序章 ~全ての始まり~
「これしか…ないというのでしょうか」
そこは室内にも関わらず薄暗い。
壁にはろうそくが立てられており、僅かな明かりで室内を照らしている。
部屋の中心に立つその女性は、悲痛な表情を浮かべながら、足元を見詰めていた。
女性の足元─この部屋の床には淡い光を放つ魔法陣が描かれている。
純白のワンピースに銀の刺繍が施されたボレロを纏ったその女性は、しばらく何かを迷っているようだったが、やがて覚悟を決めた様子で顔を上げた。
「他に…我が国が生き残る術はありません…」
その場にしゃがみ、魔法陣に触れる。
「どのような責も受けましょう」
決意の光をその瞳に宿し、、魔法陣に触れた手をきゅっと握り締めた。
「恨まれようとも…憎まれようとも…」
そのまま立ち上がり、握った手を開き、掌を見詰める。
「我が国の…我が民の為です」
スッと顔を上げ、迷いのない表情で、宣言した。
「異世界の方々を召喚し、協力を仰ぎます」
それは、他の誰もいない室内に虚しく響くだけだったが、女性の決意表明のようなものだったのだろう。
満足げに頷き、女性は魔法陣の部屋から出て行った。
階段を上がる度に、波打つ金の髪が揺れる。
壁のろうそくは彼女が頂いているティアラを定期的に照らした。
その瞳は真っ直ぐに階段の先を見据えている。
階段を抜けた光の先へ、女性は迷いなく進んで行った。
******
水晶から放たれた光が壁を照らし、そこに映像を投影している。
映し出されていたのは、どこかの地下室で、淡く光を放つ魔法陣のある場所だった。
「異世界からの召喚だと?」
「珍しく魔法陣に力を貯めてるから何かと思ったら…」
その壁の映像を見ていたのは三人の男で、皆険しい表情を浮かべている。
「面白そうなこと考えるね。人間も」
一人は肩に付く程度の長さの、やや緑がかった髪を一つに束ね、無邪気な笑顔を浮かべていた。
「成功するかも解らないのだろう?」
一人は腰までの長さの黒髪を持ち、全てを射抜くような瞳で最後の男を見詰める。
「だが、成功されては厄介だ」
ようやく口を開いた最後の男は、黒に近い紺色の髪に、同色の切れ長な瞳で、煩わしそうに壁の光から目を反らした。
「─となると、やることは一つだな」
黒髪の男がそう言うと、緑がかった髪の男は面白そうだと笑う。
「各自で好きにやる、でいいんだよね?」
「ああ。だが、我々の目的を忘れるな」
「解ってる解ってる。…でも、シャーイは─」
一転して暗い表情を浮かべる男に、残りの二人は溜息をついた。
「引き続き呼び掛けるしかない」
「…僕達の声、届いてるよね?」
その問いに答えるものはいない。
紺色の髪の男が水晶に手をかざすと、光が消えた。
「まずは目先の問題からだ」
「……うん、そうだね」
三人は確かめるように視線を交える。
「異世界からの召喚を阻止、もしくは妨害する」
やるべきことを再認識すると、三人はそれぞれのあるべき場所へと向かった。
******
何かに驚いたかのように、その人物は目を見開いた。
心臓が早鐘を打つ。
まるで今の今まで何かに追いかけられていたような錯覚に陥るほどに。
普段とは違う寝起きの感覚に戸惑っているのか、不安げな表情で体を起こす。
「…まだ…6時…」
普段はこんな時間に目を覚ますことはなかった。
ましてや、今は夏休み期間中なのだ。
今日は用事があるとはいえ、こんなに早く起きる予定ではなかった。
早い時間に目が覚めても、もう一度寝てしまうことがほとんどだというのに。
この日は、何故かもう一度寝るのが怖かった。
ロフトベッドから降り、カーテンを開ける。
薄暗かった部屋に日が差し込み、思わず目を細めた。
差し込む日の光が、姿を照らす。
日に透けると栗色に見える髪は肩に付く程度のミディアムロング─
細められた目から伸びる睫毛は長く、緩やかな弧を描く眉は手を加えられていない。
身体を伸ばすと、寝巻の上からでも胸が揺れるのが解る。
ゆったりしたサイズの寝巻なので胸の大きさはそこまで目立たない。
身長はそこまで高くはなく、スレンダーという体型でもないが、出るところは出ている。
そんな「彼女」は大きな欠伸をすると、ゆっくり目を開けた。
「未由斗?起きてるの?」
今からの呼び声に、彼女─未由斗は振り向く。
「起きてるよー」
ぱたぱたと小走りで居間へと向かう未由斗は気付いていなかった。
自分の立っていた窓際に、微かな光が漂っていることに。
そしてこれが─
彼女の人生を狂わす、壮大な冒険の始まりだということを─
今の彼女が知る由はなかった。
母「あら、今日は早いのね」
未「目が覚めちゃって」
母「今日と明日は雨かしらねぇ」
未「明日も!?」
母「一週間くらい続くかしら。やぁねぇ」
未「・・・」
今のところ、早起きをしても得はしていない。(そしてこの後さらに大変な目に遭う