第二十一話 ~過去・崩壊~
身代金目的の誘拐──
それは両親の元へ脅迫の電話がかかる前に解決された。
一緒にいた少女が必死に奪い取った免許証が、犯人達の特定に繋がったのだ。
誘拐された少女を伴って溜まり場である廃墟に男達が戻ってくると、そこには警察が居り、脅迫の段階に至る前に、犯人達は全員逮捕された。
誘拐された少女は無傷、一緒にいた少女は重体、という夕方のニュースが流れる。
買い物帰りの奥様方が、こわいわねー、などと呑気に語らう。
街は、平和だった。
警察に保護された涼子は、自分が落ち着くと、すぐに未由斗について尋ねた。
金属製の棒で殴られ、血を流していたのだ。
自分を助けようと、敵うはずもない男達に何度も体当たりをしては蹴られ、殴られ、最後は蹲って動かなくなった。
彼女がどうなったのか、知らなければならない。
「面会は……無理だろうね。
頭を強く殴られて、意識不明の重体だから」
泣きながら懇願する涼子に押され、ようやく警察官が未由斗について教えてくれた。
「重……体……」
「勇敢な子だね。その子が免許証を取ってたから、すぐに動けた」
その時、涼子にも未由斗の無謀な行動の意味がようやく理解できた。
未由斗も、男達に敵うとは思っていなかったのだ。
敵わないなら、他の方法で助けられないか。
連れていかれるのを阻止できなくとも、助けるにはどうすれば良いか。
男達が何者かが解ればいい。
無事に警察に保護されたとしても、特徴を話すだけではすぐ捕まえられない。
それだけで、身元が解り、証拠能力のあるもの。
男の人は大抵、ズボンのポケットに免許証や財布を入れる。
その男達も例に漏れずズボンに免許証を入れていた。
後は、ブザーの音で駆けつけた人達が警察に連絡、警察は運ばれる際に未由斗の持つ不似合いな免許証を見付ける。
そして、涼子は監禁場所に着いたところで、助け出された。
「涼子!」
「おかあさん、おとうさん……!」
「ああ、よく無事で……」
両親と再会した涼子は、抱き締められながら泣きじゃくる。
それは、怖かったからだけではない。
「さみが……みゆとちゃんが!」
「ええ、聞いたわ」
警察から事情を聴き、両親は未由斗に何度も感謝の言葉を口にしていた。
娘と同じ歳で、殴られ、怖かっただろうに。
「どうしよう……。
みゆとちゃんが死んじゃったら……どうしよう…」
滅多なことを言うものではない。
そう窘める言葉も、掛けられなかった。
娘にとっては、他に替え難い無二の親友なのである。
「無事を……回復を祈りましょう」
「私が……映画なんて見に行かなかったら……」
自分のせいだと、涼子はその後もしばらく泣き続け、体力の限界を迎えると眠ってしまった。
意識が戻る。
瞼が重くて開けられない。
耳には何かの機械音が定期的に聞こえてくる。
何があったのかと、ぼんやりする頭で考えた。
さみ!──
あんなに重かった瞼が、一瞬で押し上げられる。
視界の端にあった、心電図が乱れた。
病室だとすぐに解ると、未由斗は体を起こそうとする。
腕には点滴の他に何かのコードが繋がっており、口には呼吸器が宛がわれていた。
それらが自分のためであることは解ったが、今はそれどころではない。
涼子は、無事なのか。
最後の最後で男から取ったはずの免許証はもう手元にはない。
状況が知りたい。涼子に会いたい。
動こうとしたことで、何かのコードが外れたらしく、警告音が鳴ってしまった。
すぐに看護師と医師が駆けつけ、慌てた様子で対処し始める。
「気が付いたんだね」
「今……何日ですか?」
外の景色が見えないが、病院の中がまだ明るいので、日中だろう。
頭を殴られて気を失い、目が覚めたのであれば、翌日以降のはずだと、未由斗は敢えてそう尋ねた。
「君はね、一週間、意識がなかったんだよ」
「いっしゅうかん……」
もし、涼子が助かっていなければ、と思うと絶望する。
「どこか、痛みや違和感はあるかな?」
「……いいえ」
むしろ、不思議なくらい痛みはない。
