第十七話 ~契約~
それは、夢であると、彼女は思っていた。
一面の花畑に、色とりどりの蝶が舞い、天使が笑いながら花冠を作っている。
天使というのは彼女のイメージであって、本来は違うのかもしれない。
だが、今は事実がどうであるかは問題ではなかった。
とにかく、そんな天国か楽園のような場所に立っている。
その世界には、一切の音がないのか、笑い声も草木の葉擦れの音さえも聞こえない。
彼女が天使だと思った存在は、人の形をしているが背中から純白の羽を生やしている。
ここにはそれ以外の二足歩行生物はいないようだ。
自分にも羽が生えているならまだしも、ここでは異質な存在のように思え、彼女は肩身が狭く感じた。
『お、いたいた』
音のない世界で、その声は驚くほど綺麗に響いた。
だが、どこから聞こえてくるのか解らない。
『こっそり呼び出したつもりが、見失うとか笑えないぜ』
中低音の独特な声だけが、何故かはっきりと聞こえる。
『あまり長い間この状態じゃいられねぇから、用件だけ伝えるぞ』
三度響いた声に、ようやく気付いたことがある。
この声の主は、どうやら彼女に対して話し掛けているようだ。
体は自由に動かず、声も出せないので、どうすることもできないが、その声はそのまま続けた。
『俺の「主」になってくれ』
全く話が見えない。
その上、声も出せないので、質問も否定もできない。
『俺はディヴァースの神に仕える、時の精霊だ。
今回の異世界との繋がりはかなりヤバい問題でね。
俺が出張ることになったのさ。
時の精霊が下界で動くには主が必要。
その役を、あんたにお願いしたい、ってのが主旨だ』
姿の見えない声の主は、淡々と説明する。
ここに来て、これが夢ではないという考えが浮かんできた。
夢にしては、話の内容がはっきりしていて、記憶にも残っている。
目覚めたら忘れてしまうような、儚いものではない。
だが、状況を正しく理解することは難しく、自分からは何もできないのは変わらなかった。
『詳しい説明もしたいところだが…時間がねえ。
この場で考えて、結論を出してくれ。
その状態でも、出来るはずだぜ』
随分と無茶を言われているが、現状は動けないだけで、確かに思考ははっきりしている。
ただ、判断する為の材料が少なく、簡単に決めて良い事かすら解らない。
『利点と欠点で大きいのも教えとくか…。
欠点というより注意点として、契約したら解除はできない。
悪いが、終生契約になる。
利点は時を司る程の力を持つ精霊を使役できること。
それと、契約によって得られる莫大な魔力だな』
一度契約すれば解除ができない。
それは随分と恐ろしいものにも思えた。
だが、それ以上に、彼女を揺さぶったのが「莫大な魔力」という言葉である。
決めてしまえば解除や取り消しは出来ない。
逆に、それ以外のデメリットは今のところないということだ。
それならば、答はおのずと決まって来る。
答は決まったが、今度はそれを相手にどう伝えれば良いかが解らない。
「考えて」「結論を出せ」とこの声の主は言った。
だとすると、考えれば──意思を示せば伝わるのかもしれない。
その結論に至り、彼女はひとまず試すことにした。
──時の精霊との契約を望む──
確固たる意志をもって、彼女はそう強く願った。
すると、閃光が走り、一瞬視界が真っ白になる。
再度、視界が戻ると、目の前に先程までいなかった青年が佇んでいた。
淡い翡翠色の髪は腰までの長さで、癖のないストレートである。
前髪は中央からやや左寄りの分け目から流されており、目にかかる程の長さだった。
瞳は髪と同色で、意外にも優しい光を湛えていた。
服装は精霊というだけあって神秘的な装いだった。
袖や裾が長いローブに、水のような羽衣を纏っている。
『ありがとな。すげぇ助かる。
思ったより即答だったのはビビったけど』
屈託なく笑いながら、その青年は手を差し伸べて来た。
姿に似合わない言葉遣いだなと思いながらも、どこか憎めない風貌である。
『んじゃ、早速契約交わすぜ。
こっちで全部やるから、そのまま見てるだけで大丈夫だ』
強く願うだけで意思疎通ができるのは便利だなと思いながら、彼女は青年の動きを追う。
彼は彼女に向かって手をかざすと、目を閉じて詠唱を始めた。
『我らが神の御名において、理の精霊たる我が身と汝を契り結ばん。
悠久なる時の流れと共に、我が身我が名を主へと捧ぐ。
汝が御霊に、交わせし契りの印を刻み、永久を共に歩み給う』
詠唱の一文一文が文字のような紋様の帯となり、彼女の周囲を回り始める。
三本の帯が収縮し、最後には弾けて光の粒子が降り注いだ。
『キレイ……』
口から突いて出た言葉に、彼女は驚く。
感覚はないが、動くことが出来るようになった。
『契約成立だ。これで多少は動けるだろ?』
『え……と、はい』
何から話せば良いか、かなり混乱した状態にある。
少し心を落ち着けようと、彼女は深呼吸した。
目の前の青年から得た情報を一つずつ思い起こし、線で結んでいく。
『……ここは元いた場所とは全く別の場所。
恐らく、私は今、肉体から離れている特殊な状態。
つまり、これは夢ではなく現実に起こっていて、私はキミと契約した。
