第二十話 ~過去・事件~
小学校を卒業したあと、未由斗と涼子は共に公立の中学校へと入学する。
金持ちの令嬢である涼子ならば、私立中学へと行くと思っていた周りの人間は、これに大層驚いた。
涼子にしてみれば、私立校など息が詰まるだけだった。
成績争いや身分差による醜い争いなど御免である。
何より、未由斗と離れ離れになることが、一番嫌だった。
打算のない、友と呼べる存在はほとんどいなかったが、その中でも未由斗は特別だった。
未由斗はどんな「力」にも屈しない。
金だろうと、権力だろうと、暴力だろうと。
彼女の行動原理に、それらは影響しなかった。
未由斗にあるのは、自分がそれを受け入れるかどうかだけだった。
受け入れられないことは、何をされても受け入れず、許容できることであれば、対価を求めることもない。
それは時に頑固だとか、意固地だとか言われるが、涼子はそんな芯の揺るがない未由斗が大好きだった。
両親に未由斗の事を話した時は、本当にそんな子供がいるのかと疑われた。
一度だけでいいから家に来て欲しいと言って未由斗を招き、両親に紹介すると、子供らしからぬ対応に逆に驚かれた。
涼子の両親は半信半疑ながらも、愛娘のとても嬉しそうな笑顔を見て、納得したようだ。
互いの家に行くことは、基本的になかった。
あらぬ噂や波風が立つことを恐れていたのだ。
僅かな時間だけでも、二人で過ごせれば、それだけで良かった。
だがらこそ、その事件は、深く、二人の心に傷を残すことになった。
それは、涼子の一言から始まった。
「映画?」
「そう!夏休みだし、二人で行こうよ」
中学に入って初めての夏休みの初日に、二人は図書館に来ていた。
宿題を片付ける名目での逢瀬である。
「じゃあ、映画館までは送迎してもらって──」
「やだ!」
「え……」
珍しく、涼子がわがままを言い出す。
休みの日にどこかへ出掛ける際には、涼子は必ず送迎車で目的地に行っていた。
幼稚園時代に誘拐されかけてから、涼子の両親が課してきた制約である。
だが、涼子は常々思っていた。
駅で待ち合わせてから、目的地に話をしながら向かう。
そんな他愛のない「普通の学生」のように過ごしたい。
金持ちの令嬢ならではのそんな悩みを持っていた。
「お父さんとお母さんにはもう許可をもらったの!」
「でも──」
「ね?さみ、おねがい……」
この頃、未由斗は中学で出来た友人に「さみ」という渾名で呼ばれていた。
そう呼んでくれと言った覚えはなく、勝手に付けられたものだ。
渾名など付けられたことのない未由斗は、複雑ながらも受け入れた。
それが自分を呼ぶ名だと解っていれば、不快な名称でない限り拒絶する理由もない。
そして、それを涼子に話したら、涼子もそう呼びたいと言い出した。
何が楽しいのかは解らないが、そうしたいというのなら止めはしない。
名前がどう、というのは今は問題ではなかった。
映画に行くにあたり、待ち合わせて一般の交通機関を使いたいというわがままの件である。
渋っていた未由斗だが、涼子に「おねがい」されてしまい、反対できなくなっていた。
金の力で何とかする事をせず、最終手段が拝み倒しな涼子が、とても可愛いと未由斗は思っている。
そして、この「おねがい」を未由斗は断れなかった。
当日、涼子と並んでも浮かない程度にはめかし込んで、未由斗は駅前で彼女を待っていた。
今日はいつもと違うので、少し緊張している。
帰りの送迎車に乗るまでの間、無防備な涼子が危険な目に遭わないよう、護らなければ。
誰からも依頼はされていないが、未由斗はそう決意していた。
程なくして涼子が黒塗りの外車で現れる。
これを初めて見た時は、未由斗も驚いた。
こういう光景は自分とは関係のない世界のものだと思っていたのだ。
まさか、それから友人が出てくるなど、思ってもみなかったという。
涼子は運転手に礼を言うと、待ちきれない様子で駆けてくる。
薄桃色のワンピースとボレロに、白い手提げバッグ。
いつもはフリルの多い服を好んでいるが、今日は落ち着いたデザインのものを着ている。
「さみ!」
どんな地味な服装でも、何故か一際目立つのが涼子である。
これはもう生まれ持ったものか、金持ちの遺伝子なのか。
だが、未由斗には関係なかった。
涼子は涼子なのだ。
