第四十九話 〜繋がるピース〜
選択というものは、正しい情報と判断のもとで行われなければ、取り返しのつかないことになる。
どちらも欠けている状態で選ばなければならないのなら。
そのシワ寄せを誰かが被ることになるだろう。
今回は自分が受けるべきだと「元凶」は考えた。
水鏡でその様子を見ていたアルヴェラは、苦渋の決断をした友の姿に罪悪を感じていた。
死んでいないと判っていて、敢えて死体として話を進めるあたりは悪意しかなかったが。
「死んでないってだけじゃなく、どうなってるかも解ってたな」
「うん、そうみたい」
難しい顔で水鏡と睨めっこしているアルヴェラに、美女天使が興味を引かれて覗き込む。
「……あら?この顔、確か特例者一覧にあった気がするわ」
「え?」
「おいおい、ホントか?金髪天使」
「あなたはいつまで人を髪の色で識別するのかしら?」
美女は笑顔のまま、アモイの頭を鷲掴みにする。
とはいえ、アルヴェラも名を尋ねていないので解らない。
この場に長居をするとも思っていなかったのだ。
「私の名前は『ミシェイラ』よ。覚えたかしら?坊や」
「あ、あの、ミシェイラ様、この方はどういった特例……なのですか?」
天界での「特例」など、下界ではかなり異質な存在であると言えるだろう。
「確か……死んだ記録はないのに、魂がどこにもない……だったかしら」
既に意味が解らない。
肉体と精神、そして魂についてはディヴァースにおける知識をかじっているが、それでも特例すぎる。
「えーと……つまり、この人はどういう状態なのでしょうか?」
「端的に言うと『中身が別』の可能性があるのよ」
「なかみ……」
そういえば、デュラッツォが勘付いた時にも「中身」と口にしていた。
あれは仕組みを理解していなければ出て来ない台詞である。
ある日を境に変わってしまった邪王──。
自分が示したある可能性──。
デュラッツォの特異な事情──。
それらが全て繋がった気がした。
だが、何故、人間界に侵攻しようとしているのか。
さすがにその根底までは解らない。
「こちらからは判断できないのですか?」
「私達は精神体や魂を透かして見ることは出来ないわ。
貴女のように『外に出ている』わけではないし」
正に、神のみぞ知る、ということらしい。
確かな証拠が無い為、全て可能性の話ではあるが、多少なりとも裏が見えて来たのは収穫である。
「どうするんだ?アル」
「デュラッツォは私の肉体を『活用』しようとしてる。
何をするのかは気になるところだけど……」
「肉体については、死後に何をしようと業にはならないのよねぇ」
倫理的にどうかという問題はあるが、天界では罰せられるようなことではないらしい。
「魂を閉じ込めたり、故意に操作するのは重罪なのだけれど」
「……ちなみに、あれは?」
「……超ド級の重罪ね」
水鏡の向こうに見えた景色を示したアルヴェラに、ミシェイラは呆れた様子で答えた。
そこには、特殊なガラス瓶に入った「何か」を持つデュラッツォの姿が映っている。
そして、その中身をアルヴェラの肉体に近付けているのだから笑えない。
「あんな、虫のように人間の魂を捕まえておくなんて……!」
「あ、人間なんですね。そして魂なんだ……」
瓶の中身は只人のアルヴェラには見えない。
「しかもあれ、私達が長年探してた王女の魂じゃない!」
「見つかって良かったですね?」
「良くないわよ。これじゃ……回収できないわ」
どうやら、下界に干渉することになる為、今すぐに動くことは出来ないらしい。
「おい、アル!まずいぞ!
肉体が乗っ取られちまう!」
「そうね。早く戻った方がいいわ」
精神が抜けたアルヴェラの肉体は、ただの器と成り果てていた。
まさか、別の魂を持っていて、それを意図的に入れられるなど想定していなかったアモイは、珍しく動揺している。
「そうだね。戻ろう」
考えていることはあるが、乗っ取られるのはさすがにまずい。
ミシェイラとはその場で別れ、アルヴェラとアモイは瞬時にゼーランディア城に転移する。
アルヴェラが肉体に戻り──
アモイがデュラッツォへ妨害の魔術を放ち──
デュラッツォがアルヴェラの肉体に別の魂を入れる。
それらは一瞬の出来事だったが、眩い光が広がり、状況を不明瞭にした。
デュラッツォは思っていた結果と違ったことに苦い表情を浮かべている。
「悪いが、それ以上はやらせねぇよ」
「貴様……」
初めて見るアモイの姿に、デュラッツォは以前の侵入者を思い出した。
あれと感覚が一致する。
「中身が違うなら、俺の気配も感じやすいよな。
ったく、厄介な野郎だぜ」
「邪魔立てするのならば消えてもらうまでだ」
「悪役らしい台詞をどうも」
デュラッツォとやりとりしつつ、アモイは背後のアルヴェラを窺う。
いまだに起き上がらない主に、少しだけ焦りを覚えた。
肉体に戻ったはずのアルヴェラは、気付くと真っ暗な空間に立っていた。
辺りには何もなく、ただ暗闇だけが広がっている。
何が起きたのかを把握する為、ひとまず体が動くかを試す。
手を握ったり、飛び跳ねてみたり、腰を捻ってみたり──。
その過程で解ったことは、感覚がないということ。
精神体でいる間と変わらない状態だった。
