第七十四話 〜邪界に別れを〜
玉座の間から中庭を見下ろしながら、カシュガルは何度目か解らない溜息を漏らす。
厳かな雰囲気が戻ったリヴォニア城は、何故か寂寥感が溢れているように思えた。
たった一人の人間が居ないというだけで、ここまで違うものか。
もう考えるのは止めだと、ようやく中庭から視線を外し、身を翻したところ──。
「すごく久し振りな気がする」
「まあ、確かにここに居た時間より離れてた時間の方が長いしな」
「体はもう大丈夫なのか?」
何とも自然にアルヴェラがそこに居た。
いつ来たのか、全く気付かなかったが、ラグーザとラディスと共に笑っている。
声を掛けてくれてもとは思ったが、嫌な事を思い出す。
『(二度と)会いたくないだろうねぇ』
そうだ、自分は会いたくない対象なのだ。
だが、この城の主である自分に挨拶くらいはしても良いのでは。
そんなことを悶々と考えているせいで、カシュガルはその場から動けずにいた。
ただ、この場にアルヴェラがいることに気持ちが浮つく。
「その服着てると、ここに初めて来た時を思い出すな」
「思い出すほど昔じゃないよ?」
「何つーか、カシュガルが慌ててる姿しか思い出さないんだよなぁ」
変な話になりそうだったので、カシュガルは大股で素早く距離を詰めた。
「その話は不要だろう!」
ラグーザの肩を掴み、アルヴェラから引き離すように押し退ける。
すると、ラグーザは呆れた様子で目を細めた。
が、すぐに笑顔に変わる。
「おう、やっと気付いたか。
アルが来たのに考え事してたみたいだから放っといた」
そこは呼べとカシュガルはラグーザを睨み付けた。
会話の流れを変えることには成功したが、途端に気まずくなる。
視線をアルヴェラに向けることが出来ない。
「ちゃんと挨拶させてやれよ」
見兼ねたラグーザが声を掛けるも、カシュガルはそのまま視線を落とす。
これは駄目だとラグーザは溜息を吐いた。
「あーあー、せっかくアルが最後に挨拶しに来てくれたのになぁ。
顔合わせ辛いのに頑張って来てくれたのになぁ。
何でこの邪王サマはまだ勘違いして落ち込んでるのかなぁ」
勘違い、その言葉に顔を上げる。
「何、を」
「お前さ、ホント、アルのこと解ってないよな?
あんなに必死に歩み寄ろうとしてくれた子が、だぜ?
そんな簡単に、しかも一方的に縁を切るわけがないだろ」
たった一言の挨拶に破顔するアルヴェラが、不思議だった。
あの時のアルヴェラも、今の自分のように不安だったのだろうか。
相手が自分をどう思っているか、冷たく突き放されるのではないか。
解らないというのは、確かに怖いものだと思い知らされた。
一度、目を瞑り覚悟を決める。
ゆっくりと瞼を押し上げ、アルヴェラの方へと顔を向けた。
初めに見えたのは、不安そうな表情である。
視線がかち合うとそれはすぐに消え、驚きへと変わった。
何度か瞬いた後、安堵の笑みを浮かべる。
思わず手を伸ばし踏み出すも、ラグーザとラディスが慌てて間に入った。
伸ばした手はラディスに掴まれ、全身はラグーザが押さえ込んでいる。
「危なかった……。また同じこと繰り返す気か?」
「次は本気で来ますよ、あの精霊は」
「貴様ら……!」
半ば無意識に動いていたものの、安息を得ようとして邪魔されたのはとても不愉快だった。
「だから、アルの了承をもらうのが先だ」
「そういうわけだ、アルヴェラ」
何故か二人掛かりで押さえ付けられているカシュガルに、アルヴェラは戸惑いつつも頷くしかない。
宴の夜の再来は、確かに避けたかった。
「で、実際どこまでなら大丈夫なんだ?」
「ど、どこまで、って……」
どう答えたものか。
困った様子のアルヴェラにラグーザは苦笑する。
「まあ、最低でも抱き付くのは避けられなさそうなんだが」
「え、そこが最低ラインなの……」
むしろそれ以上があると思わず──否、考えたくなく、アルヴェラは余計に困ってしまった。
はっきりとした答が出せるとは自分でも思っていないが、妥協点は提示できる。
抱き合うくらいであれば、挨拶と考えることで羞恥も半減するだろう。
「そ、それだけ、なら……」
「お?いいのか?大丈夫か?」
