第七十話 〜闇から光へと〜
松明の明かりしかない、薄暗い牢の中で、過ぎ行く時をただその身に感じながら、彼は抜け殻のように横たわっていた。
冷たい石畳も今は一体化したかのように存在を感じさせない。
それくらいに、彼は全ての事柄に無頓着となっていた。
近付く足音も、耳には届いたが無関心に受け流す。
もう、どうでもいい──。
自分の存在意義などない。
生き続ける意味もない。
全てを終わらせ、何も考えなくて良い場所に行く。
自分にそう言い聞かせるよう何度も頭の中で唱える。
彼は目を閉じ、心を閉ざそうとした。
「デュラッツォ……アスター⁉︎大丈夫⁉︎」
自分を呼ぶ声が聞こえ、驚くと同時に彼は目を開けた。
名を呼ばれたことで、周囲に色が付いたような錯覚に陥る。
現実へと引き戻したその声に、怒りが湧いてきた。
足元の方から聴こえてきた声を辿り、その主を捉える。
鉄格子を両手で掴み、近付けないもどかしさに加え、何故か心配している一人の少女がいた。
遠い過去にも、同じようなことがあったなと苦笑し、彼は体を起こす。
すると、僅かだが少女の眉尻が下がった。
「……何をしに来た」
「発端の確認と、今回の事件を全て終わらせる為に」
「もう全て終わっただろう」
「私が納得するまで終わったことにはならない」
どういう我儘だと、彼は眉間に皺を作る。
「私だけじゃない。
邪王達もまだ納得してない部分がある。
最善っていうのは、みんなが納得した着地点だと思うよ」
どうあしらおうかと、立てた膝に腕を乗せ、彼は溜息を吐いた。
「ガァラは何故、キミに接触したのかな?」
有無を言わさず質問を始める少女──アルヴェラにも、無言を貫こうとする。
「アスター時代の恥ずかしい趣味とかを暴露されそうになったとか?」
「俺が他人の肉体を乗っ取った重罪人だと宣告しに来た」
勝手な憶測があまりにも馬鹿げていたので、彼は思わず素直に答えてしまった。
「本来ならば即刻、天界へ連行するところだがと脅してきた」
「……それが、脅しなの?」
「どういう意味だ」
「つまり、キミとしてはこのままの状態で居たかったんだよね?」
その切り返しに言葉を呑む。
アルヴェラ相手に下手な発言は出来ないと解ると、彼は次の言葉を慎重に選んだ。
「死を恐れるのは当然だろう」
「命も、大切なものも失う怖さを味わってなお……?」
「だからこそだ」
一聞すると、それは問題のない発言である。
しかし、アルヴェラは納得できなかった。
「それなら、どうして今、キミは恐れもなくここにいるの?」
本当に厄介だと、彼は視線を落とす。
「抗えないものならば、仕方あるまい」
「ガァラは天使だった。
他者を乗っ取る重罪を見逃してくれるわけはない。
多少の恩赦はあっても、連行は免れないと思う。
結果は同じなのに、脅しに屈した理由としては弱いよ」
ガァラの口車に乗る、もしくは脅しを受け入れてなお、自分に何かしらの利点がない限りはおかしいとアルヴェラは不満そうに返した。
「……ゼーランディアで生きることも悪くないって思ってたんじゃない?」
初めは事故のようなものだったのだろうが、紛れるうちに何かを感じ入るということもあるかもしれない。
もしくは、邪界での彼の知らないティフリスの面影に触れられたからかもしれない。
あるいは、見えていなかったティフリスの周りを見て、己の過ちに気付いたのかもしれない。
どういう理由にしろ、彼は百年近くも他者のふりをして、ゼーランディアに留まった。
これまで復讐などの行動を起こすこともなく。
人間にしてみれば、百年はほぼ一生分の時間に等しい。
人生観が変わることはあり得る話だった。
「くだらんな」
「そうかな?でも、もしそうなら、まだ手を差し伸べられる」