まだ肉体に戻っていないのか、もしくは──。
考えていると、背後から首を掴まれ、そのまま前のめりに倒された。
感覚がないので倒れても痛みなどはない。
ただ、不思議なことに掴まれた感覚だけはある。
「肉体……生きた、肉体……」
無機質な声が響いた。
声だけはとても澄んでいて、綺麗だなと思う。
「邪魔……あなた、邪魔……」
「……邪魔と言われても、私の体だもの」
どうやら、肉体には戻ったが、件の別の魂も入れられてしまったらしい。
そうすると、ここは精神世界とでも言えば良いだろうか。
状況を分析していたアルヴェラは、掴まれた首の辺りに熱を感じたことで現実に引き戻される。
「消えて……」
嫌な予感がしたので、アルヴェラは掴まれている箇所に魔力を集中させた。
明確なイメージの元、反射効果を持つ結界を部分的に展開させる。
バチっと何かを弾いた音が響き、首を掴まれていた感覚が消えると、アルヴェラはすぐに体を起こした。
ここが精神世界だからか、アルヴェラにもその姿が見えた。
茶色の髪は腰まで伸び──。
前髪は目にかからない長さに切り揃えられている。
瞳も茶色だが、どこか濁りを含んでいた。
背格好はアルヴェラと同じくらいだが、あらゆる面において相手の方がスリムである。
優っているのは胸の大きさくらいだろうか。
王女というだけあり、何をしていなくとも優雅な佇まいである。
立ち上がったアルヴェラに、相手はゆっくりと右手を肩の高さ程まで上げ、掌を向けた。
「私が生きる為……あなたは消えて」
「私には、やらなければいけないことがあるのよ!」
アルヴェラも相手に掌を向けると、光の矢を幾つも放つ。
相手は氷の矢を放ってきたが、ひとつひとつの威力が高かった。
光の矢を砕いた上で、アルヴェラ自身にも向かってくる程には。
それらを結界で防ぎ、アルヴェラは苦い表情を浮かべる。
一度実戦を経験したとはいえ、魔術の練度は相手の方が上だとはっきり判る。
まともにやり合えば負けるのは明らかだった。
だが、アルヴェラは戦おうとは思っておらず、ただ話を聞きたいと、呑気に思っていた。
「私はアルヴェラ。キミは?」
唐突に名乗り、また相手の名を尋ねる。
相手は不機嫌そうに顔を歪めているが、アルヴェラは続ける。
「キミは王女だと聞いたけど、どうしてこんなところに?」
「王……女……」
ハッと何かに気付いたように、相手は目を見開いた。
「キミは、どうして他人の肉体を欲するのかな?」
「生きる、ため……」
「どうして、生きたいのかな?」
「……どう、して?」
本能のままに肉体を奪おうとしていた相手は、考えるという過程を取り戻したようだ。
「どうして、生きたい……?」
「この肉体を捧げることはできない。
でも、キミの手助けはできるかもしれない」
相手は視線を落とし、考えているように見える。
「キミは、誰?」
顔を上げた彼女は、驚愕の表情を浮かべていたが、やがてそれは威厳ある「王女」の顔へと変化した。
「……わたくしは、イスファハーン王国第一王女。
ティフリス・ゾーズリック=イスファハーン」
「お初にお目にかかります、ティフリス王女」
名乗りを上げた王女──ティフリスに、アルヴェラは自分なりの敬礼で応えた。
「改めてお聞かせ下さい。
王女は何故、生を望まれるのか」
アルヴェラが問うと、ティフリスは少しだけ視線を落とす。
「……仰々しい理由などありません。
わたくしはある理由で死に至りました。
何も成せず、若くして……。
それが……口惜しかったのです。
ただ……生きたかった。それだけです」
王女といえど、一人の人間である。
いや、王女だからこそ、制約の中で生きていたかもしれない。
しかも、若いうちに亡くなったのであれば、生への執着も頷けるというものだ。
「……それでは、これからどう致しましょうか」
「え?」
驚いたように顔を上げ、ティフリスはアルヴェラを見詰める。
余裕のある笑みは、何を考えているのか解らない。
「どう……とは?」
「今はこうして同じ肉体の中にいるわけですが。
残念ながらこのまま駄弁るわけには参りません」
「これは貴女の肉体なのでしょう?
わたくしを追い出せば終わりなのでは……?」
事実を、ティフリスは述べた。
「でも、生きたいのでしょう?」
「例えそう願おうとも、叶わぬ事です。
わたくしは、故人なのですから」
理性があり、思考でき、対話が可能になった。
だが、正直な気持ちは、先程までの方が強く伝わってきていた。
「……気の済むまで、ここに居て良いのですよ?」
「貴女は何がしたいのですか?」
少しだけ、苛ついた口調になったのが解る。
「私は、納得のいく道しか選びたくないのです」
「どうして、わたくしの動向が貴女に影響するのですか?」
このまま消える予定の自分のことなど気にする必要はない。
それは、あくまでティフリスの主観である。
「キミが、今回の事件の中心にいると確信しているから」
ティ「肩が凝るわね」
アル「すごい、完全に無視された」
ティ「瓶の中は窮屈だったのよ」
アル「大変でしたね」
ティ「外の事も解らないし」
アル「なるほど」
ティ「そんな私が中心なわけないわよ」
王女の現実逃避(ここだけ




