第6話 小遣いについて 前
吐き気を催しているのは、目の前の火噴き蜥蜴の体臭のせいばかりではない。
こいつらがぶちまけた血や臓物の類が、周囲に散らばっていることが主たる原因なのだろう。
私は刃こぼれと血糊で使い物にならなくなった愛剣をぼろきれで軽く拭いて、大事に鞘にしまった。
これで残りの武器は小刀一本こっきりだ。
対して火噴き蜥蜴は、後一頭残っている。
最初の一頭目は順調だったのだ。
まず私は、巣穴から出て孤立していた一頭を狙った。高台から飛び降りて体重を使うことで、ただの片手剣でも鱗を容易く貫通させることができたのだ。
だが、続く二頭目がまずかった。
巣穴に入り物陰に隠れて蜥蜴が近づいてきたところを不意打ちしたのだが、直前に臭いか何かで気づかれてしまった。そこで一旦引くべきだったのだが、片方の目を初撃で偶然つぶしてやれたのだ。
これが返ってよくなかった。
それを好機と見て、その場で倒しきることに拘泥してしまったのだ。
当然蜥蜴の方は巣への侵入と自身への手酷い仕打ちに怒り狂い、必死の抵抗をした。
結果、暴れまわる蜥蜴に手こずり、体力を消耗し、結局剣をだめにしてしまった。
これでは師匠にあきれられてしまう。
「・・・」
しかしこの火噴き蜥蜴の巣穴に入ってから、師匠は一切話しかけてこない。
敵地でべらべらおしゃべりをしているなど言語道断だが、今回はいつにも増して静かである。
それもそのはずである。
今回は、試験なのだ。
ちょっと時間を巻き戻そう。
二日前の朝食中に、私は師匠に小遣いの増額を願い出た。
「ついこの間、ご馳走を振舞ったばかりだろう」
『工房にて同盟罷業発生!』と書かれた瓦版を見ながら、師匠は冷たく言い放った。
普段私には食事のときには行儀良くしろというくせに、自分はこうして食事をしながら号外だの瓦版だのを読む。
師匠の嫌なところだ。
しかし、これはあくまで牽制だ。
当然、私がこの程度で引き下がるなどとは、微塵も考えていないだろう。
私もひるまずに反撃に打って出た。
前回のは、あくまで臨時のご褒美であって、師匠が勝手にやったことだ。
「君、人の厚意を・・・。だとしても、それに甘んじただろう」
繰り返しになるが、前回のはあくまでも賞与である。
私は、『文官汚職事件!』と書かれた瓦版を読みながら軽く受け流しつつも、攻撃の手は緩めない。
私は師匠の教えを忠実に守り、真面目に依頼に鍛錬にと打ち込んでいる。
私が成長してきていることは、そばで見ている雇用者の師匠が、一番理解しているはずである。
そんな労働者の私に対して、少しばかりの昇給があっても良いはずである。
「そもそも、弟子が師匠に従うのは当然のことだろう。それに、あの時くすねた銀貨三枚もまだ返していないだろう。横領は死罪になることもあるんだぞ」
『より人間らしい生活の実現のために!ハルバ氏立候補!』と書かれた号外を一瞥して円卓に放りながら、師匠も反撃してくる。
師弟関係を傘に着て、それでは余りにも強権的に過ぎる。ならば私にだって、生存権があるのだ。
それ以外にも、掃除・洗濯・炊事などの家事までやっている。
これで毎月の小遣いが銀貨1枚では、年頃の娘としては鬱憤が溜まってしまう。
『男女共同参画社会の実現のため!ジルド氏擁立せらる!』と書かれた号外を斜め読みしながら、私はなおも食い下がった。
全体、年下の女の子に自分の下着を洗わせるというのは、倒錯的と言わざるを得ない。
例え私が許しても、師匠の神はお許しになるだろうか。
「私が君の衣服を洗濯しようとすると怒るから、君に任せたんだ。洗濯なんて、一度にやったほうが効率が良いのだから。それに、今の時代は男女平等だろう」
『街で人気の店、十選』というちらしに手を伸ばしながら、いつも通りの無表情で、「誤解を招くような言い方をするな」と師匠は撥ね退けた。
ことあるごとに『もっと女性らしい淑やかさを持て』と言う口が、どうして男女平等などと。
私も負けじと、『昼市開催』というちらしを引っ掴んで更なる舌戦へと突入しようとした。
・・・どうやら今日の市では、『鶏・豚・牛肉大感謝大安売り』という催しがあるらしい。
「ほう。今日は忙しくなりそうだな。・・・おっと、君のお気に入りの菓子屋で、『銀貨二枚で食べ放題』なる催し物があるらしいぞ」
ふむ。それはぜひとも行かねばならない。おなかを目いっぱい減らしておかないと。
その後しばらく持論や時論を駆使しての小賢しくも情けない鍔迫り合いが行われ、朝食が綺麗に片付いた頃。ついに師匠は根負けしたように、首筋を撫でた。
「分かった。それならば、試験を行う」
試験?