痛み止のおかげかもしれないが、肉体の痛みがない分、心の痛みが酷くなる。
他人の声を聞いたからか、幾分かは落ち着いてきた。
その為、ようやく未由斗は自分が集中治療室にいることを知る。
部厚い壁にある窓の向こうに、母親の姿が見えた。
泣きながら携帯電話で誰かと話している。
病院で携帯電話を使うなよと言いたくなるのは、元気な証拠かもしれない。
家族には心配をかけたことだろう。
誘拐事件に巻き込まれて重体だなんて、そうそうあるシチュエーションではない。
「頭を強く殴られていたからね。
何か、違和感があったらすぐに言ってくれるかな。
症状によって、検査する内容も違うから」
「解りました」
医師は少し安心したように笑った。
受け答えが円滑なのは、言語障害もなく、今のところは後遺症もないということだ。
今すぐここを出ていきたい願望はあるが、病院にも家族にも迷惑を掛けることになるので、諦めるしかない。
しばらくすると、母親が室内に入ってきた。
「未由斗……!」
「おかあ……さん」
「良かった……未由斗……本当に……」
どうやら、目覚めないまま植物状態になることも覚悟するよう言われていたらしい。
目が覚めて良かった。本当に。
本人すらそう思うのだから、周りの心情は察するに余りある。
「もう、あんな子と一緒にいちゃダメよ」
何を、と反論しようとして、今の状況を見る。
複数の男を相手に何も出来ず、ボロボロになって身元を持ち帰るしかできない自分──。
あまつさえ、それで周りに迷惑と心配をばら蒔いている。
大切な友を、その手で護れなかった。
間接的には助けられたかもしれないが、また同じことがあったとして、うまく行くとは限らない。
どうすべきかは、一目瞭然だった。
未由斗は、母親の言葉に、静かに頷いた。
離れなければ、早急に。
自分といなければ、不用意に一人で出掛けるような事もなくなる。
今回の件で、涼子の両親も更に過保護になり、護衛なども付けるかもしれない。
それで、涼子が護られるのならば、良い。
未由斗は、泣いた。
母親には心配をかけられないので、出て行った後に、人知れず、声を圧し殺して。
自分に力があれば。
何者にも負けない力があれば。
今の自分では、涼子の傍にいられない。
彼女を護る力が欲しい。
側に居ても、誰からも認められるような、そんな力を持った存在になりたい。
先程まで何ともなかったこめかみの辺りが、痛む。
自分の無力さを責めるように、傷口がずくずくと痛い。
未由斗と涼子の事件は、学校中の噂となった。
夏休みの間なのが、幸いだった。
好奇心に駆られ、ずけずけと二人の関係に土足で入ろうとするものもいたが、メールやSNSだけのやり取りなので無視をすれば済む。
学校が始まったらどうなるか、考えるだけで気分が滅入った。
あれから一週間が過ぎようとしている。
未由斗が目覚めたという話は聞かない。
一度だけ、両親と共に未由斗の家にお礼と謝罪をしに行ったが、体裁だけ迎えられ、すぐに追い出されてしまった。
娘が意識不明の重体になり、その元凶に対してだと思えば不思議はない。
ただ、一つだけ、約束を取り付けた。
それは未由斗が目覚めたら、お見舞いに行きたいということ。
両親も直にお礼と謝罪がしたいと言っていたので、それだけ何とか許してもらった。
だが、連絡は来ない。
興奮した様子の未由斗の両親が言っていた。
このまま目覚めない可能性もあるのだと。
だから、その日の夜に電話が来て、未由斗が目覚めたと聞いたときは、神様に感謝したほどだった。
容態も安定していて、二・三日で普通部屋に移るらしい。
もう少しで会える。
涼子は会えるまでの間、どう謝ろうか、何を話そうか、それだけを考えていた。
数日後、普通部屋に移った未由斗は、食事も摂れるようになり、しばらく寝たきりだった為、リハビリも行っていた。
今のところ、頭部へのダメージによる後遺症もなく、順調に回復しているとのことだ。
丈夫だけが取り柄だと思っていた未由斗は、自分のことなのに大層驚く。
目覚めてから、色々あった。