笑みを浮かべるアルヴェラに、彼は弾かれたように顔を上げたが、すぐに顔を背けてしまう。
まだ駄目かとアルヴェラはシャイレンドラへ視線を向けて問う。
「シャイレンドラ、デュラッツォが別人だって、気付いてたよね?」
「……ああ」
目を見開き、驚愕の表情で彼はシャイレンドラを見詰めた。
「な、ぜ……」
「デュラッツォは古参の重鎮だ。解らないはずがあるまい」
「糾弾しなかったのは……」
「唐突に『お前は誰だ』と言うわけにもいかないさ。
かといって、何かしらの証拠があるわけでもない。
さすがに、何者かはずっと解らないままだったが……」
そう語るシャイレンドラの瞳は哀しげである。
今は亡きデュラッツォへの哀悼か、共に過ごした部下への哀れみか。
「デュラッツォを失ったのは惜しいが、お前もよく尽くしてくれた」
アルヴェラの隣に進み出て、シャイレンドラは苦笑する。
「お前がどういう理由で居続けたのかは解らないが。
デュラッツォと変わらぬほど頼りにしていたよ」
「ちなみに、何で気付いたの?」
「デュラッツォは文官だった。
その仕事については非の打ち所がなかったんだが……。
あれは剣が不得手でね。戦う時は術のみだった。
それがいつからか、ダガーラすら剣で負かすようになった」
確かに、ラディスと戦った際の強さを思い出しても、かなりのものだった。
アスターが元騎士なのでその強さは納得できるが、デュラッツォは術専門ということで、騎士のような強さは違和感しかない。
「同時期から人が変わったようだという報告もあった。
確信はなかったが、何かがあったというのは薄々……な」
「だって」
シャイレンドラの言葉を受け、アルヴェラは彼に視線を戻す。
「初めは警戒もしたが、おかしな動きをする様子はなかった。
申し付けた仕事は速く、落ち度もなかったからな。
別件で問い詰めるのも難しかった。
そのうち、自然と気にしなくなったよ」
寛大といえば聞こえは良いが、城の中枢を担う者だというのに少々甘い対応にも見えた。
「ティフリスの件で、デュラッツォにも転機が訪れた。
多少無理はあったものの、あの頃はそれで納得していた」
彼は気まずそうに再び顔を背けた。
「お前の処断については話をつけてきた。
私と他の邪王の監視はしばらく必要だが……。
連れ帰る了承は得られた。
ゼーランディアとしても、急に参謀の席が空くと困る」
「私は、戻るつもりなど……」
「戻って来てもらわねば困るよ。仕事が山積みなんだ」
戻ったところで、天界へ連行されるだろうと、彼は視線を落としたままシャイレンドラを見ようとしない。
「あ、天界の方も今すぐどうこうとかはないよ。
アモイにも確認したから」
アルヴェラが笑いながら付け足すと、彼は逃げ場がない事にようやく気付いた。
「さて、キミの考えなんて誰も汲まないみたいだよ?」
「何なのだ、お前は……」
「何だと言われても。
その場その場で私が思う最善を尽くしてるだけ」
だから、とアルヴェラは手を差し伸べた。
「帰ろう。
ゼーランディアが、キミの新しい生きる場所なんでしょう?」
そこで生きたいと思った。
もう誰にも居場所を奪われたくなかった。
利用し、後に悪役として罵られようとも。
自分の居場所を守りたかった。
そうではないかと推測し、アルヴェラは彼を見詰める。
勿論、その考えは矛盾を孕んでいるので、実際には違うのだろう。
結局は彼の中にしか本心はないのだから。
「どうして……」
失うことに疲れた。
傷付くことに疲れた。
だが、生を諦められない。
そんな自分が情けなくて、彼は俯いた。
「キミの側には、いつもキミを想ってくれる人が居た。
もちろん、今も居る。キミはね、幸せ者なんだよ」
顔を上げ、少し驚いた様子で彼はアルヴェラを見る。
