第十八話 ~目覚め~
どれくらいの間、眠る彼女を見詰めていただろうか。
カシュガルは彼女が眠る直前の言動を何度も思い起こしながら、ただ彼女を見詰め続ける自分に疑問を抱いていた。
自分は彼女を仲間と引き離し、挙げ句にここに閉じ込めている。
しかも、何が起きているのかさえ話さないのだから、感謝される謂れはない。
(変な女だ)
不思議なことに、カシュガルはそう思いながらも、彼女から目が離せなかった。
次は何をしでかすのか、まったく予想もつかない。
もしかしたら本当に、今の状況を変えることをするかもしれない。
人間界と邪界、双方とも納得できる形で収束する術を見出だすかもしれない。
たかが人間の少女一人に何を期待しているのかと、カシュガルは失笑した。
またしばらく、カシュガルは彼女を見詰める。
今は他にすることもない。
かなりの時間が過ぎた頃、カシュガルは徐に立ち上がる。
そっとベッドに腰掛け、彼女を近くで観察し始めた。
同時に、彼女が現れた時のことを思い出す。
もう一人の少女と共に現れたアルヴェラは、何が起きているのか解らない状況の中、臆せずカシュガルを真っ直ぐに睨み付けた。
もう一人は恐怖で震えていたというのに、アルヴェラはその彼女を護る騎士とも思わせるような堂々とした出で立ちだった。
そうかと思えば、彼女と引き離されたアルヴェラは、置き去りにされた子供のように儚げで、その差に随分と驚かされた。
傷付けるつもりも、どうにかするつもりもない。
ただ、大人しくしてくれていれば、それで良かった。
額に巻かれた包帯が目に入り、カシュガルは胸を痛める。
巻き込んだ以上、還る日まで無事でいさせたい。
身勝手な願いではあったが、カシュガルはそう考えていた。
が、不可抗力とはいえ、魔力切れで倒れ、怪我を負わせてしまった。
痛みはないと言っていたが、出血もしており、それなりに腫れてもいた。
遠慮して痛くないと言ったのかもしれない。
こちらがよく解らないまま礼を言うような人間である。
それから、再度彼女が現れた時の状況が脳裏に浮かぶ。
(それにしても、あのように真っ直ぐ睨んできた人間は久し振りだな)
こちらのことを知らないとはいえ、気丈な態度をとったアルヴェラに、彼は笑みを浮かべる。
(本当に……変な女だ)
無意識のうちに彼女に手を伸ばしていた。
指先で前髪を掬い取る。
少し持ち上げれば、するりと指先から溢れ落ちた。
躊躇いがちに頬に触れてみる。
温かく、柔らかい感触が伝わってきた。
そのまま首筋へと指を滑らせる。
とくんとくんと脈を打っているのを感じた。
『その手を放しやがれ!』
突然どこからともなく響いた声に顔を上げたカシュガルは、次の瞬間には強い風の力で吹き飛ばされた。
アルヴェラと引き離されるような形で、彼は壁に激突しそうになる。
それを寸でのところで留まった。
カシュガルを包むように黒色の魔力が揺らめいている。
体勢を立て直し、カシュガルはアルヴェラの方を確認した。
淡い翡翠色の光がアルヴェラの体の上辺りを浮遊している。
「……何だ?いや、何者だ?」
先程の声を思えば「それ」は明らかに意思があり、言葉を解すものだというのが判る。
カシュガルの言葉に反応するように、光は形を成した。
翡翠色の髪と同色の瞳、術士のような出で立ちの男が現れる。
「誰だ、貴様……」
声がするまで気配を感じなかったこともあり、カシュガルは男を警戒していた。
「こいつを『護るもの』さ」
「護るもの、だと?」
そんな馬鹿なと、カシュガルは男を睨み付ける。
アルヴェラは異世界から召喚され、この世界に彼女達以外の仲間はおろか、知り合いなどいるはずもない。
「こいつは……こつらは特別なんだ。
この世界で生きる為に、各々力を身に付け始めてる。
……開花させちゃいけねぇ種を、芽吹かせちまったんだよ」
「どういうことだ」
「説明してやる義理はねぇ。
主殿に危害を加えるやつなら、なおさらだろ」
主、そう男は言った。
護ると言っている対象、彼の行動、どちらもアルヴェラに関してのことだろう。
だが、彼女はずっとこの城にいて、カシュガルかラグーザと共にいた。
少しの間くらいであれば目を離したかもしれないが、その間に何か出来るほどの時間はなかったはずだ。
「主、だと……」
「理解はしなくていいぜ。無理だろうからな」
確かに、全く状況が掴めない。
互いに睨み合い、膠着状態に入ってしまった。
「ん……ん?」
どちらかが動けば一触即発の状況の中、眠り姫が目を覚ます。
ゆっくりと数回、瞬きをしてから、視界に誰もいないと解ると、顔を動かした。
すぐに二人の青年が目に飛び込んでくる。
「主殿のお目覚めだ。さぁ、主殿、命令を。
どこへでも、俺が連れて行ってやる」
「っ……貴様!」
睨み合っている二人に、アルヴェラは体を起こしながらため息をついた。
この精霊と契約した事は、はっきりと記憶に残っているが、目覚めて早々に問題を起こしているなどとはさすがに思わなかった。
「アモイ、下がって」
「……へ?」
「下がりなさい」
やや苛立った口調で、アルヴェラはアモイに対し出会って間もないとは思えない程の威圧的な態度を取った。
何故このような事態になったのかまでは解らないが、アルヴェラには想定外なのだ。