母から連絡を受けた姉が半狂乱でICUに入ってきて騒ぎになったとか。
警察の人に事情聴取を受けたとか。
日常にはなかったことが、一度に押し寄せてきて、少し疲れた。
誘拐犯は素直に罪を認めて懲役を受けることになった。
罪状は暴行と誘拐。
未成年もいるので、大した期間ではないかもしれない。
余計なことは考えないようにしようと、未由斗は今日のリハビリへと向かう。
リハビリ科は別棟で、一階の渡り廊下でしか行き来できない為、受付の近くを通らねばならない。
目覚めた直後は歩くのも辛かったが、今は一人でリハビリ科まで行けるくらいは回復した。
頭の怪我なので、医師も神経質になっているが、本人は至って元気である。
とはいえ、後から症状が出る場合もあるので、異常を感じたらすぐに診察を受けるよう言われた。
入院生活だけで夏休みが終わりそうだと、未由斗は溜息をつく。
「さみ……?」
未由斗は瞠目する。
無事だと聞いてから、初めてその姿を見た。
頭に包帯を巻き、リハビリ室までの移動にも息を切らせるほど体力が落ちている自分とは違い、涼子は五体満足で痣の一つもない。
あの誘拐犯どもは涼子には手を出さなかったらしい。
大事な商品とでも思っていたのだろうか。
違う、そういう話ではない。
「さみ!」
面会手続き中の涼子の両親は何か言いたげだが、それより先に涼子は駆けて来た。
「ごめんなさい……。私のせいで酷い怪我を……」
「涼ちゃんのせいじゃないよ」
「……痛かったよね、怖かったよね。ごめん……ごめんなさい……」
「いや、だから……」
何となくこうなることは解っていた。
「涼ちゃんが無事なら、それでいいよ」
「さみ……」
瞳に涙をいっぱいに溜める涼子に、未由斗は切なげに笑い、そっと頭を撫でる。
「未由斗ちゃん……」
「おばさん……おじさん……」
「ありがとう、娘を助けてくれて」
お礼の言葉に、未由斗は首を振る。
「私がもっとちゃんと護れていれば、連れて行かれずに済んだんです」
「いいえ。未由斗ちゃんがいなかったらどうなっていたことか……」
涼子の母親の言葉にも、未由斗はふるふると首を振り続けた。
「私は、涼ちゃんと……娘さんと一緒にいる資格がない……」
「……さみ?何、言ってるの?」
「もう、一緒にはいられない」
何故、と問うことは出来ない。
それは、聞かずとも解る。
こんな目に遭えば、誰だって嫌になるだろう。
だが、未由斗に限ってそんなことはないと、涼子は思っていた。
だからこそ、何故と問いたかった。
「私の事、嫌いになったの……?」
「……好き嫌いだけで、何とかならないこともあるよ」
諭すように、未由斗は涼子の肩に手を置く。
「……今まで良くしていただき、ありがとうございました」
「未由斗ちゃん……考えは、変わらない?」
「はい。……目覚めてからきちんと考えて、決めたんです」
未由斗は他の子達とは違う。
涼子が誘拐されそうになり、それに巻き込まれたくらいで離れていくような子ではない。
そして、それを肯定するかのように、未由斗は「考えて決めた」と言った。
それであれば、これ以上は何も言えない。
「私の両親が、心無い事を言ったかと思います。
子を持つ親として、どうしても抑えきれなかったのでしょう。
不快な思いをさせてすみませんでした」
本当に「出来た子」だと、涼子の母親は苦笑する。
「これからリハビリに行かなければならないので、すみませんが、失礼します」
「そうか……。では、これは病室に届けて行こう。
皆さんで食べてくれ」
「すみません、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げ、未由斗はリハビリへと向かう。
涼子は何が起きたのか解らないまま、呆然と未由斗の背中を見詰めていた。
姉「この子が例の……」
涼「?あ、あの……」
姉「あ、どうも。未由斗の姉です」
涼「!みゆとちゃんの!」
姉「元凶と可愛さでプラマイゼロかな」
涼「え?」
姉はだいぶ落ち着いてきたもよう(平常運転)




