第六話 ~その手を離れて~
未由斗は涼子の護衛ではないし、彼女を護らなければならない立場でもなかった。
これは、彼女の信念というべきもので、そこに主従関係があるわけではない。
それは逆に未由斗と涼子、それぞれの行動を阻害する可能性があった。
互いの思いが強いが故に、互いのためを思うが故に、その思いが噛み合わない。
今回はまさにそれが起ころうとしていた。
「……さみ、私……この人と行く」
「涼ちゃん⁉︎」
膠着状態になれば、荒事になってしまう。
涼子もまた、未由斗に傷付いてほしくなかった。
言うとおりにすれば、身の安全は保障される。
グラーツの言葉を、涼子は信じようとしていた。
「私は大丈夫。だから、無茶……しないで?」
震える声でそう言った涼子に、未由斗は自分の無力さを思い知る。
「……いつまでかは解らない。でも、また会えるんですよね?」
涼子を抱き締めた体勢のまま、未由斗は視線を落としてグラーツに尋ねる。
「全てが終われば、元の世界に共に戻ってもらう」
「それまで、この子の身に何かあったら……」
ゆっくりと顔を上げた未由斗の瞳は、またもや赤い光を帯びている。
「お前達を許さない」
「……ああ、解った」
もう一度だけ、未由斗は涼子を強く抱き締めた。
「涼ちゃん、これを」
「え……?」
持っていた鞄から瑠璃色の石で出来たブレスレットを取り出す。
「これ、さみが大切にしてる……」
「姉からもらったお守り代わりのやつ」
「……ありがとう。しばらく、借りるね」
「必ず、状況は変わる。……変わってしまう。
そうなったら……いや、変なこと考えない方がいいね」
自嘲するように吐き捨て、未由斗はブレスレットを持つ涼子の手を、そっと包み込む。
「大丈夫。絶対、大丈夫にするから」
「うん……!」
名残惜しそうに手を離すと、涼子は不安げな表情のまま、グラーツの元へと歩く。
「……すまない」
「さみ……」
最後に振り返った涼子の顔をしっかり確認する間もなく、グラーツと涼子は消えてしまった。
黒い影のようなものが一瞬で二人を包み込み、空間を歪めてその中に消えたようにも見えた。
涼子の温もりが消え、未由斗は目的を失ったように大人しくなる。
「まるで迷子の子供だな」
「っ……私を、どうするの」
反抗する気も起きず、未由斗は覇気のない声で尋ねた。
「来い。これ以上、余計な手間を掛けさせるな」
カシュガルの背後にある扉から、この部屋を出るのだろうと、未由斗は足を踏み出す。
足取りは重いが、それ以上の疲労感が未由斗を襲っていた。
無言で動き出した未由斗に、カシュガルも扉を開けて出て行く。
扉の先は登り階段になっていた。
さっさと登っていくカシュガルに遅れないよう、重い体を引き摺るように付いて行く。
少なくとも、未由斗はそう動いていると思っていた。
だが、実際は階段の下で止まり、そこから動かない。
「何をして──」
少し離れているだけだと思い、しばらく放置していたカシュガルも、さすがに異変に気付いた。
しかし、カシュガルが振り向き、未由斗に声を掛けたとほぼ同時に、彼女は突然支える力を失い、前へと倒れ込む。
ガツっと嫌な音が響き、そのまま未由斗は動かない。
何が起きたかは解らないが、未由斗が倒れた。
恐らく、意識もないのだろう。
そう理解したカシュガルは意外にも焦りの表情を浮かべた。
「っ……おい⁉︎」
もう一度声を掛けるが、やはり反応がない。
慌てて階段を駆け下り、先程の部屋へ戻る。
未由斗の側で膝を折り身を屈めると、彼女の肩に手を伸ばした。
触れる直前で手を止め、恐る恐る未由斗に触れる。
下手に揺すらない方が良さそうだったので、その手は未由斗の体を仰向けにさせるように動いた。
力なく、まるで人形のようにごろりと転がった未由斗は、こめかみの辺りから血を流している。