精霊と契約したことは、カシュガルやラグーザにすぐ伝えず様子を見ようか、目覚めた後に少し話をしてから決めるつもりだった。
それがどうだろう。
説明するよりも先に姿を見せてしまった挙句に、敵対行動をとっているではないか。
何かあったら呼べとは言われたが、呼んでもいないのに現れて問題を起こされるとは思いもよらなかった。
アモイは主からの高圧的な命令に、思わず後退する。
「すみません。説明させてください」
「主殿⁉︎こいつは主殿を殺そうとしたんだぜ⁉︎」
「何言ってるの?本当にそのつもりなら、いつだって出来たんだよ?」
自ら契約した精霊の言葉を迷いもせずはね退けるアルヴェラに、カシュガルは驚いた。
「彼は、私に大人しくしろとは言ったけれど、命を取るとまでは言わなかった。
事が済むまで、何もせずいるだけでいいと。
それを急に手の平返しする理由が出来たのなら、あるいはとは思うけど……」
「っ……でも、そいつは主殿の首に手を掛けたんだ!」
そこを引き合いに出されると、カシュガルは反論できなくなる。
確かに首に触れたのは事実だし、見ようによっては絞めようとしていると思われても仕方がない。
何故そのようなことをしたのかと問われでもしたら、カシュガルにも答えられそうになかった。
アルヴェラがカシュガルへと視線を移すと、彼は思わず目を逸らしてしまう。
「アモイの勘違いだよ。殺そうとしたわけじゃない。
首には触れたかもしれないけど、別の理由があったんだと思う」
諭すように、また努めて明るい声でアルヴェラはそう言い放った。
「アモイ、他のみんなが無事か、知りたいの。
……無事かどうかだけでいい。
どこにいるとかどういう状況かとかは要らない。
見て来てくれる?」
「俺がいない間に何かあったら……!」
「その時はちゃんと呼ぶから」
「……了解、マスター」
この場にいるとややこしくなるからという理由で、体良く追い払われたように感じたアモイは、渋々命令に従う。
元々、この依頼は起きたらすぐに言おうと思っていたことだったので、タイミングは悪かったものの、彼を追い払う為のものではなかった。
そうとは知らず、アモイは一度カシュガルを睨み付けると、光に包まれ消える。
ひとまずアモイが消えたので、これ以上面倒な状況になることは回避できた。
「えと……実は私もまだ完全には付いていけてないんですが。
何があったのか、説明しますね」
アルヴェラは覚えている限りの情報を、カシュガルに伝える。
こことは別の場所に呼び出され、時の精霊との契約を依頼されたこと──。
それを承諾し、時の精霊との終生契約を結んだこと──。
「他に適正者もおらず、事情があるのであればと。
すみません。相談をする暇もなかったので、独断で話を進めました」
「何故その話を俺にする」
「え?」
「あの精霊とどこへでも逃げれば良かっただけの話だ」
この場に残る意味はないだろうと、カシュガルは眉をひそめる。
理不尽を強いているカシュガルの元に残る道理はない。
「逃げは……何の解決にもならないですから」
問題を先送りにするだけだ、とアルヴェラは困った様子で首を傾げた。
「今回については逃げても問題ないだろう」
異世界の問題なのだから、アルヴェラ達が消えたところで、本来辿るはずだった未来へと向かうだけ。
つまり今回に関しては逃げても責任はなく、むしろその方が彼女達にとっては幸せだろう。
「他の皆はそうなんですけど……。
時の精霊と契約してしまった私は別ですね」
異世界との繋がりについての問題を解決しなければならない。
何をどうするのかまでは解らないが、時の精霊としての使命が、彼にはあるはずなのだ。
「ならば、これからどうするつもりだ」
「昨日の続きです。話をしましょう」
昨日は互いに何も話すことなく、体を休ませることを優先させた。
その続きからだと、アルヴェラはにっこりと笑い掛ける。
「お前は、何なんだ?」
「え?」
「一体、何がしたいんだ」
「……私は、みんなと無事に元の世界へ帰る。
その為に、今やるべきこと、やらなきゃいけないことを──」
そこまで淡々と話していたアルヴェラは、突然の強烈な頭痛に言葉を途切れさせた。
始めは怪我した箇所が病んでいるように感じられたが、それは徐々に頭部全体に広がっていった。
「……おい?」
「っ……つ……ぁ……」
アルヴェラはこの痛みを「思い出した」。
これは、己を蝕む、過去の痛みだった。
「痛むのか⁉︎」
初めて見せたアルヴェラの苦痛の表情に、カシュガルは狼狽する。
後から病むことはあるだろうが、この状態はさすがに異常と思えた。
咄嗟にアルヴェラの肩を掴む。
が、顔を上げた彼女の瞳は、赤い光を帯びていた。
あの、グラーツを退けた時に見た、異様な瞳に思わず息を呑む。
今この場にアルヴェラが護ろうとした少女はいない。
ならば、彼女のこの変化は何が原因なのか。
カシュガルが何もできずにいるのを尻目に、アルヴェラの意識は過去へと飛んでいた。
カ「ラグーザ!アルヴェラが……!」
ラ「うんうん、解ったからお前は落ち着け」
カ「あんな風に痛がることはなかったぞ⁉︎」
ラ「だから、落ち着けって」
カ「俺は何もしていない!」
ラ「聞いてないし、一気に保身に走ったな」
じゃおうはこんらんしている!




