第十六話 ~盲信~
バルコニーに置かれた木製の椅子に腰掛け、涼子は空を見上げていた。
アイユーヴ城のバルコニーと異なり、こちらは椅子とテーブルが置かれており、広さも倍以上だった。
そこから見上げる邪界の空には太陽も月もない。
だが、朝昼夜はあり、明るさも変わる。
これはディヴァースの人間でも、どうしてそうなのか解明できていなかった。
ただ、古代より「そう」である為、誰もそれを疑問に思わなくなったらしい。
そんな不思議な空を見上げ、涼子は想いを馳せる。
この城へ連れてこられてから、涼子は一言も喋らなかった。
ただ、グラーツの言うことに頷き、大人しく従うのみである。
涼子にとって、それは慣れたものだった。
「こちらとしては助かるが、お前はそれで良いのか」
自我を放棄されても困る為、グラーツは彼女に声を掛けた。
「私は……いつだって、助けを待つだけだもの」
半ば諦めているように呟く涼子に、グラーツは眉を潜める。
「さみは、来てくれる。この状況を打開してくれる。
私は、さみを信じるだけ……」
カシュガルの城で別れた少女──アルヴェラを思い出し、グラーツは眉間の皺を深くする。
自分の魔力をも弾くあの力は、自覚があって使っているわけではなさそうだった。
もしも、あの力を制御し、自由に使えるようになったら──。
人間に脅威を感じたことなど一度もなかったグラーツも、さすがに危機感を覚えていた。
「だが、今の状況は普通ではないだろう。
それでも、あの少女が来ると信じられるのか」
「来るよ。来てくれる。
さみは……絶対に約束を破らないもの」
迷いのない回答に、グラーツは驚く。
「何故そこまで信じられる?」
「……さみは、そういう人だから」
絶大な信頼を寄せていることは解ったが、その絆が信じられず、グラーツは問い掛けを続けようとする。
「お取り込み中のところ、失礼するよ」
軽いノック音の後、応答を待たずして扉が開かれた。
グラーツは振り向かず、入ってきた相手に対して声を掛ける。
「どうした、ラロシェル」
「ヴィアハスが来ているぞ」
ラロシェルと呼ばれた訪問者は女性だった。
グラーツと同じ黒髪は艶やかだが短く、毛先が外側にはねている。
長さは肩に付くくらいで、言葉遣いも相まってボーイッシュな印象だった。
「ヴィアハスが……?」
「ああ。人間を連れてきている」
「!……人間って、まさか……」
「くっ……厄介だな」
涼子は思わず立ち上がったが、すぐにグラーツを見やり、俯く。
アルヴェラと引き離す為に実力行使に出たグラーツである。
ここで他の誰かと会わせることはしないと、容易に想像できた。
「……ラロシェル、彼女を頼む」
「解った」
グラーツはラロシェルと交代で部屋を出て行く。
「あ……」
「そういうわけだから、しばらく私といてもらうよ、お嬢さん」
男性よりは女性の方が多少は気楽だと、涼子は少しだけ安心していた。
「私はラロシェル。貴女は?」
「……涼子。宮内 涼子」
「リョーコ、ね。素敵な響きだ」
でも、とラロシェルは哀しげな表情で続ける。
「その名は、元の世界に戻るまで貴女の内に留めておいてもらうよ」
「え?」
「そうだね……。ディリスティア、というのはどうかな。
……うん、貴女によく似合うと思うよ」
一方的に話を進められ、涼子は戸惑うばかりだ。
だが、ディリスティアという名前には惹かれるものがあった。
「貴女が異世界の人間だと知られない為にも、必要なこと。
たった今から、貴女はディリスティアだ」
「わ……たし、の名前?」
ラロシェルはそっと涼子の頬に触れ、優しい笑みを浮かべながら頷く。
同じ女性でありながらドキリとしてしまうのは、ラロシェルが中性的な外見と性質だからだろうか。
「ディリス……ティア……」
「そう。貴女はディリスティアだ。いいね?」
「は、はい……」
魔術で魅惑系の術を掛けられたわけではないが、それに等しい状態になっている。
涼子は元々、男装の麗人や中性的な女性に憧れていた。
その為、ラロシェルにも、同じように憧憬を抱いたのだろう。
「いい子だね、ディリスティア」
恥ずかしそうに俯く涼子──ディリスティアを、愛おし気に見詰め、ラロシェルは微笑む。
ディリスティアがグラーツの方を気に掛けないよう、ヴィアハスが帰るまで彼女の相手をする。
それが今のラロシェルの仕事だった。
広間へと移動したグラーツは、佇むヴィアハスと一人の人間を目視する。
アルヴェラとディリスティア以外の異世界人を見るのは初めてだったが、こちらも見たところ普通の少女だった。
「あ、グラーツ、やっほー」
陽気に声を掛けてくるヴィアハスに、グラーツは頭が痛くなる。
応える代わりに睨み付ければ、ヴィアハスは肩を竦めた。
「カシュとおんなじ反応だね」
「当たり前だ。何を考えている!」
「口から出る言葉まで一緒。つまんないよ?」