それを見たカシュガルは、すぐに彼女を抱き上げると、階段を駆け上がった。
階段を抜けた先を真っ直ぐに進み、やがて開けた場所に出る。
その広間にある大扉へと向かうと、門番の兵がすぐに扉を開けた。
中へと入るや否や、カシュガルは声を上げる。
「ラグーザ!診てくれ!」
「うおっ⁉︎……何だよ、急に……。驚くだろ」
「一刻を争うかもしれないんだ!」
珍しく狼狽している様子のカシュガルに、ラグーザと呼ばれた男性は首を傾げた。
「何をそんなに……って、それ、人間か?」
「そうだ」
「カシュガル、お前……何したんだよ⁉︎」
「詳しい話は後だ!誓って、この状態であることには関与していない」
互いに言葉を投げ掛けながら近付き、玉座の間の中央で、ラグーザはようやく未由斗を間近に確認する。
「女、か……?怪我してるな」
「それは倒れた時のものだ」
「これ以外に外傷はなさそうだが……」
「前触れもなく倒れたんだ」
それだけでは状況が全く解らない。ラグーザは溜息をついた。
徐に未由斗の頭部付近に手をかざす。
「……魔力切れだな」
「何だと……?」
「間違いない。枯渇しているせいで魔力の流れが乱れてる」
そんなバカなとカシュガルは意識のない未由斗を見詰めた。
「どこから連れて来たか知らないが、やりあったんだろ?」
抵抗の際に、魔力を使いすぎたのだと、ラグーザは推測する。
「いや、こいつと戦ってはいない」
「じゃあ、お前に見付かる前に消耗していたんじゃないのか」
再度、カシュガルは首を振った。
「こいつは、術を使えるほど魔力を持ってない」
「は?」
「魔術も使ったことはおろか、存在も知らないはずだ」
「どういうことだよ」
このまま説明をするわけにはいかず、カシュガルは未由斗を一度どこかへ寝かせようと考える。
あまり他の兵に姿を見せるわけにはいかないので、手近な自分の寝室へと運ぼうとした。
「あ、おい!カシュガル⁉︎」
「魔力切れならば、このまま休ませておけばいい」
「いや、まぁ……そうだけどさ」
相変わらず状況が見えず、ラグーザは困ったように頭を掻いている。
「お前がいいなら何も言わないけどな」
「何がだ?」
「だってお前、自分の寝室に人間入れようとしてるんだぜ?」
寝室に入ってから、カシュガルはラグーザの言葉の意味を理解した。
「……ここが一番近く、他の者の目に付かないだけだ」
「まぁ、ほぼ使われないお飾りの寝室だってのは知ってるけどよ……」
カシュガルが未由斗をベッドに寝かせるのを見ながら、ラグーザは肩を竦める。
魔力切れは無理をすれば命を落としかねない、危険な状態だった。
血の気のない未由斗の顔に、カシュガルは胸を痛める。
こんなことになるはずではなかったと。
ラグーザは寝室を出て行き、少しして戻ってきた。
手には木製の箱を手にしている。
「傷、手当てしなきゃな」
「頼む」
どうやら、箱は救急箱のようなものらしい。
箱の中から清潔な布と、液体の入った瓶を取り出すと、慣れた手つきで傷口の消毒を行う。
最後に、傷口に布を当てたまま、包帯を巻いた。
額だということと寝かされているのとで、あまり上手くは巻けなかったが、ひとまずは問題なさそうなのでよしとした。
「さて、説明してもらうぞ、カシュガル」
「ああ……そうだな」
しばらくは目を覚まさないだろうが、念には念をと、カシュガルは寝室から出ることにした。
残された未由斗は、しばらくして何やら口を動かし始める。
それは、静かな寝室でも響かない程に小さい声だった。
「涼ちゃん……ごめん、ね……」
ラ「いやあ、珍しいもんが見れたな」
カ「何がだ」
ラ「あんな慌てふためいてるお前は初めてだよ」
カ「今すぐ忘れろ。でなきゃ忘れさせてやる」
ラ「何する気だよ⁉︎」
まだまだ謎多き二人ですが、仲良しさんです。