愛らしい笑顔で駆けてくる彼女の側に居られるなら、彼女が何者だろうと構わない。
自然と笑顔になっていることも知らず、未由斗はそんな事を考えていた。
涼子も涼子で、自分を笑顔で迎えてくれる未由斗に喜びもひとしおである。
涼子から見る未由斗は、ひたすら「カッコイイ」だった。
まずは、運動が得意で、体育の時などは失敗したのを見たことがない。
ただし、目立つのが苦手なので、球技などチームスポーツは控えめなプレイしかしなかった。
別々のクラスだが、体育は2クラス合同の為、涼子は未由斗の姿を見ることが出来る。
一度だけ無理を言って積極的なプレイをしてもらった時があるのだが、チーム分けして行った試合で完勝したのを覚えている。
部活は吹奏楽部の自分に対して、バドミントン部に入った。
運動も人との付き合いも最小限にしたい彼女が部活に入った時は驚いたほどだ。
どうやら、親に運動部に入るよう言われたらしい。
家で動かないから太ることを懸念されたと話してくれた。
バスケットやバレーにしなかったのは、より人が少なそうなものを選んだのだという。
本当は卓球部が良かったらしいが、現在は存在しないためバドミントンで妥協したらしい。
それでも、予想外に入部者がいて困惑していると話した未由斗を思い出す。
ちなみに、部活が休みの日にバドミントン部を覗いた時は、ラケットを手にコートを駆ける未由斗が眩しかったと涼子は語る。
涼子と違って未由斗は平凡な少女だった。
とりたてて可愛いとか綺麗ということもなく、他の人から見ても特別な人間ではなかった。
同年代の他の女子よりやや胸が大きいくらいしか特徴がない。
なお、涼子の胸も未由斗ほどではないが大きめではある。
未由斗は胸が大きいのも煩わしいと言い、出来るだけ胸の大きさが解らない服を好んだ。
私服ではほぼズボンで動きやすいものばかり着ている。
ボーイッシュな服が似合うのでこれはこれで良いのだが、涼子は常々気になっていることがあった。
「さみって、好きな人とかいないの?」
改札を抜けて電車を待つ間に、涼子が不思議そうに尋ねる。
唐突に何を、と未由斗の表情が物語っていた。
「小学校じゃ、そういう話、なかったから。そういえばって」
「……私は、そういうの、いいかな」
「どうして?」
「……別れが、辛いから」
涼子は少し考えてから、不機嫌そうな表情を見せる。
「付き合ってもないのに、別れる時のこと考えるの?」
「ちょっと違うけど……似たようなものかな」
どうしてだろうと首を傾げれば、未由斗は少し困った様子で笑った。
「自分ではどうにもならないところで、
もう会えないってなったら、とても悲しくて……辛いんだ」
「どうにもならないところ?」
「手っ取り早いところでいうと、親の都合で転校・引っ越しとか」
そこまで聞いて、涼子は「あっ」と口許を手で覆う。
恐らく、未由斗は小学校で好きな人がいたが、転校でその人とも会えなくなったのだろう。
手紙などで関係を続かせることは出来るが、会うことは難しい。
「ご、ごめん……なさい」
「謝ることないよ。私の考え方は卑屈だし。
結局、その人とは一度もまともに話せなかったから……」
住所も知らず、まともに話したこともないのでは手紙も無理な話だ。
今はスマートフォンですぐに繋がれるとも言われるが、まだ持たせてもらっていない未由斗には無理である。
なお、涼子は色々な事情から既にスマートフォンを持っていた。
「でも、それで好きな人も作らないって……寂しくない?」
「私は今でも十分幸せだから。それに……」
じっと涼子を見詰め、未由斗は微笑んだ。
「涼ちゃんとの、時間が潰されるのは嫌だ」
「さみ……!」
胸の辺りがキュンとなるのは何故だろう。
涼子は、すごく幸せで、満ち足りた気分だった。
二人で映画を見て、食事して、途中でウインドウショッピングなんかもして。
駅と直結した商業施設からは出ていないが、満足できる過ごし方だった。
「お手洗い行って来るね」
「うん」
行って来る、と伝えたものの、未由斗も付いていくのであまり意味はない。
未由斗の方は用を足さないので、化粧室の前で待っていた。
涼子は用を足し終え、手を洗う。
鏡で髪型をチェックしたところで、自然と笑顔になった。
(楽しいな)
こんな時間がずっと続けばいいのに。
そう思いながら化粧室を出た。
ゴッ!