「誰かから想われ、誰かを想い。
間違っても手を差し伸べる人が必ず現れる。
そんな人、そうそう居ないと思うけど?」
側にお人好しがいる限り、解放などされない。
アルヴェラは少し意地悪な言い方をしつつ、苦笑した。
「今回の人は特に諦めが悪いの。
脈がないと思わせられなきゃ、この手は引っ込めない」
「お前がそうだと?……気持ちの悪いことを言う」
ふん、と鼻を鳴らし、彼はようやく立ち上がった。
「俺は俺の為にしか生きない。
そんな奴をまた放つのか? 愚かすぎる」
「何度も言うけど、私は自分が納得したいから動いてるの。
究極の自己満足だと思ってる」
堂々と言い放つアルヴェラに、今度は彼の方が苦笑する。
「誰かの為? 正義の為? そんなのはただの言い訳。
それを成せば自分にとっていいことがあるからやる。
達成感。いいことしたなとか。
自分がそういう思いをしたいから動くんじゃないかな。
誰かに託されたから?それも遂行したいという己の感情でしょう?」
美談で終わらせれば良いものを、アルヴェラは自分の言葉や行動を飾ろうとしない。
「お前は……。託されたのではないのか」
ティフリスに、と彼は呆れた様子で呟く。
「うん。託された。でも、それを成すのも私の感情優先だし。
最後は自己に完結するんだよ」
自己満足を推すアルヴェラの言葉に、自分は動かされようとしている。
これが、光の力なのかと、彼は目を閉じた。
「帰るぞ。……デュラッツォ」
「俺はまだ『お前』を負かしてないからな。
勝手にくたばるんじゃねぇよ」
この場所に、居ても良いのだと思うと胸が締め付けられる。
全てを諦めようとした自分を、それでも必要としてくれる人が居る。
彼は目を開け、もう一度苦笑した。
「私は……何者なのでしょうか」
「デュラッツォだ」
シャイレンドラとダガーラは即答する。
彼が驚くほどの速さで。
「何者であろうと構わない。
が、お前は、デュラッツォだ」
迷いのない答えに、彼は目を瞬かせる。
これまで「デュラッツォ」だったのだから、これからも「デュラッツォ」なのだと、シャイレンドラは笑った。
それを受け、彼は今度こそしっかりと前を見据える。
「解りました。私はデュラッツォ。
シャイレンドラ四天王が筆頭。
これからも、シャイレンドラ様に仕えさせて頂きます」
迷いなくそう答えると、「デュラッツォ」はアルヴェラと向き合う。
「これで、お前は満足か?」
「概ね」
「まだ何かあるのか」
「この惨めに差し出されたままの手の行方?」
引っ込めるわけにもいかず、むしろ恥ずかしくなってきたアルヴェラは、不満そうに口を尖らせた。
すると、デュラッツォは苦笑しながらアルヴェラの手を取り、しっかりと握った。
「ついでに言っておこう。
光の使徒とやらは、大いなる闇に狙われているらしい。
お前がそうであるのなら、せいぜい気を付けることだ」
「ご忠告どうも。
否定し難い状態で否定したい情報を貰えて嬉しいよ」
目を細めながら淡々と返すアルヴェラに、デュラッツォは笑みを浮かべる。
それから溜息をひとつ吐き、ようやく終わったと安堵した。
ガァラと四天王の残り二人の行方は解らないままだが、今はこれで納得するしかない。
大いなる闇という気になる単語を頭の隅に追いやりながら、アルヴェラは牢の鍵を開けた。
アル「あれ、これじゃない……? これもこれも違う……」
デュ「出す気があるのかないのかはっきりしろ」
アル「こんなに鍵があったら解らないよ!」
シャ「解らないからと鍵束のまま持って来たのが仇となったな」
ダガ「いいから全部試していけよ、めんどくせぇ」
アル「急かさないでよ!」
結局全部の鍵を試すことになったのは四人しか知らない話。