何を心配されているかは解らないが、要は恥ずかしいだけなので我慢できる範疇かどうかだけが問題だった。
アルヴェラが頷くと、ラグーザはカシュガルから離れながら告げる。
「良かったな、カシュガル。抱き付くだけなら許されたぞ」
「いいですか?それだけですよ?」
そこにいるのは子供なのだろうか。
アルヴェラの恋愛偏差値も馬鹿に出来ないのだが、それを棚に上げ呆れている。
ようやく二人から解放され、カシュガルはアルヴェラと向き合えた。
「えっと……すみませんでした。あの時は驚いて……その」
「っ……いや、あれは俺が──」
非は自分にあったと告げようとして、カシュガルはアルヴェラの表情に思わず口を噤む。
眉尻の下がりきった、不安そうな表情──。
不安定に揺れる目は潤んでおり、どこか扇情的でもあった。
目が合うと恥ずかしそうに頬を紅潮させて、少しだけ視線を外す。
少なくとも、嫌われている様子には見えない。拒絶もない。
今回は了承も得ているので、カシュガルは驚かせないよう、一度頬に触れる。
その手をそのまま頭の後ろへと滑らせ、ゆっくりとアルヴェラを引き寄せた。
前傾したところでもう片方の手を背に回す。
「……困惑させてすまなかった」
前と違い予告されていたとはいえ、恥ずかしいのは変わらなかった。
驚きがない分、余計に恥ずかしさが増す気さえした。
「その……私、こういうの慣れてなくて……」
「……ああ」
「つ、次会う時までに慣らしてくる、ね?」
「は?」
次に会うという約束を取り付けられるのは良いが、内容には納得がいかない。
「あっちじゃ挨拶代わりとかでする風習ないから難しいけど。
どうにか耐性をつけるくらいは──」
腕に抱かれても良いという男が、元の世界に居る。
カシュガルの中でそういう結論に行き着いてしまった。
そういう思考になっているのだろうなと予想したラグーザの考えも的中しており、仕方がなく助け舟を出すことにする。
「アル、そんな相手がいるのか?
というか、もしかして恋人が待ってたり……」
「い、いるわけないでしょ⁉︎」
「あ、うん、なら良かった」
アルヴェラを見ていてそうは思えなかったので、ラグーザは安心した。
勿論、カシュガルもである。
「でも、日常的に会う人はいるし、そういうの気にしない人に頼もうかと」
「相手が気の毒だからやめておこうな?」
「え?あ。はい」
それもそうだと、アルヴェラは素直に頷いた。
好きでもない女子と意味もなく抱き合うなど、相手に失礼な上に良い気はしないだろうと。
「あ、じゃあ、アモイに頼──」
「それこそ気の毒だからやめておこうな⁉︎」
「あれ……」
良い案だと思ったが、そんなくだらないことであちらの世界に呼び出すのは確かに許されなさそうだ。
「むう……。ちよっと考えておく」
「いや、何も無理に慣れてこなくていいと思うぞ?
次に来た時に、必要なら俺達で慣らせばいいし」
さりげなくカシュガルだけでなく自分も含めるラグーザに、カシュガルは慌てて振り向く。
助けてやったのだからこれくらいはと、ラグーザは笑みを浮かべた。
「えーと、そろそろ行かないと。みんな待たせてるから」
「あ、ああ……」
名残惜しいが、離さなければならない。
それが嫌で、カシュガルは引かれた線を踏み越えてしまった。
そっと、アルヴェラの額に口付けたのだ。
あ、とラグーザとラディスが声を上げたが、遅かった。
何をされたのか解らず、アルヴェラは固まっている。
ラグーザとラディスが後ろで頭を抱えたが、カシュガルは満足そうに笑みを浮かべていた。
「息災でな」
「っ……な……に」
手遅れだが、ひとまず引き離そうと、ラグーザはカシュガルを羽交い締めにする。
「お前な、言い付けくらい守れよ」
アルヴェラを見てみろとラグーザが顎で示すので、カシュガルは離れたアルヴェラを見やる。
耳まで真っ赤になったアルヴェラが呆然と立ち尽くしていた。
これはあの時と反応が似ている。というか同じだった。
「あ……」
「もう知らんぞ、俺は」
「私も、これ以上は無理ですね」
ようやく我を取り戻したアルヴェラは、真っ赤な顔のままカシュガルを睨んだ。
「ウソつき!」