契約によって、課せられていた制約がなくなり、こうして動けるようになった……?』
自分に言い聞かせるように、また、納得させるように、彼女は導き出した答を呟く。
『すげぇな。そんな冷静に今の状態を受け止められんのか』
『……非常識なことにはより冷静に対応するようになっちゃって』
『さて、それじゃあ、主の名を教えてくれよ』
ここまで非常識のオンパレードだったので、名前も既に知っていると思っていた彼女は、少し驚いたが小さく頷く。
『私は……私の名は「斎木 未由斗」。
ディヴァースではアルヴェラ・サミュエルを名乗っててさ。
アルヴェラって呼んでもらうことになると思う』
素直に名乗ったアルヴェラに、今度は青年が驚く。
『いいのか?ディヴァースに来て真名は名乗ってなかっただろ』
『契約は終生もので、これからずっと一緒の人だもの。
信頼がないとやっていけないでしょう?』
『……ホントにわ、ありがとな。俺のこと、信じてくれて』
あまりに突然のことで、アルヴェラもまだ完全に彼のことを信用していないものの、彼が悪い存在には思えなかった。
『それで……キミの名前は?』
こちらが名乗ったのだから教えろとばかりにアルヴェラが尋ねると、彼は首を振る。
『俺は精霊だから名前はないんだ。
だから、契約後に主から名を戴く』
『そう……なの?え?じゃあ、私が決めるの⁉︎』
『ああ。頼むよ主殿』
突然の命名の儀に、アルヴェラは戸惑う。
ペットに名前を付けるのとは訳が違った。
相手は精霊ではあれど人の形をしていて、これから一生を共に生きていくことになるパートナーなのだ。
『え……と。うーん』
『……そんな悩むことないぜ?適当でいいんだ。
呼びやすい名前を付けてくれりゃいい』
適当になど付けられるはずがない。
アルヴェラは堂々巡りを続けながら、彼を見詰める。
一瞬、脳裏に不思議な光景が過った。
彼ともう一人別の青年が肩を組み、楽しそうに笑い合う、そんな光景である。
その中で、もう一人の青年が彼を呼んでいた。
『……アモイ』
『っ⁉︎』
彼は、ひどく狼狽していた。
アルヴェラも、何故かその名で呼ばなければならないと、使命感にも似た感情が涌き出てくる。
『キミの名前は、アモイだ』
何故か、とてもしっくり来る名前だったので、アルヴェラは笑顔でそう宣言した。
主の命名に逆らう意味などない。
彼は動揺しながらも、それを受け入れるしかなかった。
『……解った。ああ、俺は、アモイ。時の精霊・アモイだ!』
『これからよろしくね、アモイ』
『こちらこそ、主殿』
ふと、アルヴェラは契約前後で自分が何か変わっただろうかと、疑問に思う。
彼──アモイ曰く、莫大な魔力が手に入るとのことだが、自覚症状も特になく、本当に力を手にしたかも解らない。
そもそも、魔力という目に見えない力をどう認識すれば良いのかも、アルヴェラは知らなかった。
『用件は一旦これで終わりだ。
これからは常にお前の側にいる。
時の精霊としての仕事が必要な時には声を掛けさせてもらう。
それ以外は契約精霊としてこき使ってくれて構わねぇぜ』
こき使う、というのもアルヴェラには難しかった。
この世界では精霊の使役をどのように行っているのか。
使い方も用途も解らない状況ではどうすることも出来ない。
『えと……たぶん、精霊について教えてもらうところから、かな』
『……だよな』
『ごめんなさい。せっかく契約してくれてるのに……』
契約という事実が必要とはいえ、何も知らない人間と契るのは果たして良かったのだろうか。
『謝るこたぁねぇよ。俺が、主殿を選んだんだ』
『あと、その「主殿」ってなんかくすぐったいんだけど』
『そうか?主殿は主殿とだからなぁ……』
『名前で呼んでくれると助かる、かも』
アモイは残念そうな表情で腕を組むと、ややあってから口を開いた。
『じゃあ、アルヴェラ……いや、アル、だな』
『うん、それがいい!』
『了解、マスター・アル』
『いや……今度はマスターとか付くの?』
『アルの世界じゃ、こういう契約関係で主のことをそう呼ぶんだろ?』
どこからその情報を得たのかと疑問に思うも、可能性としては自分の記憶からなのだろうという結論に辿り着く。
『あまり、人の記憶を見ないでほしいな……』
『悪ぃ。記憶っつっても知識の部類だけ拝借したんだ。
さすがに、個人的な記憶には触れないぜ?』
『そ、そっか。ありがとう?』
根本的な問題は解決していないが、この話題はもう触れない方が良さそうだった。
『さて、あまり長居すると肉体に負担が掛かる。
そろそろ体に戻すぞ。俺も付いてくから安心しろよな』
こくりと小さく頷き応えると、アモイはアルヴェラに向かって手をかざす。
『俺はいつだってアルの側にいる。
困ったら俺を呼べよ。どんな状況だろうと駆け付ける』
『解った』
そう返した途端、視界が光に包まれた。
それからのことは、よく解らなかったが、何か別の夢を見ていた気がする。
その場に残されたアモイも、空気に溶け込むように消えた。
アル「何か変なことになっちゃったな」
アモ『これからよろしくな!』
アル「あ、もういるのね」
アモ『久しく誰かと話すこともなかったから口がよく回るんだよ』
アル「……賑やかになりそう」
賑やか(一人)。