円卓の上の食器を片付けながら、私は問い返した。
「そうだ。君が本当に成長しているかどうかを、試させてもらう」
円卓の上に散らばっている情報紙を集めながら、師匠は答えた。
では、その試験に見事に合格した暁には。
「小遣いの増額を認めよう」
約束ですよ?
「約束だとも」
かくして私は現在の自分の実力からすればかなり危険な依頼を、たった一人で完遂することとなったのだ。その依頼とは、すなわち火噴き蜥蜴の退治である。
この依頼も例によって、組合から師匠へと流れてきたものだった。
何でも、私達の街から馬で半日程の距離にある小さな村で、一枚の畑が酷く荒らされていたらしい。収穫前だった野菜が、ほぼ根こそぎに食われてしまったそうなのだ。
その時に偶然村人が目撃したのが、現場を去っていく二頭の火噴き蜥蜴だったというわけだ。
怒り狂った畑の持ち主は無謀にも農具を携えて蜥蜴達を追いかけたが、たった一人で適うはずもなく、散々引っかかれ、齧られ、おまけに火傷まで負って、ほうほうの体で帰ってきた。
しかし、どうやら火噴き蜥蜴の巣らしき場所を知ることはできた。
そこで村人達は、蜥蜴達への対応を協議した。
自分達で退治してしまおうという意見も出たが、荒らされた畑の持ち主の酷い有様に殆どの男達は腰が引けてしまい、結局その道に通じる人間の手を借りるのが妥当であるとの結論に至った。
問題なのは、ここからである。
単純に言ってしまえば、専門家の集団である組合への高額の依頼料を用意できなかったのだ。
荒らされた畑の持ち主は食い扶持となる作物を全て失ってしまった上に、大怪我の治療のために金が必要になってしまっている。
他の村人たちも明日はわが身と恐れはするものの、さほど余裕のある暮らしをしているわけではなく、拠出できる金額などたかが知れていた。
それどころか大怪我を負ってまで脅かしてやったのならば、もう二度と畑を荒らしにはこないだろうと楽観的になる者までいたそうだ。
潜在的な脅威の排除よりも、今日と同じ明日が来るだろうという希望的観測に縋ってしまうのは、修羅場とは無縁の生活をしている人間によく見られる心理である。
と、師匠は言っていた。
生業が違えば考え方も大きく異なってくるものなのだなぁと、考えるきっかけになったものだった。
当然組合に依頼できなくなり、村長が受付で途方にくれていたところを、幹部の人間から助言を受ける形で師匠に泣きつく形になったらしい。
普通に考えれば組合にとっては師匠のような人間は商売敵の筈だが、どうやら師匠は組合内に人脈があるようだ。
いったい師匠とは、どういう人間なのだろうか。
それなりに長い年月を共にしているが、分からないことは多かった。
まあ、それはさておき。
長くなったが、そんな経緯で私は洞穴に潜り込んでいるのだ。
つづく!
「んん?」