これまでで一番幼く見えたのが可愛いな、などと呑気に捉えている場合ではなかった。
「すまない、つい……」
「まあなあ、気持ちは解るがなあ。
感情に振り回されるのは邪王として情けないよなあ」
「自戒いただく為にも、あの精霊に殴られて下さい」
既にアモイはアルヴェラの隣に顕現していた。
怒りの篭った笑顔で指を鳴らしている。
「アル、いいよな?」
「一発強いのお願い」
「っし!マスターの許可も貰ったぞ。覚悟はいいな?」
精霊体に魔力を流し、物理的に触れられるよう制御する。
ついでに硬化と雷の付与魔術も施されていた。
「うちの邪王サマが申し訳ない」
「っラグーザ⁉︎」
「言い訳のしようもありませんね」
「ラディス!」
カシュガルの味方はいなかった。
ラグーザが羽交い締めにしたままなので、カシュガルは避けることが許されない。
離れていたアモイは、地面を強く蹴ると、距離を詰める勢いも拳に乗せて、カシュガルの頬を打つ。
ガッと鈍い音がして、殴られると同時にラグーザも手を離した為、カシュガルは倒れそうになるのをどうにか堪えた。
他者に殴られるなど久しくなかったカシュガルは、悔しげにアモイを睨み返す。
「いい目だな。クソ野郎が。
もう一発くらい殴りてぇが、マスターに一発って言われたからな」
殴られた頬が痺れる。
咄嗟に防御結界を局所的に展開したのだが、あまり効果はなかった。
口の中を不快な味が広がり、思わず顔が歪んだ。
唇も端が切れたのか血が流れていた。
それを乱雑に拭い、カシュガルは崩れた体勢を立て直す。
それを横目にアモイはアルヴェラの側へと戻った。
想像以上の威力だったことにアルヴェラが青褪めていたので、アモイは安心させようと頭を撫でる。
何とも自然に触れており、かつそれがアルヴェラに許されているので、カシュガルは面白くなかった。
「大丈夫だって、アル。
あれくらいでどうにかなるようなら邪王なんて名乗ってねぇよ」
「だ、だって、この世界での基準よく解らないし……。
個人的には平手打ちでバチンとやる程度に思ってたし」
アルヴェラ本人の平手打ちが飛んで来ていたら、その方が痛恨になっただろうなと、その場の全員の脳内意見が一致した。
「マスターは優しすぎんだよ。
ま、そこが良いところでもあるけど、な!」
そう言いながら、アモイはアルヴェラに抱き付いた。
「ちょ、いきなりくっつかないでよ!」
「やっぱアルは俺の一番のマスターだぜ!」
「人の話を聞きなさいってば!」
明らかにカシュガルの時と反応が違う。
ラグーザとラディスは恐る恐るカシュガルを見た。
不機嫌なのは言うまでもない。
嫉妬による怒りと、理不尽な差への怒りで、眉間の皺はかなり深くなっている。
「えーと、アル?そいつは大丈夫なのか?その……」
「え?……あ、うん、大丈夫だね」
まるで今気付いたかのようにアルヴェラは返した。
「なるほど、じゃあ、アモイは練習台にならないのか」
なるほど、ではない。
アモイはアモイで勝ち誇ったように鼻を鳴らしている。
何故だかとても悔しくなる図だった。
「アルのことは俺に任せておけば問題ないんだよ。
じゃあな、邪王御一行様」
「え⁉︎あ、じ、じゃあ、またね?」
強制的に転移させられそうだったので、アルヴェラは慌てて挨拶をすませる。
話したいことがあったはずなのだが、吹き飛んでしまっていたので気にしないことにした。
アルヴェラとアモイが消えてしまうと、嫌な沈黙が広間に流れる。
「ラグーザ、ラディス」
「あ、ああ、何だ?」
「少し鍛錬に付き合え」
「いや、ほら、まだ執務が残ってるし、なあ?」
「え、ええ、私も……」
全力で首を横に振る二人に、カシュガルは拒否権はないと鋭い視線を向けた。
「黙れ」
その場で剣を抜くカシュガルに、二人は冷や汗を流しながら後退する。
カシュガルは冷たい眼差しのまま、問答無用と二人に斬り掛かった。
ラグ「ま、待て!カシュガル!うお、あぶなっ」
ラデ「せめて城の外へ──っく!」
カシ「何、問題ない」
ラグ「おま、目が怖いって!」
ラデ「ラグーザ様、何とか止めて下さい」
ラグ「いや、これは無理だろ⁉︎」
その後、玉座の間は修復にひと月を要する状態になったとか。




