「でも、僕さっきからため口だよ?」
困った。
「それとも、僕、うざいかな?」
「いえ、そんなことは・・・ないかな?」
ニヒルを気取っても、所詮はこの程度ということか。せいぜい本気にならないようにするしかない。
「じゃあ、これからはタメね?」
「まあ、君がそういうなら」
決して、悪い気はしない。
「それで、やけに私に話しかけてきた理由は結局なんなんだね」
本音はどうか知らないが、「適当な言葉でホイホイついてくるホモに見えたから」とは言わないだろう。
「あー・・・ほら、他の人みんな友達と来てたじゃん?」
「ああ、そういえば」
言われてみればという感じだった。如何に彼に鼻の下を伸ばしていたかがわかる。
「話せる人探してたんだけど、他にいなかったから」
「光栄だねえ。でも、この仏頂面以外に話せる奴がいたらそっちいったわけだ」
「え、そ、そんなことないよ・・・?
「いやいや、別に無理せんでもいいさ」
「本当だって!」
「こんなのに話しかけるほうが少ないさ・・・」
「だから!」
初対面で遠慮していた私はどこへ行ったのやら。いい加減にしておいたほうがいいだろう。
「すまん、冗談だ」
「・・・え?」
「いや、なんとなく揶揄いたかっただけ」
「なんだよそれ!」
「いやあお近づきになったならせっかくだからねえ」
「さっきは敬語使ってたのに?」
「タメでいいって言ったのは君だろ」
「そうだけどさあ」
談笑が小気味よく弾んだ。友人と話すのとはまた違う楽しさがあったことは、認めざるを得ないだろう。決して軽い男ではないつもりなのだが、どうもそういう性分であるらしい。
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ようやく馴染んできた1Kに戻ると、荷物をベッドに放り投げてから煙草に火をつけた。うまかったが、同時に一気に老け込んだ気もした。
灰を落とそうととして目を向けた文机の上に放置されたサークル加入届が、妙に自己主張していた。その上には都合よくボールペンがあって、机の一番上の引き出しには都合よく印鑑が入っている。
どうせほかのサークルなんて見る気はなかった。他に面白そうなものもない上に、方々回るのは億劫だ。
筆を走らせていると、携帯が震えた。画面中央やや上に彼の名前にアットマークと短文をつけたものがあった。
「早速送ってみた!これからよろしく」
焦らしたい気持ちにならないでもなかったが、結局私は筆をおいて返事をした。
「いえいえ、こちらこそ」
スタンプ一つが返ってきただけだった。私は書類に再び向かい合った。