感情的になると、ヴィアハスのペースに巻き込まれてしまうため、グラーツは深呼吸をして心を落ち着かせる。
「グラーツのとこの子はどんな子なの?」
「話す義務はない。会わせるつもりもない」
「カシュのとこの子はね、面白い子だったよ。
ラグーザを味方に付けて、反対されるの解ってて会いに来たんだ。
でもね『何も聞かなかった』んだよ、グラーツ」
興味なさげに聞いていたグラーツも、アルヴェラの行動にはさすがに驚いた。
「その人間には全て話してあったのだろう?」
「うん。ぜーんぶ話しちゃった」
「その前提で、何も聞かないだと?」
「そうだよ。面白い子でしょ?」
グラーツは記憶の中のアルヴェラを思い出しながら、そうは見えなかったがと考え込む。
「カシュが話してくれるのを待つみたい。
彼女達からしたら、悪いのは僕達なのは明白なのにね。
あの子はこんな僕達のこと、信じてくれたんだよ」
「果たしてそうなのか?」
何か裏がある。
そう考えずにはいられなかった。
「グラーツはひねくれてるなぁ。
彼女達のこと、僕達は何も知らない。
もっとちゃんと向き合うべきなんだよ」
「お前の言い分も理解できるが、早計すぎる」
「僕は直感を信じる方だからね」
グラーツもカシュガルも折れないので、ヴィアハスは不満だった。
カシュガルのところでは、アルヴェラの予期せぬ行動によってよい方向へ転じたが、ここではそういったことも起きない。
「じゃあさ、せめて……無事な姿を見せてあげてよ。
僕もレオナもここから動かないからさ」
本当にそれだけで終わるだろうかと訝しむも、先程の涼子の様子を思うと、気晴らしは必要にも思える。
「……それだけならば良いだろう」
グラーツは寝室へと向かう。
彼もまた、異世界の人間を置いておく場所として自分の寝室を選んだ。
城の者にもできるだけ見られない場所となると、ここが最適という結論に至ったのである。
扉を開けると、二人の女性が寄り添って座っていた。
「グラーツ?」
「……姿を見せるだけだ」
「ああ、なるほど。ディリスティア、立てるかい?」
返答する前に手を差し出され、ディリスティアは戸惑いながらもその手を取る。
「ディリスティア?」
「良い名でしょう?」
「元の名を使うのは確かに危険ではあるが……」
「気に入らないのかい?」
歯切れの悪いグラーツに、ラロシェルは首を傾げた。
「そういうわけではないが……」
「さあ、客人を待たせては悪い。行くとしようか」
ディリスティアのことはこのままラロシェルに任せた方が良いかと、グラーツは苦笑する。
ラロシェルにエスコートされ、ディリスティアは寝室から出た。
すると、すぐに友の姿を目にする。
「壬生っち……!」
「涼ちゃあぁん!」
二人はその場から動くことはできなかったが、互いの無事を確認した。
「レオナ、ごめんよ。あの石頭、説得できなくて……」
「ディリスティア、すまないが、ここまでだよ」
それぞれ側に付いているヴィアハスとラロシェルの呼び掛けに、二人は同時に振り向く。
あえて名前を呼ぶことで、余計な会話をさせずに、互いの今の名を覚えてもらう意図がそこにはあった。
レオナはヴィアハスに不満そうな表情を見せたが、それも一瞬のことで、すぐに笑顔でディリスティアに向かって手を振る。
そして、それにディリスティアも応えた。
たったそれだけのコミュニケーションだが、二人の心が幾分か軽くなったのは言うまでもない。
「もういいだろう」
「……カシュの方が難しいかなと思ったけど、グラーツの方が手強いかも」
「私は常に邪界と邪王にとって最善な道を模索しているだけだ」
「責任感ってやつ?あーやだやだ」
肩を竦めるヴィアハスに、グラーツは眉をひそめる。
「じゃあ、レオナ、戻ろうか。僕の城に」
「……うん……」
「今度はカシュのとこで、もうちょっと粘ろうね!」
情報交換さえしなければ、アルヴェラとレオナを会わせることは可能だと、今回のことで解った。
会うことが難しくないと解ったので、城を出る前には不安しかなかったレオナの表情も、今では生き生きとしている。
グラーツはそんなヴィアハスとレオナから視線を反らし、ディリスティアを見詰めた。
ただ、信じて助けを待つだけの、諦めたような表情が、脳裏から離れない。
いずれ元の世界に還ってもらう彼女達と、深く関わるべきではないのは解っている。
だが、彼女達が還るのがいつになるかは解らない。
その間、関わりを持たずに過ごすのは、今の環境下では難しい。
邪界と邪王にとっての最善は、彼女達を苦しめる結果となるだろう。
グラーツは不憫な少女を思い、胸を痛めた。
ラ「ディリス、何かお詫びをさせてほしいな」
デ「え⁉︎そんな……レオナとも会えたし、大丈夫です」
ラ「では、せめて貴女が笑っていられるよう、最大限の努力をしようか」
デ「ラロシェル様……」
グ(様⁉︎)
二人の妖しい関係に邪王すら動揺する件。