鈍い音の後に、ドサッという何かが倒れたような音が続く。
夢のような時間は、呆気なく終わった。
しかも、最低最悪の形で。
「さ──んむ!?」
「おーっと、大声出されちゃかなわねぇからな」
複数の男が、化粧室の前にいた。
年齢層はバラバラだが、その中にどこかで見た顔がある。
未由斗と涼子が初めて会った時に、涼子を脅していた上級生である。
あの後、涼子と未由斗の訴えで転校を余儀なくされたところまでしか涼子は知らない。
復讐を考え、機を窺っていたなどとは思いも寄らなかった。
「こっちはどうする?」
「適当に痛め付けて捨てておけよ」
声が、出ない。
涼子も、殴られた未由斗も、どちらも全く声を出せない状況だった。
未由斗は、男の一人が隠し持っていた、短めの金属製の棒で殴られたらしい。
右側頭部、こめかみのあたりを殴られ、未由斗はぐったりしていた。
頬を血が流れていく。
涼子はそれを蒼白な表情で見ていた。
「さっさと行こうぜ。人が来る」
「ああ。これで、しばらく遊ぶ金には困らねぇな!」
ピクリと未由斗の手が動いた。
だが、ちょうど他の男が腹を殴り付けたので誰も気付かない。
もう一度と、男が足を蹴り出すも、それは寸でのところで止められた。
未由斗が、顔を上げる。
右目に血が入ったのか、片目だけ紅く見えた。
「何だ、この──」
パチン、というどこかで聞いたことのある音の後、けたたましい音が鳴り響く。
足を止めた未由斗の手には紐が、もう片方の手には防犯ブザーが握られていた。
「過去から何も学ばない、愚かな人達」
「く、くそ!行くぞ!そいつはいい!どうせ何もできねぇんだ」
涼子が連れていかれそうになり、未由斗は男達に向かっていく。
中学一年の女子が、年上の男複数人に勝てるはずはない。
だが、殴られ、蹴られながらも、未由斗は男達の腰の辺りに執拗に飛び掛かる。
「この……いい加減にしろよ!」
再び、男が金属製の棒を振り上げる。
同時に、未由斗の手に目的のものが触れた。
殴られて離れた未由斗は、両手を胸の前で固く握り、体を丸めた。
防犯ブザーの音で人が来る前に退散した男達は、慌てていて気付かなかった。
未由斗が何を狙っていて、何をしたかったのか。
倒れて血を流す未由斗の手には、しっかりと男の一人の免許証が握られていた。
姉「お母さん!未由斗が怪我したって……!」
母「警察から連絡来て、今行こうと……」
姉「警察⁉︎」
母「意識不明の重体だ、って……」
姉「嘘⁉︎やだ!私が代わる!」
母「それは無理だし、親からしたら何も変わらないんだけど」
斎木家パニック。




